自在コラム

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★能登半島地震 仮設住宅を3階建てに 珠洲市長が要望

2024年01月15日 | ⇒ドキュメント回廊

   元旦の能登半島地震から2週間経った。石川県危機管監室がまとめによると、きょう15日午前9時現在で犠牲者は221人(珠洲市99人、輪島市88人、穴水町20人、能登町6人ほか)、うち災害関連死は13人となっている。地元紙の朝刊に「おくやみ欄」がある。亡くなった人の通夜と葬儀の日時、喪主名、遺族の話が短文で紹介されている。震災で亡くなった人たちのおくやみも掲載されている。それは、死亡日が「1日」あるいは「2日」となっていることから推察できる。

   きょうの地元紙には、震災の犠牲者を荼毘に付すことすらままならない現状が記事として掲載されている。犠牲者が多く出た奥能登には輪島市、珠洲市、能登町の3ヵ所に火葬場があるものの、火葬炉計8基のうち6基が被災して使えない状態になっている。6基の復旧のめども立っていない。このため、災害時の協定に基づき、金沢市など他市町の火葬場に遺体を搬送することになる。このため、12日からは全国から寝台車15台の応援を受けて搬送を行っている(15日付・北陸中日新聞)。

   奥能登から金沢に遺体を搬送するだけでも5時間ほどかかる。そして、葬儀を終え、火葬を済ませたとしても納骨がままならない。前回のブログでも述べたように、奥能登の墓地は崩れるなどかなりのダメージを受けている。

   話は変わる。珠洲市の泉谷満寿裕市長は県が着工した応急仮設住宅に関し、建設用地不足への対応策として、東日本大震災で3階建て仮設住宅を手掛けた、建築家の坂茂(ばん・しげる)氏に設計を依頼できないか、県に働きかける意向を示している(15日付・北國新聞)。同市は約6千世帯で、今回の震災で仮設住宅を必要と市民は4千世帯と見込んでいる。

   坂氏は1995年1月の阪神淡路大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、2011年3月の東日本大震災では、住居用に加工した海上輸送用コンテナを使った3階建ての仮設住宅を宮城県女川町で手掛けている=写真・上、「坂茂建築設計」公式サイトより=。限られた土地により多くの戸数を確保するという画期的なシステムでもあり、泉谷市長が仮設住宅を手掛ける県に提案するのだろう。

   坂氏は去年5月5日に珠洲市を襲った震度6強の地震の際も避難所にプライバシーに配慮したダンボール製の間仕切りを寄贈している。坂氏の間仕切りは、今回の地震でも能登の被災者の二次避難所となっている金沢市の体育館にも寄贈され、使われている=写真・下、同=。個室には透けないカーテン布が張られ、中にあるベッドもダンボール。環境と人権に配慮した避難所なのだ。

⇒15日(月)夜・金沢の天気   くもり時々あめ


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