ふかよんライフスタイルファンド日記Ⅱ

生活・仕事・遊びのポートフォリオを重視し、ライフスタイルの「運用」を考えていきます。

正岡子規 「病牀六尺」

2007-08-19 19:56:10 | Weblog
二十一
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

因(ちな)みに問ふ。狗子(くし)に仏性(ぶつしよう)有りや。曰(いわく)、苦。また問ふ。祖師(そし)西来の意は奈何(いかん)。曰、苦。また問ふ。………………………。曰、苦。(六月二日)

-----------------------------

子規は病床にあって、耐え難い肉体の苦痛の中での「悟り」を記したのだと思うのですが、健康体であっても、平気で生きることは難しいことですね。

今日はテレビで世界陸上の特集やバレーボールをやってますが、選手は記録や順位など、喜びや落胆といつも一緒なのです。

仕事をしていても、喜びや落胆があり、一喜一憂ということになることもあることでしょう。

スポーツも仕事も、結果を求められることは同じだと思います。

私は、仕事で結果を追求しながらも、如何なる場合にも平気で生きて居る事ができるようにしたいと思います。

最近、結果に対しても平気になりつつあるのではないかというのが、私の一つの懸念です。

年齢が進み、結果に対しても私は平然としていられるように変わってきているような気がするのです。

時間の感覚がなくなりそうになることもありますね。

単に年齢だけのせいでしょうか?

だんだん些細なことに、じたばたしなくなってきています。

これはいいことなのでしょうか? それとも????
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする