25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

潮が満ちると

2017年10月14日 | 日記

 潮が満ちてくると河口にはいろいろな魚が集まってくる(ように思える)。二日目、こんどもイシモチ、グレ、アナゴ、ハゼ、フグという調子だ。ハゼを釣っていると大きなズガニがいる。これは上海蟹と同種のものだ。ここに蟹籠でも入れて置こうかと思うが、以前、ズガニが家の中で逃げて、手の届かない冷蔵庫の裏に入ってしまって往生したことがある。結局、釣り道具をだして、釣って出したのだった。それなたいして美味しいわけふぇなく、調べてみると、オスとメスで味がずいぶんちがうそうである。

 そんなことを思いだし、ぼくのいる突堤の反対側を見ると、大きな魚が悠然と泳いでいる。つづいて、違う種類らしい魚が三匹が連れ添って泳いでいる。ちょっと興奮して竿をだそうとしたが、止めた。糸が切れるに決まっている。なにせ、ハゼ釣り用の竿と糸である。

 ハゼを活かせておいて、マゴチ、ヒラメを半日ほどかけて狙おうと思っている。

 天気予報は外れっぱなしで、今日も雨は降らなかった。秋雨前線が日本列島で停滞しているという。

 秋晴れの日の半日に挑戦したいのだが、天気予報は

しばらく雨である。

 「月の満ち欠け」 という佐藤正午の小説を読んでいる。指示性の言語でつくられている。暗喩も明喩もない。あるのは珍しい話である。こういうのはぼくはもういいのだが、と思いながら読んでいる。直木賞というものの、理由が知りたいのだろう。