エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

八重桜

2014年04月17日 | ポエム
八重桜を見に出かけた。
場所は、江戸時代には「物見遊山」の名所だった飛鳥山公園である。



見事な八重桜が満開であった。








桜は、被災地でも咲く。
悲しみを吸いこんで、咲くのだ。

桜の森の満開の下、は怒涛のように風が吹く。
吹き去って、悲しみを消し飛ばしてしまえ!

だがしかし、営みの刻まれた「慟哭の土」はそこに座っている。
悲しみは、いつまでも消えない。



さて、飛鳥山である。
老若男女の「さざめき」が耳を打つ。
そう・・・これで良いのだ。
と、バカボンのパパも言っている。

悲しみをいつまでも抱えるなよ!
八重に咲く華やかな桜だけれど、どこか寂寥を持っている。
華やかは、質朴の裏返し。
内包する、人としての悲しみであるのだ。







「一重八重花のさかりのすれちがい」







初めて、東京で暮らし始めた時「飛鳥山」に憧れた。
山があるのだと、そう思い込んだものだった。

山梨のヤマザルの、ホームシックを慰めてくれた「地名」であった。



いまでも、そう胸に刻まれている。
長じて、現実を知るのだけれど、それでも飛鳥山は懐かしい。



       荒 野人