自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登の風

2015年12月10日 | ⇒ランダム書評
  知り合いの新聞記者から近著、『能登の里人ものがたり~世界農業遺産の里山里海から』(アットワークス)をいただいた。著者は藤井満氏。2011年に朝日新聞輪島支局で記者として赴任し、ことし4月に和歌山の南紀支局に転勤となった。藤井氏と面識を得たのは2011年5月だった。輪島支局に来られた早々のころ。能登についていろいろと質問を受け、貪欲なまでの取材意欲を感じた。その後、4年間の能登での取材と考察をまとめたのが、上記の著書である。読み続けると、行間から能登の人たちへの敬愛がにじみ出ていて、引き込まれる。

  藤井氏が赴任したころ、能登には一つの大きなエポックメイキングが始まろうとしていた。国連食糧農業機関(FAO)による世界農業遺産(GIAHS)に日本で初めて能登と佐渡がエントリーしていて、6月のGIAHS国際フォーラム(中国・北京)で認定の可否が注目されていた。藤井氏と名刺を交換した5月は、世界農業遺産についての勉強会が朝日新聞金沢総局の主催で開かれた日だった。その後、「能登の里山里海」がGIAHSに認定され、人々のさまざまな動きが始まる。それをつぶさに観察して、朝日新聞石川版で「能登の風」とのタイトルで連載記事を連ねた。著書の中で述べている。「能登には『超一級品』がない」のになぜ世界農業遺産に認定されたのか、疑問を持ちつつ、能登の世界農業遺産という時代の風と人々の動きを丹念に追っている。

  能登半島の先端・珠洲(すず)市に隣り合わせに狼煙(のろし)と横山という2地区がある。隣接地だが、観光と漁師の狼煙と純農村の横山は気質の上でも折り合いが悪く、原発立地計画をめぐってしこりも残った。2003年に原発計画は凍結され、気が付いてみると両地区は過疎と高齢化に見舞われていた。狼煙は水田の4割が耕作放棄地になっていた。隣の横山は在来種の大浜大豆の栽培に活路を見出し、豆乳や豆腐の加工品の販売に活路を見出した。そこで、狼煙に禄剛崎灯台という「さいはての灯台」が観光地としてあり、両地区の住人が出資して「道の駅狼煙」の運営会社をつくった。大豆の関連商品の売上年間2200万にもなり、観光客も増えてきた。お互いに協働を模索し、観光と農業がうまくマッテイングした。能登にはそんな風が吹いている。藤井氏が発掘した記事だ。

⇒10日(木)午前・金沢の天気   くもり 

  
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★「もてなし」の神髄

2015年10月26日 | ⇒ランダム書評

  ことし6月に能登半島の和倉温泉で中学時代の学年同窓会があった。いわゆる「還暦同窓会」なので豪華に祝おうと、幹事たちが恩師もお呼びしてと選んだ会場が「加賀屋」だった。能登半島で生まれた者にとって、「加賀屋」は「最高のもてなし」の場なのである。そう気軽に行けるところではない。小さな企業や町内会では「加賀屋講」といって、お金を数年積み立てて行くことがある。加賀屋といえば、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(主催:旅行新聞新社)で35年連続総合第1位の評価を受けていることでも知られる。

  40名余りが参加した中学時代の学年同窓会は全員が赤いちゃんちゃんこを着て、記念写真を撮影してもらうなどいたれり尽くせりのサービスだった。翌朝、金沢に帰るため早めに加賀屋の玄関を出ると、女将が見送りに出ていたいので挨拶した。名刺交換をすると、なんとこの名刺が画像変化カードなのだ。見る角度によって画像が切り替わり、3画面(客室係が並んで挨拶、浴場から見える海、宿泊部屋)の絵柄が出現する。旅館の女将の名刺だと、角の取れた和紙をイメージするのだが、画像変化カードは意外だった。女将の名前は小田真弓さん、その小田さんが日経新聞出版社から本を出した。『加賀屋 笑顔で気働き~女将が育んだ「おもてなし」の神髄~』

  35年間連続第1位のエッセンスが描かれている。そのポイントは「笑顔で気働き」という言葉に集約されている。客に対する気遣いなのだが、マニュアルではなく、その場に応じて機転を利かせて、客のニーズを先読みして、行動することなのだ。たとえば、客室係は客が到着した瞬間から、客を観察する。普通の旅館だと浴衣は客室においてあり、自らサイズを「大」「中」の中から選ぶのだが、加賀屋では客室係が客の体格を判断して用意する。そこから「気働き」が始まる。茶と菓子を出しながら、さりげなく会話して、旅行の目的、誕生日や記念日などを聞いて、それにマッチするさりげない演出をして場を盛り上げる。たとえば、家族の命日であれば、陰膳を添える。客は「そこまでしなくても」と驚くだろう。しかし、それが加賀屋流なのかもしれない。小手先のサービスではない、心のもてなしなのである。

  女将の仕事はそうした気働きのできる客室係を育てることにある。「約50年間、加賀屋で仕事をしてきましたが、客室係の育て方にはいちばん気を遣い、試行錯誤をしてきました」。この実感は今でも続いているようだ。ほめる場面を探して「ありがとう」と声掛け、注意する際は言い分を聞いてから、自己啓発の機会を与える、普段から細やかなコミュニケーション、プロとしての正確性を養うなど、こうした人材の育てのノウハウは上下関係だけでは決して方はられないことがよく分かる。女将の存在が輝かなければ人はついてこない。

  その女将の存在とは、一面で経営者であることだ。陶器が載った料理の御膳は数㌔の重さがある、これを何度も客室に運ぶとなると体力を消耗する。そこで、料理自動搬送システムを導入して、皿を揺らさずに客室近くまで運搬する。これによって、客室係は接客に集中できるようになる。保育園付きの母子寮を造り、仕事場と保育園が内線で連絡しあうようにしている。客室係が安心して働ける職場とは、重労働からの解放や母子関係の細やかな配慮が必要なのだ。それには企業家として投資の覚悟が欠かせない。加賀屋の女将が輝くのは人を育てる細やかな気遣いと、人材こそ企業成長のエンジンとして投資する意欲だ。冒頭で述べた、画像変化カードの名刺は経営者としての小田さんの顔だったのかもしれないと、この本を読んで納得した。

⇒26日(月)朝・金沢の天気   はれ

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★歴史家の「闘争」

2015年07月05日 | ⇒ランダム書評
  かつて新聞記者としての経験から、インタビューには緊張があり、また相手から画期的な証言を引き出したときの醍醐味、そしてそれが記事になって世間に出た時の言い知れぬ喜び、というものがある。それはアカデミズムの世界でも共通なのだと実感した。人と向き合い、話を引き出すというのはある意味で闘争でもある。伊藤隆著『歴史と私~史料と歩んだ歴史家の回想~』(中公新書)を読み終えて、「老兵は死なず」の言葉を思い出し、著者に敬服した。

  現在80歳超えた著者は東京大学や政策研究大学院大学で、日本近現代史を切り開いた研究者である。本の帯にも書かれている通り、若き日の共産党体験や、歴史観をめぐる論争、伊藤博文から佐藤栄作にいたる史料収集と編纂の経緯を回想している。著書の後半では、岸信介や後藤田正晴、竹下登らへのオーラル・ヒストリーの秘話やエピソードが綴られていて興味深い。

  歴史学では主として文献から歴史を調べてゆくが、文献資料から知られる内容には限りがある。例えば、政策決定の過程を検討しようとしても、文献としては公表された結果のみで、どのようにそうした決定が行われたのかは、文書が残っていないことが多い(「ウィキペディア」引用)。オーラル・ヒストリー(oral history)は、当時の関係者にインタビューを行うことで、文書が残っていないことや、史料や文献からはわからないことを質問して、その史実や政策の過程などを埋めていく研究手法である。

  このコラムの冒頭で「闘争」と表現したのも、インタビューする側とされる側は常に向き合い、対峙する場面もあるからだ。著書でも、元警察庁長官で中曽根内閣の官房長官をつとめた後藤田正晴氏へのインタビューでは、「なんで君たちは俺の話を聞くのか」と何度も逆に尋ねられたり、「突っかかってくるような感じだった」と。そして、後に著者の身元調査もされたことが後藤田氏本人から告げられ、著者は「後藤田さんはハト派だけれども、やっぱり警察なんだなと、思ったものです」とエピソードを述べている。インタビュー相手から逆に調べられるといった緊張感は、文献を漁る研究では得ることができない、フィールド研究の醍醐味なのだ。このほかにも、「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家・岸信介やのオーラル・ヒストリーのエピソードも紹介している。内幕話では、読売新聞の渡邊恒雄氏へのインタビュー(1998年)がきっかけで、その連載を企画した中央公論社が読売新聞社に合併されるという「事件」も起きたこと。海千山千、手練手管の人物と貴重な証言を求めて対峙した回想録でもある。

  著書は、こうしたエピソードや秘話、個人史を織り交ぜながら、日本の近現代史の面白さを伝えているだけでなく、最後の部分にあるように、膨大な史料を次世代へ引き継ぐ歴史家の責任も語っている。史料を発掘し、歴史を描き、そして史料を保存して公開する。著者の歴史家としての闘争はまだ続いていると察した。

⇒5日(日)朝・金沢の天気    くもり
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☆共感する英語表現

2015年03月04日 | ⇒ランダム書評
  小泉牧夫著『世にもおもしろい英語』(IBC)に引き込まれた。還暦を機に英語を学び直ししている訳ではないのだが、友人から薦められて手に取った。英語習得のノウハウ本とはまったく違う、ある意味でマニアックな本だ。いくつか著書を引用して考察を交える。

  言葉は人間が使うものだから少々の感性のズレはあっても、似たような表現になる、それも英語も日本語でもある。日本語で「鼻差で」「間一髪で」という表現がある。鼻差で、あるいは髪の毛1本の差は、わずかの差でという意味だ。この表現は英語表現でも使われるという。たとえば、win by the nose あるいは win by a hair である。日本語を英訳したのではなく、もともとイギリスやアメリカでも使っている。

  そこで言葉というものを考えると、英語にしても日本語にしても、ルーツというか所詮は、口でしゃべり、耳で聞き、鼻で感じるといった人間の五感を他の人と共有したものだ。多少の違いがあっても、その五感が世界でほぼ共有されていれば、言葉の表現も自ずと似通ってくる。著書によると、たとえばアメリカの俗語で eye-opener という表現がある。「(目覚ましの)酒」「シャワー」という意味だが、ある事実を知って「目を見張る」「目が覚める」思いを表現で使われる。まさに日本語でも使う「開眼」「目が開かれる」である。

  色彩感覚にしてもそうだ。日本人は「けじめをつける」「単純化する」という意味を「白黒をはっきりさせる」という表現を用いる。小泉氏によれば、英語だと、a black and white issue は白黒がはっきりとした単純な問題となる。また、赤は「危険」「興奮」「怒り」「損失」など多様な表現をともなうと例が紹介されている。「red light」は信号の「止まれ」、「see red」は「怒り出す」など。もちろん、英語ならでは言い回しもある。「red herring」は直訳すれば「赤ニシン」だが、「偽の情報」といった意味がある。魚のニシンは酢やスパイスを混ぜて燻製にすると赤くなるそうだ。ただ強烈なにおいがする。イギリスではキツネ狩りに反対する住民らが動物虐待への抗議の意味で狩りの予定地にこの赤いニシンをまいた。すると、猟犬の嗅覚がおかしくなって寄り付かなかったというのだ。それがいまでは「ガセネタ」という風な表現として現代社会で生きている。

  著者はこうした事例を中心に「人生編」「仕事編」「洒落た表現編」「恐怖表現編」「動物編」というように生活感覚で解説、紹介している。英語習得のノウハウ本はこれまで何度も途中で放棄したが、これは一気に読んだ。歴史や風土は違うものの人としての五感や感覚はそんなに違わない。人体が同じだから。言葉表現の文法などは異にしても、根っこにある言葉の感性は同じだ、そう考えると英語に親しみがわいてくる。

  最後に、これまで日本人は自らの逆境を正直に「難しい」と表現してきた。しかし、アメリカ人は「difficult」と表現するより、「challenging」という表現を好むという。逆境は「姿を変えた幸福」だとの表現だ。今の日本の若い世代は後者の表現に共感するのではないか。人生を前向きに考えるヒントも与えてくれる。

⇒4日(水)朝・金沢の天気   あめ
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★草の根グローバリゼーション

2015年01月04日 | ⇒ランダム書評

  昨年3月に購入し、「積ん読」状態にしていた『草の根グローバリゼーション 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(清水展著・京都大学学術出版会)をこの正月三が日で読み切った。購入したきっかけは、本のタイトルだった。「草の根」と「グローバリゼーション」は相反するような言葉に思えるのだが、それをうまく統合して読み手のイメージをかきたてる。そして、本の終盤でその意味を謎解きし、「なるほど」と唸らせるのである。以下、勝手解釈で述べる。

  著者は京都大学東南アジア研究所に所属する文化人類学者。研究者の著書は読み辛いものなのだが、ジャーナリストのルポルタ-ジュを読んでいるような感覚でリズミカルに読めるのである。それは、本人が学術書というより、ルポを意識して書いているからだ。時には少し自らの感情も込めて。それは本人が第9章~「山奥どうし」の国際協力~で述べているように、1991年のフィリピン・ルソン島ピナツボ火山の噴火を目の当たりにして、それまでの文化人類学者の「冷静な観察」から踏み出して、「現場の問題と深くコミットしていくことを選んだ」といい、それを「コミットメントの人類学」「応答する(協働する)人類学」と称している。気が入っているから読みやすい、読ませるのである。ただ本人は「現場に深入りしたら研究ができなくなるかもしれないと恐れつつ」と躊躇したことも吐露している。

  本の主題はピナツボ噴火の被災地支援から同じルソン島イフガオの棚田を守る植林運動の2つのステージで関わった人々、村の現状をつぶさに観察すると、とてつもなくグローバル化していて、そして、その2つの支援活動に乗り出した兵庫県丹波篠山のNGOの活動の在り様が、フィリピンの山奥と日本の山奥のローカル同士の連携であり、「人々の生活をグローカルに再編成」であり、「希望の所在」と説く。

  著者がイフガオで関わった人々がユニークだ。イフガオ出身でOECD(経済協力開発機構)本部の国際公務員を辞して地元に戻ったキッドラット・タヒミック氏(映画監督)、その親友で植林運動を先導するロペス・ナウヤック氏ら。彼らは、先住民イフガオとしてのアイデンティティーを持ち、ローカルとグローバルを結び付けようと活動している。まさに「国際人」でもある。そして住民もまた香港、台湾、ドバイ、イスラエル、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イギリスなどへと家事手伝い(DH)、介護人、技師、職人、労働者として「海外出稼ぎ」に行く。しかも、英語ができる大学卒の高学歴者が海外就労に出かける。

  私はこれまで4度イフガオに出かけている。「グローバル」という言葉を現地で体感することがある。それは、村長であっても、学生であっても、スピーチがとても洗練されていることからも感じる。取って付けたような「田舎臭い」言葉ではなく、自己の置かれた立場の紹介、自分が分析するイフガオの現状の説明、自分ができることの可能性の3点をさらりと述べるのである。スピーチだけではない。フォーラムやワークショップといった発表の場づくりは色あいのよい看板、花飾り、民族踊りのアトラクションといった「場の演出」が必ずある。そして会場の雰囲気に堅苦しさがない。

  著者の結論が第10章~草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編~でまとめてある。6つの節のタイトルが面白い。「1・宇宙船地球号イメージ」「2・共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3・暗い未来に抗して」「4・グローバル化と地域社会」「5・『グローカル』な生活世界」「6・遠隔地環境主義の鍛え直し」。日本人の多くは地域は少子高齢化で廃れると思い込んでいる。ところが、イフガオでは農業離れによる棚田の存続という問題を草の根のグローバル化(人々の海外出稼ぎやNGOとの連携)をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークをつくることで問題解決しようと外に向けて努力しているのである。本章の締めくくりで筆者が述べている。「草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。これは日本のローカル課題の解決に向けたヒントではないだろうか。

⇒4日(日)未明・金沢の天気     くもり


  

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☆コメとTPPの考察

2013年10月08日 | ⇒ランダム書評
 「作るプロは売るプロでもなければならない」。単純だが、含蓄のある言葉だ。近正宏光著『コメの嘘と真実~新規就農者が見た、とんでもない世界!~』(角川SSC新書)はある意味で痛快だ。しがらみが一切ないのである。

 東京の不動産会社の社員(著者)が社長命令で、生まれ故郷の新潟でコメ生産を中心とした食糧事業部門を立ち上げる予定だったが、困難が待ち受ける。農地法に阻まれ個人負担で農業生産法人「越後ファーム」をつくり新規就農を始める。さらにそこから見えた農の世界。消費者のことなど一考もしない、「保護漬け」になり向上心を失った、コメの生産の場だった。農地法、農業委員会、村社会(兼業農家)など、コメを「ダメにした」存在と出会い面食らう。そこから著者が立ち上がる。機械化・大型化が条件の「集約型の米作農業」が不可能な中山間地=里山であえて耕作し、機械化・大型化とは真逆の「手作業農業」を選択するのである。

 現行のJAS法には規定がない高品質な有機技術を確立するとともに、様々な手間をかけたコメである強みを高付加価値化に転化する戦略を実践し、「コメの嗜好品化」を実現していく。それが東京の日本橋三越本店地階に出店するに至る。さらに、高付加価値米を生産する篤農家と組んだ「田んぼネットワーク」のコメを一堂に集めたショップも始める。

 著者のTPPに関する考えが読む者をはっとさせる。結論はこうだ。TPPに参加しようが、参加しまいが、日本の米作農業は既に破綻している、と。農地法や減反、戸別所得保障制度など様々なコメ農家への保護が行われているが、農家の平均年齢はサラリーマンが完全リタイヤする年齢である「65歳」を超えている。担い手はなく、大半の農家が兼業化した小規模農家である。耕作放棄地は増すばかりで、コメ一本で収入を安定させる農家は「絶滅危惧」の状態。つまり、既存のコメにまつわる保護農政を続けても「専業農家」は絶滅して行くことは誰の目にも明らか。とすれば、コメを広く市場開放し、農家も保護農業から脱却し、より切磋琢磨の努力をし、生産力と営業力を付け、付加価値を持つ農業人として自由競争すべき時期に来ていると主張するのである。

 結論を言えば、日本の米作農業を守るには、米作農家自らが強くなる以外に策はない、とうことだろう。国益を理由に世論を二分する「TPP問題」だが、もちろん、医療制度や貿易収支など広範囲であり、通商の専門家でない農業人(著者)が、TPP全体の是非論を語ることはできないにしろ、農家と保護行政の不都合な真実を突いている。これがコメづくりの正体だ、と。

 先日(10月6日)に台湾・東華大学社会貢献センターの教員たちが、金沢大学の能登での人材養成の取り組みについて視察に訪れた。その折、ブランド米について、新潟・佐渡のトキを育む水田のコメが2㌔1300円(精米)もしていると話した。すると、台湾の人たちは「それは台湾のデパートでは安い方だ。日本のコメを帰国にするときに買って帰る人が多い」という。日本のコメはすでに秋葉原で買う家電製品並みなのだ。著者の意図を、台湾の人たちの言葉が補ったような気がした。

⇒8日(朝)金沢の天気   くもり
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☆ドイツと日本

2013年10月06日 | ⇒ランダム書評
  この本は一度読んでみたかった。川口マーン恵美著『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社文庫)。よく大戦後の日本とドイツは比較される。なぜか、ドイツが「ナチス」のことをよく反省し、EUではよく主導権をとり・・・などと。「それに比べ日本は」などと隣国から揶揄される。では、ドイツと周辺諸国との現実はどうなのか知りたいと思っていた。

  本著での「我々は原爆を持っているが、ドイツはマルクを持っている」と、ドイツを見つめるフランス人の考え方が圧巻だ。これは1989年、「ドイツ統一とユーロ導入の裏事情」という下りで出てくる。ドイツの経済は強く、ミッテラン大統領はドイツが統一を望むならとユーロ導入を強力に勧めた。他国が望まなかったドイツ統一の代償として、ドイツはマルクを手放したという裏情報である。これは腑に落ちる。壮絶な政治的駆け引きがあったのだろう。でもドイツはその後、ユーロ導入で域内の関税はなくなり、為替変動のリスクもなく、輸出大国ドイツの地位を確立する。が、ギリシア財政危機が表面化し、ユーロ圏が一蓮托生となるとのドイツにも焦りが生じる。ドイツもユーロ圏を抜けたがっているのだろうと想像に難くない。それでも、ドイツは近隣から憎まれる。ドイツがギリシアに対して財政規律と緊縮財政を求めれば、求めるほど、ドイツのメルケル首相に「ナチの制服を着せたカリカルチュアがギリシアの雑誌に出回る」ことになる。ドイツも辛い。

  ヨーロッパを一つにしよという高い理想があっただけに、今や仲たがいの原因となっているとは皮肉だ。まして、EUの経済状態が確実に悪化しているのでなおさらだ。ところで、著者は着想はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とEUを比較して、日本に警鐘を鳴らしている。それは、TPPでは共通の通貨は持たないが、人と金、モノ、サービスの自由な流通を共通理念としている。これはEUと原則的に同じで、アメリカが主導するTPPはそういうことだったのかと気づかされる。

  TPPでは不都合なところがあれば、今後の交渉で解決すればよいというが日本はドイツ並みに外交交渉が上手かとなるといささか疑問だ。2020年のオリンピック招致ではなんとかうまくやり遂げたが、国際舞台の交渉の場ではどうだろう。メルケル首相のような手腕を安倍首相に期待できるのだろうか。筆者はいう、「日本語は非関税障壁なので、英語を公用語に入れろなどと言われかねない。日本人はそれでもいいのだろうか」と。

  EUの中のドイツと、TPPの中の日本は同じ役回りだとの下りは身につまされる。「ドイツから搾り取れるだけ取ってやれ」と思っている国はEUで多い。表現は露骨だが、「日本からいけだけるものはドンドンといただく」くらに思っている加盟国もいるのではないか、いや国とというもの大抵そうだと思った方がよいのかもしれない。その意味で、ドイツと日本は同じ運命、「5勝5敗」のイーブンなのだろうか。

⇒6日(日)夜・金沢の天気      はれ
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★食品添加物の「がん加算説」

2013年09月02日 | ⇒ランダム書評
  医学界では発癌(がん)のメカニズムについての有力な学説の一つに、「がん加算説」がある。種々の誘因によって、生体の細胞内の遺伝因子が不可逆性変化をおこし、その変化の加算によって細胞が癌性悪変へ進む、という。医学の素人なりにその状況を考えると、食品添加物や農薬、化学肥料、除草剤、合成洗剤、殺虫剤、ダイオキシン、排気ガスなど私たちの生活環境にある化学物質が体の中に入り込んで、その影響が蓄積(加算)されてがんが発生するということだろう。

  中でも食品添加物は直接体に入ってくる。食品添加物には合成添加物と天然添加物があるが、合成添加物はいわゆる化学物質、431品目もある。スーパーやコンビニ、自販機、また一部の居酒屋や回転ずしなどで購入したり食する食品に含まれる。長年気にはなっていたが、その数が多すぎて「どれがどう悪いのかよう分からん」とあきらめムードになっていた。たまたま薦められて、『体を壊す10大食品添加物』(渡辺雄二著・幻冬舎新書)を読んだ。10だったら、覚えて判別しやすい、「買わない」の実行に移せる。

  著者は私と同じ1954年生まれ。著書で出てくる食品添加物にまつわる事件については世代間で共有されていて実に鮮明に思い出すことができる。以下、著書を読みながら記憶をたどる。国が認めた食品添加物で、初めて安全神話が崩れたのは1969年の中学生のとき。当時、「春日井のシトロンソーダ」などの粉末ジュースを愛用していたが、人工甘味料の「チクロ」が発がん性と催奇形性(胎児に障害をもたらす)があるとして突然使用禁止になった。突然というのは、国内で議論があったのではなく、FDA(アメリカ食品医薬品局)の動物実験で判明し、日本も追随したという経緯だ。その2年後にも事件が起きた。魚肉ソーセージだ。「AF-2」という殺菌剤は細菌の遺伝子に異常を起こし無力化するという効果があったが、同時に人の細胞にも作用し、染色体異常を起こすことが分かったのだ。粉末ジュースと魚肉ソーセージは当時の中学生のアイテム商品だった。その禁止理由がよく分からなかったので「こんなうまいもん。なんで禁止や」と理不尽さを感じたものだった。

  この著書を読みたくなったきっかけがある。大学の先輩教授が、過日、成田空港のすし屋でヒラメやエビ、アワビなど堪能した。「ちょっと消毒臭い」と感じたらしいが、味もよく食欲があったので10皿ほど積み上げた。ところが、「ホテルに帰って最近になく胃がもたれた」と話していた。その話を聞いて、食べ過ぎというより添加物かもしれない、それにしても生鮮食品になぜ添加物なのかと疑問に感じていた。本著ではまさに、すし屋の食材と消毒剤の次亜塩素酸ナトリウムの下りがある。すし屋や居酒屋の場合、生食を扱うため、食中毒のリスクを恐れる。そのために、仕入れ段階から過敏になっている。そこをよく知っている魚介類の加工会社が次亜塩素酸ナトリウムを使って店に出荷する。ところが、すし店や居酒屋できっちりと洗浄して、在留がないようにすれば問題ないが、手抜きがあると「消毒臭い」となる。

  よかれと思ったことが、裏目に出る。あるいは企業の過剰な防衛意識が消費者の健康をむしばむ。外国からかんきつ類(オレンジやグレープフルーツなど)を空輸する場合、防カビ剤「TBZ」「OPP」が使われる。発がん性や催奇形性の不安が指摘されるが、厚労省は認めている。アメリカとの貿易に絡んでの圧力があるのではないかと本書で指摘している。ことし春には中国からの大気汚染「PM2.55(微小粒子状物質)」が問題となっている。「がん加算説」の現実味を感じる。

⇒2日(月)金沢の天気    あめ

  
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☆里山資本主義

2013年08月06日 | ⇒ランダム書評
  能登半島の里山にはイギリス人、そしてアメリカ人の家族がいる。それぞれの里山生活歴はやがて四半世紀(25年)にもなる。その一人、渡辺キャロラインさんはアメリカ・ニュージャージー州出身で、コロンビア大学で日本語を学んだ後、陶芸家の日本人と知り合いになり、珠洲市に移住してきた。長男をもうけたが、夫をがんで亡くした。「女手一つ」で子どもを育てた。現在も英会話教室の講師、そして陶芸家として活躍する。

  そのキャロラインさんの自宅を過日訪ねた。山の中腹、森林の急な坂道を抜けるとログハイス風の住宅と陶芸工房が見え、北アメリカの風景が広がる。家畜小屋を譲り受けて改築してつくったという自宅は薪ストーブがある洋風のこじゃれた住宅だ。自分で薪をつくるというキャロラインさんの腕は太い。冬場には2時間、3時間も雪かきをするという。ここでコメをつくり、ニワトリとミツバチを飼う。「スーパーが遠いのでなるべく自給しているの」と笑う。この地域では知れた「二三味(にざみ)焙煎」のコーヒーをいただいた。ふくよかな香り、おいしい。いろいろなご苦労も察するが、キャロラインさんは笑ってこう話す。「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊かですよ」

 キャロラインさんの話を思い出しながら、『里山資本主義』(著者:藻谷浩介・NHK広島取材班)を読んだ。消費生活と呼ばれる現代の都会の暮らしと対極にあるのが、山林や山菜、農業など身近にある資源を活用して、食糧をなるべく自給し、エネルギーも自ら得て暮らす、地方の自立的な暮らし方である。著者は、前者をマクロ的に表現して「マネー資本主義」と称し、後者を「里山資本主義」と名付けている。後者、たとえばキャロラインが語った「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊か」な経済的な暮らしは「贈与経済」とも呼ばれてきた。「里山の資本=資源」で暮らすライフスタイルという意味であり、独特の金の流れ(金融)があったり、経済構造を抜本的に変えるというわけではない。

 むしろ、著者が説くのは、現在のマネー資本主義はシステムも人々の心も病んでいるので自壊する可能性もある。里山資本主義は、人々の取り組みが拡大すれば過疎の町に雇用が生まれ、域内でお金が回り、ある意味で持続可能なシステムなので、マネー資本主義、グローバル経済が破たんしたときのサブシステムとして「担保」しておけという壮大な話なのである。その意味では、「里山資本主義」は絶妙なネーミングである。

 理論だけを論じているのではない。NHKの取材クルーが森林国オーストリアでの里山資本主義の事例を紹介している。強度の高い集成材が開発され木造ビルが普及し、エネルギーもアラブ石油に依存しない体質へと構造転換が始まっている。日本でも、岡山県では製材所での木くずでバイオマス発電で行い、さらに木くずをペレット燃料に加工して、地域の家庭の暖房などに使っている。この取り組みがモデルとなり、森林国日本でも各地の広がりつつあると紹介している。鉄筋センメトから木造へ、石油からバイオマスエネルギーへ、搾取から共生へ、経済のあらゆるモデルを最先端技術で古くて新しい経済モデルに再生する試みが世界で日本で起きている。里山には少子化や年金問題、「無縁」社会といった日本の不安を解決するヒントも潜んでいると著者は説く。

 里山から若者たちが出ていく。「田舎に仕事がない」と。でもそれは間違い。雇用がないだけで、仕事は山ほどある。著書はそんなことも教えてくれる。

⇒6日(火)夜・金沢の天気    はれ
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☆海女、美のフォルム

2013年04月25日 | ⇒ランダム書評
  「海女さん」が注目されている。今月から始まった、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は初回視聴率20.1%(ビデオリサーチ・関東地区)で、2006年の「芋たこなんきん」以来の20%超だそうだ。ドラマの舞台は三陸地方の海女の町で、ヒロイン天野アキ(能年玲奈)が海女をめざし、地元のアイドルになって町を元気にしていくという単純なストーリーなのだが、明るくほのぼのとしている。連続テレビ小説と言えば、1週間の間に起承転結があって、暗い場面があるが、その点、この「あまちゃん」は楽しく明るいのだ。

  朝日新聞の書評欄に『海女(あま)のいる風景』(大崎映晋著・自由国民社)=写真=を見つけ、本を書店に注文した。大正9年(1934)生まれで、水中撮影家でもある著者は昭和30年代から全国の海女村に取材に出向き、特に石川県輪島市の舳倉島(へぐらじま)に通い、当時は普通だった裸海女の仕事ぶりを撮影した。その写真が多数収録されているというので、価値があると思い、注文した。当時の裸海女の写真はモノクロではいくつか本がある。ただ、カラー写真はお目にかかったことがない。届いた本の写真は予想通りカラーだった。水中を潜る裸海女の写真は、まるで人魚のような美しさである。それはまったく無駄のない、潜水技術の洗練されたフォルムなのである。素潜りで数分のうちに、岩にへばりついたアワビを見つけ、剥ぎ取るのである。採取ではない、海底でへばりついたアワビと格闘する、まさに自らの命をかけた狩猟なのである。英語での表記は female shell diver だ。

  自分自身も新聞記者時代に舳倉の海女さんたちをルポールタージュ形式で取材した。1983年ごろ、今から30年も前の話になる。いまでも、輪島市では200人余りがいる。もうそのころは『海女(あま)のいる風景』で紹介されているような裸海女ではない。ウエットスーツを着用していた。もちろん素潜りである。そのころ、18㍍の水深を潜ってアワビ漁をしていた海女さんたちがいた。このように深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。重りを身に付けているので、これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、夫が船上で、命綱からクイクイと引きの合図があるのを待って、妻でもある海女を引き上げるのだ。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と今でも呼ばれている。

  海女さんから一つ、怖い話を聞いたことがある。アワビが大好物なのは人間だけではない。ウミガメも大好きなのだ。海女さんが採ったアワビをめがけてウミガメが食らいついてくることがある。そんなときは、アワビを捨てて逃げるのだそうだ。アワビが分厚い殻で岩にへばりつくのも、大敵ウミガメから身を守ることだったのだとこのとき知った。

  海女さんという生業(なりわい)は注目されている。2010年6月、「輪島海女採りあわび」「輪島海女採りさざえ」が商標登録された。アワビとサザエの商標登録は国内で初めてだそうで、ブランド化するまでになった。また、ことし10月に輪島市で、全国各地の海女さんたちが集う「海女サミット」が開催されると報じられている。海女の伝統漁法と文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指している。

  私が知る海女さんたちは実に気高く、人に媚びようとしない。素潜りにより自然と向き合い、共生しながら漁をする海女さんたちの生き様、その知恵がもっと見直されていい。

⇒25日(木)夜・金沢に天気   はれ
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