優れた芸術家に贈られる第35回高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)に建築家の坂茂(ばん・しげる)氏ら5人が選ばれ、今月19日に授賞式が東京で開催された。坂氏は建築作品をつくりながら、自然災害や戦争の被災者の住環境を改善する活動家でも知られる。報道によると、受賞者を代表してあいさつした坂氏は「受賞されたみなさんも美しいものを追求しているだけではなく、社会的な問題を批判したり、その解決策を提案しているアーティストだと思う」と述べ、「受賞を励みに世界中で社会貢献活動をしていきたい」と力を込めた。
このニュースを見て、坂氏の受賞を喜んでいるのは能登半島の尖端、珠洲市の泉谷満寿裕市長ではないだろうかとふと思った。このブログで何度か取り上げたが、同市と坂氏の関わりは深い。自身が初めて坂氏の作品を見学したのは去年5月15日だった。その10日前の5日に同市で震度6強の地震があった。被災地を歩ていると、泉谷市長から声をかけられた。同市とは金沢大学の地域連携プロジェクトで協力関係にあったので、これまでも市長から何度か声をかけていただいた。
立ち話で「バンさんのマジキリがすごいので見に行かれたらいい」と。「バンさんのマジキリ」の意味が最初は分からなかったが、とりあえず近くの公民館に見に行った。公民館は被災者の避難所になっていた。館内を見ると、マジキリは避難所のパーテーションのことだった。常駐スタッフの説明では、建築家の坂茂氏が被災した人々にプライバシーを確保する避難所用の「間仕切り」の支援活動を行っていて、同市に寄贈されたものだった。間仕切りは木製やプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。カーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない=写真・上=。中にあるベッドもダンボールだ。環境と人権に配慮した建築家の工夫がそこに見えた。
坂氏は1995年の阪神大震災を契機に災害支援に取り組んでいて、珠洲市での地震でもいち早く行動を起こした。これがきっかけで、坂氏の名前を初めて知った。(※マジキリはその後、公民館から撤去されている)
再び坂氏の作品を目にしたのはその年の秋に珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」だった。急な坂道を上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が見渡せる。海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長い建物「潮騒レストラン」があった。一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した日本初の建造物、とある。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。まさにこの発想がアートだと感じ入った。
話は前後するが、5月の地震でのマジキリは、坂氏が芸術祭の作品の打ち合わせで以前から珠洲市の現地を訪れていたこともあり、設置の話がスピード感をもって進んだようだ。
もう一点。元日の最大震度7の能登地震で、珠洲市に坂氏が監修した仮設住宅が整備された=写真・下=。木造2階建ての仮設住宅は木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を積み上げ、箱形のユニットとなっている。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。観光名所でもある見附島近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで海辺の別荘地のような雰囲気を醸し出していた。
能登の尖端で見た3作品から、世界中で社会貢献をしていきたいと提案型の作品をつくり続ける坂氏の建築家としての使命感が伝わってくるようだった。
⇒21日(木)午後・金沢の天気 あめ