25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

「日本の歌」のカラオケ

2019年08月21日 | 音楽 ポップス

   津田大介が朝日新聞のインタビューで、「表現の不自由展 その後」を三日で中止とした理由から始まって、「言い訳」ばかりしていた。ぼくは反日ではないが、アートを公共の場所で扱うには津田程度の思想ではもたないことを露呈した。まあ、潔さがないというか、ビビった、というわけだ。河村名古屋市長ごときの政治介入とガソリンまくぞという脅迫電話くらいでビビったらいけないのだ。警察に相談すべきことだ。何かもっとましなことを言うのかと思ったら何もなかった。命かけて映画作る人も、命かけて政権を批判する人もいるぜ。

 昨日の夜の驚き。昨日は久しぶりにカラオケに行った。ぼくがデュークエイセスの「女ひとり」に代表される「日本の歌」のCD2枚組を懐かしくて買ったのは3か月ほど前だったか。車で各都道府県の歌を聞いていた。覚えやすい曲ばかりでいつの間にかほぼみんなおぼえてしまった。以前「あの橋を渡ったら(山口」や「潮風の中で(大分)がカラオケであればいいのにと探したことがあった。なかったので、がっかりした。ところが昨日、またデュークエイセスの歌を調べてみたら、ええ、とびっくり。どちらもあるのである。どうしてなのだろう。思いは通ずるのか。「小原庄助さん」も新しくあった。あと、「踊り疲れて(徳島)」「マンボ 鵜(岐阜)」「茶々茶(静岡」があれば言うことなしである。

 いつも思うことだが、若い4人や5人のグループにも歌い繋いでほしいと思うのだ。「あの橋を渡ったら」と「潮風の中で」と「小原庄助さん」を歌った。気持ちがよかった。スッキリした。どういうわけでカラオケに追加されたのだろう。リクエストがあったに違いない。多くの人の思いが通じたということなのか。それにしてもなぜ、今?