エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

實俳句の海へ・・・2

2013年07月19日 | ポエム


實俳句
 「墨絵その色彩との会話」


「はじめに」のつづき

 お亡くなりになられたのは、脳腫瘍がその因であると夫人の後書きに記されている。
 脳腫瘍は、不治の病ではないけれど早期発見こそが肝要なのだ。
 實さんの場合は、発見が遅かったのだろうと推測する。脳の腫瘍の出来る場所によって様々な症状が起きる。實さんの場合は、足に痛みが来たようだ。実は、ぼくの母も脳腫瘍で彼岸の川を渡った。ぼくの母の場合は、眼に来た。手術も繰り返したけれど、手紙が来るたびに記される文字が斜めになってゆく。その斜めの文字が、愛おしく悲しかった。
だが母の場合も、薬石効無く旅立ったのであった。
 實さんが脳腫瘍と告知されてからの日々。御家族の、とりわけ奥様の心労はいかばかりだったか推し量るに余りある。
病人を抱えた家族の傷みは、推し量るべきではないのかもしれないけれど・・・。7年半の母の闘病に付き合ったぼくには、推し量ることが出来る。我が家の田畑は、母の闘病生活に費やされた。当時一介の地方役人の父には、そうするより手段は無かったのであろうと思う。いまはむしろ父に感謝している。

 實さんを亡くされ、一周忌を迎えるのに、こうして遺句集を墓前に捧げる夫人の健気な愛情には頭を垂れるしかない。哀しみを乗り越えんとする、夫人の靭さと弱さ。その相反する心の葛藤をも、読み取らなければと思う。
 優しと、進取の気概に満ちた實さんである。
鶴巻は、ハイキング・コースの吾妻山から富士山を眺められ、大山という霊山の麓にあって豊かな温泉にも恵まれている。
また、秦野は名水の里でもある。
 この自然豊かな地域でなければ、實俳句は結実しなかったかもしれない。
 ぼくは、中里實という俳人を全く存じ上げない。
 けれど、實さんが眺めた富士山を、ぼくもまた幼少期から青春期までずっと見上げていた。
 なにか、親近感を抱ける實俳句を通して、この遺句集を読み切り且また人となりに肉薄したいのである。
 無謀な試みであっても、先輩諸氏の暖かい理解が得られるのならば深甚の喜びである。と同時に、ぼくには作品を通して實さんの姿が仄々と見えてきている。



 實さんを亡くされ、一周忌を迎えるのに、こうして遺句集を墓前に捧げる夫人の健気な愛情には頭を垂れるしかない。哀しみを乗り越えんとする、夫人の靭さと弱さ。その相反する心の葛藤をも、読み取らなければと思う。
 優しと、進取の気概に満ちた實さんである。
鶴巻は、ハイキング・コースの吾妻山から富士山を眺められ、大山という霊山の麓にあって豊かな温泉にも恵まれている。
また、秦野は名水の里でもある。
 この自然豊かな地域でなければ、實俳句は結実しなかったかもしれない。
 ぼくは、中里實という俳人を全く存じ上げない。
 けれど、實さんが眺めた富士山を、ぼくもまた幼少期から青春期までずっと見上げていた。
 なにか、親近感を抱ける實俳句を通して、この遺句集を読み切り且また人となりに肉薄したいのである。
 無謀な試みであっても、先輩諸氏の暖かい理解が得られるのならば深甚の喜びである。と同時に、ぼくには作品を通して實さんの姿が仄々と見えてきている。



ご自宅の居間である。
ここで、静かに夫人を見守っておられるのである。

明日は、遺句鑑賞に入る。



           荒 野人