25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

カルロス・ゴーンの欲望

2018年11月23日 | 社会・経済・政治
 カルロス-ゴーンルノー会長の事件を聞いていると、人間の欲というのは限りがないものだ、と不思議に思う、お金なら一億円ももらえれば上等ではないかと、ぼくなどは思うが、そうもいかないらしい。お金とともに権勢や名声も欲しかったのだろうか。そうであるなら、報告を誤魔化したり、日産の事務所もないのに豪邸を日産の子会社に買わせるなど、欲といおうか、ケチいおうか、なんなんだろう。
 数パーセントの人の富が30億人を食わせる力をもつなどと、ホモ-サピエンスはどうなってしまったのだろう。成熟した資本主義社会の次の段階は社会主義であると、分析したのはマルクスであった。先進国の資本主義は中央銀行の動きなどを見ていると、相当政府がコントロールしている。これは社会主義への移行の段階と言ってもよい。
 現実に、ヨーロッパでもアメリカでも若者には大きな政府を望んでいるものが多い。アイディアで大金持ちになる者もいるが、その数はほんのわずかである。
 おそらくこれからの社会はビッグデータの寡専化が進み、AIもそうなることだろう。巨大なグローバル企業は国営化される可能性もあるかもしれない。

 だいたい1日は24時間で、そのうち7時間ほどは眠るのだ。あとの時間を贅沢三昧してもたかが知れている。化学工場の肝臓の機能も、濾過装置の腎臓の機能にも、いやいや胃袋にも門脈に異常でもない限り食物をいれるには限度がある。
 高価な食べ物を毎日食べても飽きがくる。人間の個体は贅沢ができないようになっているのに、人間はなぜ、必要以上にお金を欲しがるのか。そういう人がまだいるのか、と思ってしまう。

 たぶん同じ思いをもってカルロス-ゴーンのニュースを見ていた人は多いだろうと思う。欲望の構造は分析されなければならないと思う。

 
 
 

貴景勝と貴乃花

2018年11月23日 | テレビ
背は高くないが、横幅と厚みがあって、まるで鞠のようである。相撲の取り口は速く、慎重に見て、突き、様子を見る。いけるとなったらそのままいくし、行けないとなったら、間を置いて突くのを止める。止めたと思ったらまた突き、相手がこらえて、棒立ちになったところから前かがみになったところをすかさず、身体を躱して手で相手の肩を押し込む。
新しい相撲である。
 貴景勝のことである。正直、このくらいの体で、組み相撲はやらない突き一本の取り口では横綱にはなれないと思っていた。しかし背の低さが下から突き上げる武器となり、丸い体はボールのような速さを持つとさらにそれも武器となっている。
 高安の相撲の取り口と貴景勝のそれとでは圧倒的に貴景勝の相撲がずば抜けている。考えを改めなければならなくなったようだ。阿武咲の取り口とも違う。彼には用心深さが足りない。隙ができてしまう。よく似たタイプの体なのでつい同じように思ってしまうが、貴景勝は一枚上手である。

 貴乃花はこの弟子を育て、万が一にでも優勝したならば、駆けつけ、祝意を述べたいところだろう。しかし千賀ノ浦親方にお渡ししたのである。陰からおめでとうを言うしかあるまい。

 どうやら大相撲はオリンピック後辺り、白鵬と鶴竜、稀勢の里の引退あたりで大きな転機を迎えるような気がする。まずは怪我対策である。それと力士の大型化対策である。
 相撲が面白いのは小錦のようなものばかりでは興ざめもよいところで、妙義龍あたりの体型と体重、慎重がよいように思う。それでも妙義龍は怪我で十両まで陥落し、現在前頭で復帰している。彼の体でも膝への負担はあるのだろう。
 相撲は足の親指、足首、膝への負担が大きいようだ。次に股関節、腰、肘となるのだろう。

 貴景勝の相撲は組まない相撲で前に進むのと一瞬に引き倒しの相撲であるから怪我はしにくそうである。悲壮感もなく、一番一番に集中している姿が見える。肚も座っているように見える。あと三日。
 三日で崩れてしまうことだってあり得る。確か貴乃花は小結で優勝したのではなかったか。親方であれば経験から物が言えることもあるだろうに、と思う。

 それにしても「日馬富士暴行事件」。貴ノ岩がやられ、貴乃花もやられ、土俵上では日馬富士、稀勢の里戦で稀勢の里に大怪我をさせた。もうこの事件が終わりなら、相撲協会もひどいもんだ。かたや引退断髪式まで許可してお金を稼いでいる。とまた思い出して胸くそ悪くなって、「貴景勝頑張れ!」とテレビの前で応援している。柔和な千賀ノ浦親方もさぞかし嬉しく、忙しいことになるのだろう。