25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

まあ、平和である

2019年08月10日 | 日記

 高校野球をみていると、今は昭和の時代か、と錯覚を起こす。選手たちは丸坊主。応援席の生徒たちも丸坊主にハチマキをしている。音楽はピンク・レディーの「サウスポー」や山本リンダの「狙い撃ち」。リズムの取り方が少し変わってダンスの要素が入っているが、まあおおまか昭和の頃と変わらない。マニアックな人からみれば変わったところがある、というかも知れない。眉毛とか。投手の投げるスピードとか、いろいろあるだろう。プロ野球の関係者もみていることだろう。

 幾試合か見た。息詰まるような良い試合が多かった。レベルが上がっているのかどうかはバドミントンや卓球、テニスほどにはわからない。やっと一回戦が終わったところだ。

 野球に比べてゴルフは変わった。笑顔と真剣の切り替えゴルフで世界一位の渋野。そう言えば野球も野茂を筆頭に松坂も、ダルビッシュも、田中も、前田も、菊池も、大谷も大リーグに行ったのだから、高校生の意識も昭和の時代とは変わっているのだろう。

 娘夫婦家族のことに触れてみよう。強迫観念新鹿海岸へ海水浴に行った。数日前男性が溺れて死んだためか、台風が近づいているためなのか、海水浴禁止だったらしい。新鹿海岸は左側に川があるので、そこで大いに鮫の浮き袋をもって楽しんだらしい。ダンナも大都会の大会社でこき使われているから、心洗われればよい。新鹿海岸の帰りには「夢古道の湯」へ行って温泉気分を味わった。ぼくは高校野球を見てkた。

 ユウハンはぼくの得意の「地中海料理」である。リクエストがあるので、気分よく作る。たいへん平和である。

 


老衰

2019年08月10日 | 日記

「タツコさん、ゴロゴロと横になってはいけませんよ。なにもできなくなってしまいますよ。それだけは気をつけてくださいね」 と月に一度通ってクリニックの医師から優しく忠告を受けた。

 母はこのところ、ベッドに横になっていることが多くなり、ついにエアコンのリモコン、テレビのリモコンの区別ができなくなり、ご飯を温める電子レンジも扱えなくなった。認知ができないのである。これまでは物忘れだけだと思っていたが、ここ一ヶ月で急速に認知ができなくなった。

 昔の遠い習慣は自然とやってしまう。ぼくがデイケアから帰る前にエアコンをつけておくと、母は帰るなり、夏だからなのだろう、窓を開けてしまう。部屋は涼しくなっているはずのに窓を開け、炬燵にスイッチを入れる。

 食も細くなってきた。五月までは肉も魚もしっかり食べた。それが残すようになり、好きなチラシ寿司でも三分の二を残すようになった。

 このままではきっと立ち上がれなくなり、歩くことができるなることが必至である。

「ゴロゴロしたらあかんよ」と言うのだが、そう言われたことも一分後は忘れている。

  尾鷲病院に行き、どこまでが病気でどこからが介護かその境界線を聞きに行こうと思っている。それと万が一の場合に備え、農協に行って家族葬のことも聞いておこうと思っている。8月20日で満94歳になる。交通事故以降憐れであった。なんでも被害者というものは加害者よりも損をする。交通事故がなかったら、という仮定の話はどうにもならないが、愚痴ってみたくなる。腹も立ってくる。母は事故も覚えていない。「交通事故で助かったとしても、認知症になることが多い。それが一番重要なことなんです」と当時の担当医は言っていた。そのとおりだった。

 昨晩、娘家族が四人でやってきた。岡田さんがメイチ鯛他刺身を差し入れしてくれ、恐縮した。さすがにメイチ鯛は美味く、娘の夫は「これは美味しい魚ですね」と

感心しきりだった。都会にめったにあるものではない、上品な魚だ。寿司ネタにもよい。