25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

汁物

2018年11月09日 | 日記
 快調に糠床が出来上がり、大根菜やら胡瓜やらと毎日漬け込んでいる。ビタミンは熱に弱いから、生野菜で食べると、今度は体温が下がるから、賢き日本人は野菜は煮込んで植物繊維をとり、漬物でビタミンや酵素をとったのだろう。というわけで、尾鷲の店から糠漬けが消えて、残念がっていたが、家で好きなだけ作れるようになって大満足している。

 食べるものとは違うが、この頃、「旨い汁」に快感のため息がでる。ひとつは美味館の五目ラーメンの汁で、レンゲで一口飲んだとき、「ああ、うま!」となる。これは店に行けばいつでも叶えられるものであるが、次のに、嬉しため息がでたのは「土瓶蒸し」の汁であった。尾鷲で土瓶蒸しを出している店が浮かばないので、うちで作ってみた。一回目は納得いかず、二度目は醤油を薄口に代えてやってみた。すると大満足なものができて、「う~ん、うまい」といいながら大満足したのだった。
 次は「はまぐり汁」である。スーパーで蛤を見つけ、これはよい、と買った。これも旨かった。桑名の蛤ならもっとうまいのだろうか。

 アワビのような硬い物が食べづらくなってきたので、ぼくの嗜好は柔らかい物の素材や汁の方向に向かっているのだろうか。

 恒例のハゼ釣りはして、そろそろカサゴ釣りに行こうと思っている。このカサゴもスーパーで売っているのは深海のものでカサゴは浅いところにいるこげ茶色いのが美味しい。カサゴの煮付けなどこの頃は尾鷲でも食えない。冬が来る前に一度と思っている。本当は今日行こうと思っていたのだが、「朝まで生テレビ」を見ていて、まっ今度にするか、という調子である。
 昨日の「昭和元禄 落語心中」もよかったですね。

 
 

記憶力 つまらないリーガルV

2018年11月09日 | 文学 思想
「人生、善いことも悪いこともあっておもしろい」という人がいて、まあ、そうかな、とも思うが、やっぱり「悪いこと」はない方がいい、と思うから、先の言葉はぼくは使わない。「人生いろいろある」は使う。

 ぼくは記憶力があまりよくないので、過去のことの多くを忘れてしまう。友達が「あの時にぼくが言ったこと、したことをおぼえている」と驚く。すっかり記憶の彼方に飛んでいて、「そうやったかなあ」と訝る。記憶力の悪さでまいることもある。覚えようと頑張らなければ人の名前や外国の場所や音楽の題名など覚えられないのである。すでに観たDVD映画を借りてしまうこともある。
 そういう場合は、その人の個性が光らなかったから覚えていないのだとか、ぼくの感覚に強烈に引っ掛からなかったから覚えてないのだ、映画もそれほど面白くなかったからおぼえてないのだと、自分なりに言い訳のの理由をつけている。

 関心のないことが目の前を通り過ぎて覚えられるはずはない。人の車の番号などに何の関心もないが、ぼくの車の番号を言う人がいて、ぞっとすることが昔あった。その人はそんなことまで覚えてしまうのである。つまりそこに気がいくのである。

 要するに自分の中の好奇心の虫が動き始めないと記憶はできない。俳優の名前が出て来ないのも、ぼくの好奇心の網に掛からないからだと思うようにしている。脳の細胞が死滅しつつあると思わない。

 母親は94歳である。交通事故前の85歳くらいのときに、妄想を言い始めた。物忘れもひどくなってきた。検査してもらったら「初期の認知症」だという。「進んでいくんですか」と訊いたら、「まあそうでしょう」という返事だった。「認知症かあ」と思い、毎月一度検査と薬をもらいにクリニックに通っていた。母の症状はそれ以後悪化するものでもない。妄想もなくなった。薬が効いているのだろうか、とも考えるが、それだったら、薬で認知症はストップするはずではないか。母親だけ効いているとは思えない。事故の時、総合病院の医師は言った。「ベッドで横になっていると一番怖いのが認知症になってしまうことです」(あれ、もうなっているのに・・・と思って聞いた)
 それで要するに母親は認知症ではない、高齢化による自然なことだ、と捉えるようにした。多くの関心を失っていることも確かだ。絵を描いていたがそれもしなくなり、短歌も作っていたがそれもしなくなった。交通事故は多くの物を母親から奪ったような気がするが、認知症ではないと思う。今の一人暮らしをしている。高齢の認知症であれば「自立生活」はできないと思う。超高齢的境地に入っているのかも知れない。
 もちろん新しい機器の使い方などはもうこちらも教えることをあきらめているし、母親になんとかしておぼえようという意欲もない。そんな意欲がなくとも残る人生は確実にやっていけるのだ。
 だんだんとどうでもよいことは頭の中を通過させてしまう、そんな空洞が多くなっているのだろう。

 これはぼくとてそうで、昨日見ていた「リーガルV」という米倉涼子のドラマがつまらなく、まさにその時は脳はガラン洞になってしまっている。