特定な人にとって必要なものが、世界にとって必要なのでしょうか?
オリンピックは世界の人に必要?あらゆるイベントが世界の人に必要?
それでは酒やタバコは人間にとって、必要なものでしょうか?
日本のように法律や医療、教育まで数ある思考の中で、色んな解釈により方向をネジ曲げて正当化してしまっているのが現実です。
私は酷い弁護士や医者を見て来た経験から、このような身勝手な解釈で民衆を丸め込もうとする連中が社会に溢れていることを知っています。
裁判所が言うことだから、弁護士が言うことだから、医者が言うことだからと言って信用する人も、その人の勝手ですが、何処まで信用して良いのか?考えるべきです。
過去に筋肉注射のミスで酷い目に合った経験が有ります。法曹界でも、条文の解釈の段階で、法務局の一方的な判断を押し付ける慣習を作り上げて、ゴリ推しをする関係者を見て来ました。
彼らは、解釈が正しいか?など考えないのです。仕事として、より容易に事が進められるかが優先されてしまうのです!
日本の場合は憲法から法律、地方の条例まで条文の表現に数多くの問題が有ります。日本語の持つ特質から、解釈が難しい条文が沢山有り過ぎるのです。
すると、1つの条文が幅広く解釈出来てしまうのです。その場合は両極端の結論が出ますが一度、裁判で判断されてしまうと極端な一方が正しいとされてしまいます。過去の判例に倣う考えが浸透しているのは、この判例重視の使い良さから来たものです。
このような御都合主義が日本には蔓延しているのです。あらゆる方面に、この御都合主義が便利なものとして、利用(悪用)されて来たのが日本なのです。
確かに、便利なものを利用したいのは解らない訳ではありませんが、何事も程度の問題です。日本の場合は、便利ばかりが優先され過ぎているのです。
極めて危険な部分まで、御都合主義が優先され人間が便利ばかりを重視した為に、民主主義が崩壊し始めています。大変、危険な状態まで来ているのです!