テレビで、聞く耳を持たない国会議員の話が出ましたが、ここにも日本語の難しさがあります。 聞く耳がないとは、聞く気がないのか、聞く能力がないのか、のどちらかです。 国会議員だけでなく、あらゆる場面に、考えされられてしまう現象が多いですね! 聞く耳があるというのは、聞いてみて、その意見を検証して、判断し、行動するのが聞くという行為である事です。
最近の議論と言われる場面でも、単に耳にしただけの行為しかしていないのを”聞いたんだ”と勘違いしてしまっている人の多い事! 以前、このブログでも考えるという行為には、結果を伴った行動があって初めて考えたという行為となるのだと言ったことがありますが、聞くという行為も同様です。 単に耳に入れただけの行為を聞いたと勘違いしているのです。
以前の小泉さんや、今回の菅さんがその典型です。 彼達は聞く耳を持たないのでは無く、聞くという行為を成す能力が無いのです。
今の日本人には、このタイプが大変多いのです。 それは、教育に問題があります。 記憶することだけに偏った学問の所為です。 得た知識を、自分の中で検証し、判断して取捨選択するような学習をしていないから、メデイアから得た情報なども鵜呑みをすることしかしないのです。 考えた気持になっただけで、ただ記憶して反復するのが勉強であり、努力であると考えてしまっています。 大人になるまでそういう経験しかしていない人には、とてもメデイアの似非情報は見抜けません。
最近の議論と言われる場面でも、単に耳にしただけの行為しかしていないのを”聞いたんだ”と勘違いしてしまっている人の多い事! 以前、このブログでも考えるという行為には、結果を伴った行動があって初めて考えたという行為となるのだと言ったことがありますが、聞くという行為も同様です。 単に耳に入れただけの行為を聞いたと勘違いしているのです。
以前の小泉さんや、今回の菅さんがその典型です。 彼達は聞く耳を持たないのでは無く、聞くという行為を成す能力が無いのです。
今の日本人には、このタイプが大変多いのです。 それは、教育に問題があります。 記憶することだけに偏った学問の所為です。 得た知識を、自分の中で検証し、判断して取捨選択するような学習をしていないから、メデイアから得た情報なども鵜呑みをすることしかしないのです。 考えた気持になっただけで、ただ記憶して反復するのが勉強であり、努力であると考えてしまっています。 大人になるまでそういう経験しかしていない人には、とてもメデイアの似非情報は見抜けません。