エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

實俳句の海へ・・・6

2013年07月25日 | ポエム


實さんは、予科練航空隊で終戦を迎えられ、23年4月に京王帝都電鉄に入社。
管理畑を歩いてこられた。
退職時は、高幡不動駅に管理官として常駐、重きをなしたのであった。


實俳句
 「墨絵その色彩との会話」



Ⅲ 秋  いわし雲





物置けば生まれる翳に秋の声  實


 秋・・・秋思の侯である。
 人影にも、ものの翳にも秋が潜んでいる。
 その翳には、秋の声が畳みこまれており、踏んではならない翳である。
 哀しみとか、可笑しみとか、人の一つ一つの所作に生まれる翳こそが本質なのだと言っている。





野仏に添いてぽつりと彼岸花  實


 野仏は、田園地帯のいたるところに安置されている。
 山道、杣道にだって石の仏がある。
 自然を畏怖し自然と生きてきた人々の証である。
 穏やかで心やさしい人々は、野仏に手を合わせ健やかなることを祈る。
 野仏は、畦道の交差する場所にも多く、手を合わせていると否が応でも畦道に咲く彼岸花が視野に入って来る。
 正に赤一点である。




 
川底の石語り出す秋の水  實


 秋の水は鮮烈でいながら、柔らかい。
 とりわけて丹沢の伏流水は鮮烈でいながら、尖っていない。
 秋・・・その水に洗われつつ、川底の石が一斉に語り出す。水が掻き乱され泡立つ。
 その白い泡が流れに沿って下流に向かう。
 故郷の水は、やはり旨い。





晩秋や白菜洗う指の先  實





 晩秋、白菜を洗う指の先が見えたのであるから、その指はさらに白くなければいけない。
 きっとプラチナのように輝いていたに違いない。
 その指の持ち主は、夫人であることは誰が読んでも分かる。
 それを臆面もなく俳句にしてしまう。
 羨ましい限りである。





山路来て枯れゆくものの音を聞く  實


 秋、山の径は生きとし生けるものが枯れていく。
 その枯れるという行為には、次の新たな命を育む作業でもある。
 必然であって、必要不可欠。
 生きるための必要十分条件なのだ。
 その山路を歩いていて、枯れゆく音を聞いたのだ。
 その茶色に枯れる音は、静謐の音である事は間違いない。




半分は夕焼けが喰う子守柿  實




 美しい日本の習い。
 この季節、どこに出かけても柿の木の上に赤く熟した柿が残されている。
 子守柿だ。
 その子守柿が、赤い夕陽に染まって消えていくようだ。
 そう、夕焼けに食べられてしまったのだと感じたのだ。
 小さな命への愛情の深さに感服する。
 昨秋の柿が熟れる時期、ぼくはその柿を啄ばむ烏と天使に分け前として与えるといった俳句を詠んだ。
 實さんは、夕焼けに差し上げたのだ。





          荒 野人