世界には、まだまだ波乱含みの国家が沢山あります。 本当は、日本も人事ではない状況ですが、国民が思考能力を奪われ、只管、洗脳されて骨抜きになっているから、混乱は起きていません。 日本人は、それを国民が賢明であるからだと勘違いしています。 このまま、国民が目覚めなければ上手くいくでしょう。 ただし、国民が思っているように、日本という国が今のまま世界で認められた状態がずっと、続くかどうかは別の問題です。
国家として成長を続けるには、欠けている部分が多過ぎます。 アメリカが自由という原理に陶酔しているように、日本も偏った思考に陥って自浄努力や成長するための努力をする気力を失っています。 国会での討論を聞いても、メデイアでの主張を聞いても、口先での言い回しばかりに長けていて、本音を探れば怠慢の正当化ばかりです。
ボランテイアや社会奉仕を奨励する昨今の風潮の背景にあるのは、その関係の職務にある立場の人間の怠慢です。 民衆参加を掲げた裁判員制度などは、その最たるものです。 公の、特に責任ある立場の人が、民間の協力に頼るのは、最後の最後でなければいけません。 警察にしても、検察にしても、法曹界全体も職務、職域を曖昧にするのは、背景に怠慢即ち、ズルがあります。 自分の中に、このズルを肯定するようになると、組織は腐敗するのです。 社会も個人も同じです。
人間、自分には厳しくなくてはなりません。 その意味で、日本人ほど自分に甘い人種はありませんね!
国家として成長を続けるには、欠けている部分が多過ぎます。 アメリカが自由という原理に陶酔しているように、日本も偏った思考に陥って自浄努力や成長するための努力をする気力を失っています。 国会での討論を聞いても、メデイアでの主張を聞いても、口先での言い回しばかりに長けていて、本音を探れば怠慢の正当化ばかりです。
ボランテイアや社会奉仕を奨励する昨今の風潮の背景にあるのは、その関係の職務にある立場の人間の怠慢です。 民衆参加を掲げた裁判員制度などは、その最たるものです。 公の、特に責任ある立場の人が、民間の協力に頼るのは、最後の最後でなければいけません。 警察にしても、検察にしても、法曹界全体も職務、職域を曖昧にするのは、背景に怠慢即ち、ズルがあります。 自分の中に、このズルを肯定するようになると、組織は腐敗するのです。 社会も個人も同じです。
人間、自分には厳しくなくてはなりません。 その意味で、日本人ほど自分に甘い人種はありませんね!