エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

赤とんぼ

2014年09月20日 | ポエム
この年、赤とんぼにキチンと出会った。
変な言い方だけれど、キチンと出会ったのである。



出会ったのは、この池。
何組かが交尾していて、池の面に産卵していた。

ぼくが出会ったのは、枝の先に止まっていた赤とんぼである。
身じろぎもしないで、枝の先に止まっている。
そこだけ、時間が止まっているようであった。







「赤とんぼ時間を止める枝の先」








二年前に詠んだ赤とんぼの句。

「赤とんぼ空の碧さは変えられず」
「山はまだ身じろぎもせず赤とんぼ」


赤とんぼに出会えて、とても嬉しかった。
ショウジョウトンボは、大分前に出会った。
だからと言っては可笑しいけれど、赤色に飢えていたわけではない。



赤とんぼと別れてから、芒の穂を見た。
風を揺らしていた。

秋の風は様々な表現がある。
ぼくの好きなのは「色無き風」である。



      荒 野人

枳殻・・・まろい金の玉

2014年09月19日 | ポエム
「からたち」である。



日本歌曲と言ったら「中沢 桂」さんでしょう!



からたちの花  山田耕筰 作曲   中沢  桂 独唱




「森 麻季」の清んだソプラノも捨て難い・・・。



からたちの花(Maki Mori)




聞き比べて頂きたい。
あなたはどっち派?



森 麻希のオマージュは、大玉で美しい。



中沢 桂のオマージュは、一個でしかし凛として存在する。
この季節、枳殻の実は何故か懐かしく・・・涙が零れるほど心が震えるのだ。







「からたちの産毛で包む小さき実」







ぼくは昨日、一番下の孫を引き連れて・・・いや付き合ってもらって枳殻の実を探しに出かけたのである。
場所は埼玉県「和光市樹林公園」である。



大きな枳殻があった。
嬉しくなって、シャッターを切り続けたのであった。

あかちゃんのような産毛が生えている金の玉である。
ぼくは、あかちゃんの頬にそっと手を添えた。

枳殻の心が沁みてきた・・・。



         荒 野人

こまつ座の舞台

2014年09月18日 | ポエム
井上ひさし氏の作品を中心に、舞台をかけるこまつ座の舞台を見に出かけた。
ぼくたち団塊の世代には「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」の作家である。



稀代のエンターテナーである。
今をときめく二谷幸喜を、おそらく凌駕する作家であった。



舞台は「きらめく星座」である。







「花野行く過去と未来の舞台かな」







舞台を通して、最後まで笑いをとる。
そして舞台が終わった時、ぼくは自然に涙が零れてきた。

深く考えさせる舞台となっている。
最初と最後に、役者が被る「ガスマスク」はナチスを連想させたり、戦争を連想させる。
パンフレットの写真である。

地球の存在を奇跡と定義づける。
人の存在を奇跡と捉える。
生きとし生けるもの全てを奇跡とする。

井上ひさし流の、いくさを忌み嫌うメッセージである。
今、井上ひさしの故郷は3,11の被害から漸く立ち直ろうとしている。

本の梗概は、別に譲る。
舞台は10月5日まで「紀伊国屋サザンシアター」でかかっている。
全席指定で、税込9,000円である。

こまつ座の舞台は素晴らしく活気がある。
井上ひさし氏が冥界に入ってからは、娘さんが率いている。



舞台や演奏会に出かけると、大量のチラシを渡される。
その中から、一枚。
映画である。
岩波ホールで上映される。

見たい作品である。



      荒 野人

秋海棠

2014年09月17日 | ポエム
しゅうかいどう・・・である。
ピンク色の花である。



明日から天気は不順になるらしい。
晴れ間を求めて、彷徨った。



雲は、鰯になりきれず晩夏の大気に彷徨っているのであった。
この雲が流れ去った後、千切れた蜘蛛が遊弋した。



ピンク色が舞った。
可愛らしい、夢のような雲であった。







「秋海棠花茎長く持て余す」







シュウカイドウ。
間違いなく秋を感じさせてくれる。

山に出かけると、間違いなくこの花が咲いている筈である。



      荒 野人

ポポー

2014年09月16日 | ポエム
ポポーなる果実に久しぶりに出会った。
それは、ふとした時間と場所であった。

とある農家の門の横の野菜売り場に、一袋だけ売れ残ったかのように置かれていたのである。
ぼくは、なんの躊躇いも無く買い求めた。
散策していた句友に一つずつ分けて、ぼくは二つを持ちかえって食べたのである。



この子たちである。
果実は大小不揃いになりやすいが、小さくとも完熟する。
完熟すると木から自然に落下するのだけれど、その時から数日後香りが強くなってきた頃が食べ頃と言われる。
尚時間が経過すると果皮が黒く変化する。
果肉は黄色から薄いオレンジ色でねっとりとした食感。
甘く、香りが強い。

この強い芳香のために、人によって好き嫌いが別れる。
中には多数の黒い種子がある。



これが昨夜頂いたポポーの果肉である。
誠にジューシーで美味しかった。







「海原を越え来し木の実秋深し」







ポポーの花は、まるでチョコレートコスモスの花と色合である。
春に紫色の花をつけ、秋には黄緑色の薄い外果皮を持つ果実をつける。
問題となる病害虫はほとんどなく、薬剤散布なしでも栽培できるのである。

温帯で生育する数少ないバンレイシ科の樹木。温帯果樹といっても寒さには非常に強いのだ。



句友は、この花卉を買い求めると言っている。
きっと、甘く美味しい果実を実らせるであろう。
楽しみである。

嗚呼、久しぶりの味である。
独特の味わいがあって、ぼくは大好きである。
ぼくの友で、楽器のような豊かな声で話す女性がいる。
その女性も大好きであって、本当はプレゼントしたいのだが・・・遥か遠い場所なので渡せない。

マンゴーとドリアンを、足して二で割るとこの味だ。
言い換えれば「くせのある」味であるのだ。
再び、あの台の上に並べられるのであろうか。



        荒 野人