一昨日からの「花散しの雨」に、コンクリートで造成された都市部の川に花筏が流れる。
川底から、川辺まで、高々とコンクリートが穿かれている。
味も素っ気もない・・・とはこの事か。
だがしかし、その河川には枝からはなれた花弁が汚れる事も無く落ち流れる。
優しい流れである。
この桜に抱かれた河川は、氷川台駅のほど近句を流れている。
桜が蕊の季節になると、点々とあるいは固まって筏となり流れるのだ。
ぼくは、それが楽しくて花筏を撮影しに出掛ける。
殆ど、カメラを持った人はいない。
ぼくが、川面にレンズを向けているのを見て、覗き込む人もたまさか居られる。
きっと、何もない事に気づき落胆するのだろう。
何も聴かずに、立ち去るのが常である。
「花筏誰も座らぬ流れかな」
いましか見られない、花筏。
風流な事である。
荒 野人
川底から、川辺まで、高々とコンクリートが穿かれている。
味も素っ気もない・・・とはこの事か。
だがしかし、その河川には枝からはなれた花弁が汚れる事も無く落ち流れる。
優しい流れである。
この桜に抱かれた河川は、氷川台駅のほど近句を流れている。
桜が蕊の季節になると、点々とあるいは固まって筏となり流れるのだ。
ぼくは、それが楽しくて花筏を撮影しに出掛ける。
殆ど、カメラを持った人はいない。
ぼくが、川面にレンズを向けているのを見て、覗き込む人もたまさか居られる。
きっと、何もない事に気づき落胆するのだろう。
何も聴かずに、立ち去るのが常である。
「花筏誰も座らぬ流れかな」
いましか見られない、花筏。
風流な事である。
荒 野人