自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★震災から5年、熊本城は復旧半ば

2021年04月14日 | ⇒ドキュメント回廊

   5年前の2016年4月14日、熊本地方を震源とする最大震度7の地震が発生した。その28時間後にも再び震度7の地震に見舞われた。その後も震度6弱以上の地震が7回発生した。2度の震度7の揺れで被害を受けた熊本城は天守閣や石垣などが崩れ、被災のシンボルでもあった。震災から6ヵ月後となる10月8日に被災地を訪ねた。

   当時テレビで熊本城の被災の様子が報じられていた。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた「飯田丸五階櫓(やぐら)」を見に行った。ところが、石垣が崩れるなどの恐れから城の大部分は立ち入り禁止区域になっていて、見学することはできなかった。ボランティアの腕章を付けた女性がいたので、「被災した熊本城でかろうじて残った縦一列の石垣で支えらた城はどこから見えますか」と尋ねた。すると、「湧々座(わくわくざ)の2階からだったら見えますよ」と丁寧にもその施設に案内までしてくれた。

   「湧々座」は熊本城の近くにある県の施設で、飯田丸五階櫓の様子がよく見えた。応急工事が施されていた。ボランティアの女性の説明によると、櫓の重さは35㌧で、震災後しばらくはその半分の重量を一本足の石垣が支えていた=写真・上、熊本市役所公式ホームページより=。まさに「奇跡の一本石垣」だった。それを高さ10㍍の「コ」の字形の鉄骨の架台で櫓を支え、一本足の石垣の倒壊を防いでいるのだと説明してくれた=写真・下=。湧々座からの見学後、熊本城の周囲をぐるりと一周したが、飯田丸五階櫓だけでなく、あちこちの石垣が崩れ、櫓がいまにも崩れそうになっていた。

   熊本城は築城の名人として知られた加藤清正が慶長12(1607)が築いた。「日本一の名城」は熊本市民の誇りであり、城の復旧は「熊本復興のシンボル」でもある。天守閣が復旧工事を終え、今月26日から内部が一般公開される。しかし、崩れた10万個にもおよぶ石垣を元に戻す作業は時間がかかる。飯田丸五階櫓もようやく石垣部分の積み直しが終わったものの、建物部分はまだ解体されたままとなっている。復旧工事は2037年度まで続く(熊本市役所公式ホームページ)。名城の復旧には時間がかかる。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   はれ


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