絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

続編

2006年01月17日 20時50分37秒 | Weblog
その後も、何度かその子の家にいったり
電話して、学校へがんばってくるように話したりしたけど
なかなか難しかった。

大人になった今でこそ、登校拒否が、
幼少時代からの家族関係と深く関わっていることを
理解しているけれども、当時は、自分がその子と
いっしょにずっといなかったからかもしれないと
こころがズキッと痛んだ。

担任の先生の話では、成績不振で悩んでいたことが
原因だそうだった。
そんな・・・
成績で悩んでいるのはみんな同じじゃないか?
どうして、あの子だけそんなふうに閉じこもっていくの?
どうして、本音をもっと出してくれなかったの?

いろいろ思ったけど、あとの祭りだった。
いつもいつも笑い合っていた、三人組のはしゃいだ声が
頭をよぎった。。。


その後、ほとんど登校しなかったが、
名古屋の女子大に推薦で合格し、一度名駅のホームで会った。
とても、元気そうで、少しだけほっとしたのを覚えている。
今では、どこか、遠いところへ嫁いだと聞いている。


占いは嫌い

2006年01月17日 17時16分19秒 | Weblog
その昔、「こっくりさん」というのが流行っていた。
紙に50音と神社の鳥居と、はい、いいえを書いて占うのである。
三人が一円玉に指を置いて、質問すると一円玉が動き出す…
(いまでも、やってる子どもがいるかもしれないが、やめたほうがいい)

当時女子高生だった私は、仲の良い三人組で
放課後、遊び半分でこれをやっていろいろ占っていた。
ときどきあたるので、面白くなって、
他の子も、これ聞いてとかあれは?とか言って
参加したりしていた。

でも、たまに、聞いてないのに勝手に動き出したり、
全然違うことをコメントしたりしてくるようになった!?
いま、こうやって書いていても寒い。。。
(強烈な自己暗示にすぎないよ、という友達もいた。)

ちょっと、怖かったけど、
それでも若気の至りで、しつこく続けていた。
九州へ修学旅行の電車の中でもやっていた!
(今なら飛行機だよね)

私は、もういい加減にしておかないと
まずい気がしていた。
そのうち、ボーイフレンドができたりして、
仲良し三人組でべったりいっしょにいた関係は
解消されていった。

高三になって、受験のことが切実になってきて
こっくりさんのことなど、すっかり忘れていたのだが、
その、仲良し三人組の一人が、急に学校に来なくなった。
いまでいう「登校拒否」だ。何日も休んでいる。

担任の先生と、もう一人の友と三人でその子のうちにいった。
住所はわかっていたけど、実際に行くのははじめてだった。
私たちの前に現れた彼女は、うつむいて、
以前のキャッキャッとした感じはどこにもなかった。
「待ってるからね」といって帰る途中、ふと見ると
彼女の家の真裏に、稲荷神社があって、狐の石像がみえた…
もう一人の友人いわく、こっくりさんを一緒にやらなくなった後も
彼女はひとりでやっていたという…
まさか、そういうわけじゃないよねえ。
うん、違うでしょ…と言い合って別れたのだったが…

そのあと、こっくりさんの彼女は卒業まで学校には来なかった。

記事が消えてしまった

2006年01月17日 11時29分24秒 | Weblog
朝、長文の記事を書いていたのですが、
絵文字を入れようとして何かのボタンを押した途端…
タイトルのようなことになってしまいました。
(このブログは、記事の保存とかないのか?)

で、こんな時間に書いております。
今日は暖かい晴天なので、気分も上々…

明日18日は大須の骨董市です。
行かれる方も多いでしょうねえ。(私も行きたいけど)
今週は19日にお茶サークルの初釜だから
それに着ていくものを決めなくっちゃ。。。

私の場合、「何着ていこうかなあ~~るんるん」とは
程遠くて、あれこれ迷った挙句、
当日の、まさに着るそのときになって
「ええ~~い!これで行っちゃおう!!」みたく
やけくそ状態になることしばしばあり。。。
つまりなんですね。