25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

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2019年08月01日 | 日記
親は子供ができれば子供の面倒を見て、休日であっても子供に付き合ってあげる。その子供もわずか18年で選挙投票できる歳になり、いわばあっという間である。そういう推移を高見からジジババは見ていくことになる。そしてふと我が身を案じる。いくつまで生きられるもだろう。親は子供から解放されてようやく自分のしたかったことができる。まだこの頃の親は40代だろうから人生の天辺にいるようなものだ。自分の死について切迫はしていない。

 ところで日本で家族内の殺人が増えている。子供の自殺もある。子殺し、親殺し、一家心中つまり皆殺し。この不快な出来事は、母親妊娠期かた授乳期に〈こころが安心しているか〉によることで、安心をもたらすのは夫の愛情であったり、夫の経済力。周囲の人(ジジババも含む)安心感への協力さえあれば、子供の心を守る壁は厚く、高く成長するものだと思う。壁が厚く、高く作られないと心の病気になりやすいとぼくは考えている。
 親、特に母親の事情はいろいろである。そのいろいろ分の人生がある。完璧な子育てなどあるはずもない。母として、父としての失敗もある。だがしかし、親の不安、虐待、無視は甘やかせ、過干渉、過保護より質が悪い。

 ちょうど東京のせがれが夏休みできた日から、天気は夏になり、暑くなった。当面雨もなさそうだ。今日からせがれの嫁さんも加わり、我が家は狭くるしく、暑くなる。ぼくは居場所がなく、なんだか落ち着かず、一人でマックにいく。

 アプリ制作はちゃくちゃくとすすんでいる。開発を始めて五か月めに入る。