自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆2025能登レジリエンス元年~③

2025年01月04日 | ⇒トピック往来

  昨年元日に震度6強の揺れに見舞われた被災地の正月の様子を見にきのう(3日)輪島市に日帰りで行ってきた。同市河井町の重蔵(じゅうぞう)神社へ初詣に。同神社は地震で本殿や鳥居などに大きな被害を受けた。拝殿は木柱で支えられ、壁にはブルーシートが掛けられていた。このため、境内ではテントの中に仮設の祭壇が設けられ、初詣客が訪れていた=写真・上=。

        輪島・テントの仮設祭壇で初詣  珠洲・全国から復興祈願の絵馬

  テントにいた氏子総代の人の話によると、ことし元日の午前9時からテントの中で地震と豪雨の犠牲者を悼む慰霊祭と復興祈願祭が営まれたという。「初詣に来られている地域のみなさんはことしの平穏無事を祈っておられます」。金沢大学の学生がボランティアで支援に入っていて、テントの中へ参拝客の誘導など行っていた。名古屋から帰省し初詣に訪れたという女性は「テントでの参拝は初めてですが、復興への祈りは同じなので気持ちを新たにすることができました」と話していた。

  先月27日に珠洲市三崎町にある須須(すず)神社に出かけた。この神社には全国から復興祈願の絵馬が届いているという。神社の入り口には「復興成就 開運祈願絵馬」の札掛け所が設けられ、ずらりと絵馬が並んでいた=写真・下=。読むと、「石川県の人たちに笑顔が戻ってきますように願っています」「能登半島が一日でも早く復興されることを祈ってます」と兵庫県や北海道など各地から届いていた。報道によると、須須神社の神職が去年10月に北海道から送られてきた絵馬を写真投稿サイトで紹介したところ、全国から絵馬が届くようになり、その数は280枚に上っているという。

  境内に地元の人がいたので尋ねると、震災前から須須神社には北海道から寄進などがあったという。今回の地震で損壊した鳥居は札幌市に住む人からの寄進だった。明治時代の初期から北前船でこの地から北海道へ開拓に行き、成功を収めた人たちも多くいた。「須須神社はふるさとみたいなもんだろう」とシニアの男性が解説してくれた。最初に北海道から届いた絵馬も能登にゆかりのある人だったのだろうか。時代を超え、地域を超え、復興を祈る気持ちが全国から寄せられている。

⇒4日(土)午後・金沢の天気    くもり

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★2025能登レジリエンス元年~②

2025年01月03日 | ⇒トピック往来

  それにしても不気味な逮捕劇だ。元日の1日午後、石破総理らが出席した能登半島地震と奥能登豪雨の追悼式会場の近くで果物ナイフやカッターナイフなど5本の刃物を所持していた兵庫県西宮市の大学生が銃刀法違反の疑いで逮捕された。逮捕の場所は式典会場の日本航空学園能登空港キャンパスに隣接する能登空港の駐車場。警備に当たっていた警察が、柱に姿を隠すような不審な動きをする容疑者に職務質問して発覚した。容疑者は「観光に来た」などと供述しているという(地元メディア各社の報道)。

     輪島・千枚田の歴史といまを支える「困難を乗り越える力」

  話は変わる。シリーズタイトルに使っている「レジリエンス(resilience)」という言葉を初めて耳にしたのは14年前だった。2011年6月に国連食糧農業機関(FAO)から能登半島の「能登の里山里海」が世界農業遺(GIAHS)に認定され、当時のGIAHS事務局長パルビス・クーハフカン氏が認定セレモニーのために能登を訪れた。そのとき、輪島市の棚田「千枚田」を見学した。案内役の輪島市長、梶文秋氏(当時)が千枚田の歴史について説明した。

  千枚田では1684年に大きな地滑り(深層崩壊)があり、山ごと崩れた。深層崩壊が起きた理由の一つが山からの地下水が地盤を軟弱化させたことだった。地域では棚田を再生するあたって、その地下水を田んぼに流し込み、その水がすべての田ぼに回るように水路設計が施された。つまり、用水からの分岐ではなく、田から田へ水が流れるような仕組みにした。この知恵と工夫で災害地を生産地として回復させた。この説明を受けたパルビス氏は「すばらしい景観と同時に農業への知恵と執念を感じる。千枚田は持続可能な水田開発の歴史的遺産、まさにレジリエンス(困難を乗り越える力)のシンボルだ」と感想を述べた。(※写真は、能登地震で多くの田んぼに亀裂が入ったものの、120枚が耕作され稲刈りを終えた輪島の千枚田=去年9月撮影)

  このときパルビス氏が語った「レジリエンス」はその後のFAOの公式サイトでも活かされている。「能登の里山里海」について以下のように紹介している。The communities of Noto are working together to sustainably maintain the satoyama and satoumi landscapes and the traditions that have sustained generations for centuries, aiming at building resilience to climate change impacts and to secure biodiversity on the peninsula for future generations.(意訳:能登の地域社会は、何世紀にもわたって何世代にもわたって受け継がれてきた里山と里海の景観と伝統を持続的に維持するために協力し、気候変動の影響に対するレジリエンスを構築し、将来の世代のために半島の生物多様性を確保しようとしている)

  千枚田のレジリエンスはいまも続いている。人手不足が生じたことから、棚田景観を守るために先駆けて2007年から「棚田のオーナー制度」を導入。また、昨年元旦の地震では多くの田に亀裂が入ったため、クラウドファンディングで資金を集めて修復作業を行い、1004枚の田んぼのうち120枚の耕作にこぎつけた。作業はその後も徐々に進められている。ひたむきなアイデアと地道な努力で千枚田の再生してきた。能登のレジリエンスの原点と言えるかもしれない。

⇒3日(金)夜・金沢の天気    あめ

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☆2025能登レジリエンス元年~①

2025年01月01日 | ⇒トピック往来

       昨夜は十何年かぶりにNHKの番組『紅白歌合戦』を視聴した。「NHK紅白」にチャンネルを合わせたのは、石川さゆりさんの歌声を聞きたかったからだった。昨年元日に能登半島地震があり、彼女がどのような想いを込めて「能登半島」を歌うのか、ぜひ聴きたかった。歌う前に被災地に向けてコメントを発していた。「復興への道のり、まだまだ遠いと思います。皆さんの元気な笑顔と、そして平凡な日常が1日も早く戻りますように心を込めて歌います」と。

 石川さゆり「能登半島」に込めた想い 元日「追悼式」に絶望から希望の言葉

  「♪ 十九なかばで恋を知り あなた あなた 訪ねて行く旅は 夏から秋への能登半島」。恋焦がれる女性の想いが込められたこの歌は能登への旅情を誘う。昭和52年(1977)にリリースされたこの曲は当時、能登観光にブームをもたらした。翌53年の統計で半島の尖端、珠洲市への日帰り客数は130万人を記録した(三菱UFJリサーチ&コンサルティング「平成22年度旧きのうら荘見直しに係る検討業務報告書」)。その記録はまだ塗りかえられていない。

  その石川さゆりさんは地震後たびたび能登の被災地を訪れ、避難所や仮設住宅で暮らす被災者を励ましてきたことから、今月29日付で能登町の「復興応援特命大使」に任命されたと報じられている(地元メディア各社)。石川さんは「能登のみなさんのお気持ちを思いながらしっかり歌いたい」と誓い、能登町長は「復興に向けたメッセージをいろいろなところで発信していただきたい」と期待を寄せた。(※写真・上は、NHK『紅白歌合戦』で「能登半島」を歌う石川さゆり)

  話は変わる。元日のきょうは「追悼の日」でもある。輪島市にある日本航空学園キャンパス体育館では能登地震、ならびに9月の奥能登豪雨の犠牲者を弔う追悼式が営まれ、本震があった午後4時10分に黙とうを捧げた。能登地震では石川、新潟、富山3県で504人、奥能登豪雨で16人が亡くなっている。参列者は犠牲者の遺族に限られ、石破総理や岸田前総理も参列した。追悼式のほか、関係する自治体など10ヵ所では献花台が設けられた。自身も石川県庁(金沢市)で設けられた献花台に花を捧げてきた。

  献花台の上部にはテレビモニターが置かれ、輪島での追悼式の様子がリアルタイムで視ることができた。震災で父を亡くし、経営してた衣料品店が全壊したという遺族代表の女性の言葉が印象的だった。「絶望感に打ちひしがれ、店を再建することはもう無理だと考えるようになっていました。また地震が来たらどうなるのか、と。そんな中で、地域の方々から『無理せんでいいよ。まっとるからね』との温かい言葉があり、背中を押されました」「私たちの店は、この地域に支えられてここまで来ることができたんだと、少しずつ前向きな気持ちになることができました」「そして仮設商店街に何とか店を構えることができました。それが亡くなった父への感謝であり、地域の皆さんへの恩返しであると考えています」

  オーケストラアンサンブル金沢のメンバーによる弦楽奏がしめやかに流れる中、参列した遺族320人による献花が行われた。人それぞれ、人生の復興へのドラマがこれから始まる。遺族代表の女性の言葉や石川さゆりさんの「能登半島」を聴いて、そんなことを思った。(※写真・下は、追悼式の県庁献花台の様子。午後4時10分に黙とうが捧げられた)

⇒1日(水)夜・金沢の天気    くもり

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