うちの社中では、開放弦を「D♯」で合わせているけれども
そうでない社中もあるかと思います。
このことは前にも書いたことがあります。
(「D」で合わせておられる先生もみえます。)
習い始めの頃、この音で「三」以下の音を歌うのが
めちゃめちゃしんどい!?(苦痛な)ことでした。
とにかくわたしには低すぎて、もう、唸っているようにしか
聞こえないような状態でした。
ごくごく初期に「須磨」をやるので、この曲は初心者が入門した
途端に弾くには難しいのではないかと思ったりしました。
特に歌いだしの部分が出にくく、「三」からいきなりは出られないので
「わくらば」の「わ」を「二~三」(わ~)というふうに
歌って、やっとこさ歌い出せた記憶があります。
開放弦の音を何にするのか、というのは
たとえば社中全員で合奏するとか、何人かでアンサンブルのように
弾くとか、そういうことがあるので必要なのかもしれませんが
一絃琴の有りようからすれば、弾く人の声にあわせればいいのであって
何でなければならない、というのはナンセンスな気がします。
また、譜面をみて思うのは「譜面に縛られないようにしよう」
ということです。いま、目の前にある譜面は覚え書きのひとつである
と思うようにしています。これはたぶん邦楽の基本なのではないかと
いまでは思います。
何故って、「確実なる伝承」というのは実は存在せず
むしろ、断絶した琴を戦後60年近くかけて諸先生方が再興して
こられたと思うからです。
では、何を根拠にすればいいのか?ということですが
譜面どおりに教えてもらった後に、自分の解釈が生まれるまで
練習を重ねる、ということしかないのではないかと思います。
いろいろと考えてもどうしようもないのですが
邦楽を深く知る、あるいは体得することが、
すなわち一絃琴を知ることに繋がることではないかと
今は考えています。

そうでない社中もあるかと思います。
このことは前にも書いたことがあります。
(「D」で合わせておられる先生もみえます。)
習い始めの頃、この音で「三」以下の音を歌うのが
めちゃめちゃしんどい!?(苦痛な)ことでした。
とにかくわたしには低すぎて、もう、唸っているようにしか
聞こえないような状態でした。
ごくごく初期に「須磨」をやるので、この曲は初心者が入門した
途端に弾くには難しいのではないかと思ったりしました。
特に歌いだしの部分が出にくく、「三」からいきなりは出られないので
「わくらば」の「わ」を「二~三」(わ~)というふうに
歌って、やっとこさ歌い出せた記憶があります。
開放弦の音を何にするのか、というのは
たとえば社中全員で合奏するとか、何人かでアンサンブルのように
弾くとか、そういうことがあるので必要なのかもしれませんが
一絃琴の有りようからすれば、弾く人の声にあわせればいいのであって
何でなければならない、というのはナンセンスな気がします。
また、譜面をみて思うのは「譜面に縛られないようにしよう」
ということです。いま、目の前にある譜面は覚え書きのひとつである
と思うようにしています。これはたぶん邦楽の基本なのではないかと
いまでは思います。
何故って、「確実なる伝承」というのは実は存在せず
むしろ、断絶した琴を戦後60年近くかけて諸先生方が再興して
こられたと思うからです。
では、何を根拠にすればいいのか?ということですが
譜面どおりに教えてもらった後に、自分の解釈が生まれるまで
練習を重ねる、ということしかないのではないかと思います。
いろいろと考えてもどうしようもないのですが
邦楽を深く知る、あるいは体得することが、
すなわち一絃琴を知ることに繋がることではないかと
今は考えています。

稽古始めて、3年が過ぎました。
今日「後の月」に入りました。「初秋の月」よりはわかりやすい、難しくないです。
でも「初秋の月」と「後の月」でひとつの曲のような感じです。
最近またいろいろと考えるようになってきてしまいました。
(考えることは良くないことなのか!?)
こんな調子で最後まで全う出来るんだろうか?とか、だんだん不安になってきました。
いや、たとえ最後まで履修?できたとしても、これでほんとうに全曲習ったといえるのだろうか?
その辺のところがものすごい不安です。また、最初から稽古してくれるような
感じもありませんし、好きな曲とか得意な曲とかに限定して
習うのでしょうか。そんなんだと、ちゃんと習ったことにならないんじゃないかと
思ったりするけど、そんな細かいこと言うのは私だけなのかしらん。
よその会では、きちんとパーフェクトに履修するのかしら?
(どこら辺でパーフェクトというのかも難しいことだが)
今日も稽古に行く前に「漁火」を弾いてみました。
他の曲はそうでもないのですが、この曲と「須磨」「須磨の昔」は
ときどき弾き歌いのなかで「うう・・・
」みたいに
急になるときがあります。(わたしの場合)
「須磨」は、発表会のときに来てくれた姉の友人から
聞いていて『涙が出そうになった』と言われたので
やっぱり、そういう面を持った曲といえるのでしょう。
「漁火」も、中盤の軽やかな琴の演奏に対比して、
最後の『無明の夢や 覚めぬらん』がしみじみと胸に迫る曲です。

今日「後の月」に入りました。「初秋の月」よりはわかりやすい、難しくないです。
でも「初秋の月」と「後の月」でひとつの曲のような感じです。
最近またいろいろと考えるようになってきてしまいました。
(考えることは良くないことなのか!?)
こんな調子で最後まで全う出来るんだろうか?とか、だんだん不安になってきました。
いや、たとえ最後まで履修?できたとしても、これでほんとうに全曲習ったといえるのだろうか?
その辺のところがものすごい不安です。また、最初から稽古してくれるような
感じもありませんし、好きな曲とか得意な曲とかに限定して
習うのでしょうか。そんなんだと、ちゃんと習ったことにならないんじゃないかと
思ったりするけど、そんな細かいこと言うのは私だけなのかしらん。
よその会では、きちんとパーフェクトに履修するのかしら?
(どこら辺でパーフェクトというのかも難しいことだが)
今日も稽古に行く前に「漁火」を弾いてみました。
他の曲はそうでもないのですが、この曲と「須磨」「須磨の昔」は
ときどき弾き歌いのなかで「うう・・・

急になるときがあります。(わたしの場合)
「須磨」は、発表会のときに来てくれた姉の友人から
聞いていて『涙が出そうになった』と言われたので
やっぱり、そういう面を持った曲といえるのでしょう。
「漁火」も、中盤の軽やかな琴の演奏に対比して、
最後の『無明の夢や 覚めぬらん』がしみじみと胸に迫る曲です。

ずっと遠ざかっていたのに、ちょっと見てしまうと嵌ってしまうのだ

特別買おうという気もなかったのに、見ているうちにというか
ボタン押しても押しても「申しわけありません」がでると
ついむきになってしまうというか、、、
こんなの来ちゃってどうしよう

というのが
今日届いた。。。
アンティーク(着物・帯)というのは、ほんとにオークションではやめておいた方が
いいですね、もう、これ、どうしようって感じ。
気でも狂ったのか、ともいう。。。
う~~~ん、帯だから染めかえっていうのもできないらしいし、
お店に持っていったら「え?こんなのどうしたの?」っていわれそうだわ。
ががが~~~ん



特別買おうという気もなかったのに、見ているうちにというか
ボタン押しても押しても「申しわけありません」がでると
ついむきになってしまうというか、、、
こんなの来ちゃってどうしよう



今日届いた。。。
アンティーク(着物・帯)というのは、ほんとにオークションではやめておいた方が
いいですね、もう、これ、どうしようって感じ。
気でも狂ったのか、ともいう。。。
う~~~ん、帯だから染めかえっていうのもできないらしいし、
お店に持っていったら「え?こんなのどうしたの?」っていわれそうだわ。
ががが~~~ん


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家事のリストラか、、、家電がない頃の家事に比べたら
いまやってることなんて、これ以上どこを省くのか、という感じですが。
省くために、準備したり整理したり何かを購入したり、、、
トータルでどれくらい違うのかな?
午前中は久々の対面朗読で「○○サン、久しぶりですね」って
お客さんにいわれました。
本日もあらかじめ資料をいただき、下読みをしていきましたが
相変わらずの難しさ。。。
(晴眼のボランティアより、よほどお客さんのほうがわかっている)
読んでいる資料からいろいろなところへ話題は飛ぶので
自分の日本史の知識の浅薄さなどが露見いたします。
(ま、隠しようがありませんけれども
)
致し方ないことですが、お客さんはやはり自分の知らないことを
こちらが知っていると、たいへん興味をもたれるようですので
雑談も盛り込んで2時間が過ぎていくのでした。
(今日のペアは、年配の男性の方でした)
子ども向けの本読みにしろ対面朗読にしろ
基本的な姿勢というのはどちらも同じ、相手に喜ばれることをする
ということですから「自己実現」しようと思う人には不向きかも、です。

お客さんにいわれました。
本日もあらかじめ資料をいただき、下読みをしていきましたが
相変わらずの難しさ。。。
(晴眼のボランティアより、よほどお客さんのほうがわかっている)
読んでいる資料からいろいろなところへ話題は飛ぶので
自分の日本史の知識の浅薄さなどが露見いたします。
(ま、隠しようがありませんけれども


致し方ないことですが、お客さんはやはり自分の知らないことを
こちらが知っていると、たいへん興味をもたれるようですので
雑談も盛り込んで2時間が過ぎていくのでした。
(今日のペアは、年配の男性の方でした)
子ども向けの本読みにしろ対面朗読にしろ
基本的な姿勢というのはどちらも同じ、相手に喜ばれることをする
ということですから「自己実現」しようと思う人には不向きかも、です。

お昼に蓬莱軒(熱田神宮)でひつまぶし(ひまつぶしと書きそうになった)を
食べようという暴挙に出て、案の定1時間半待ちで
駐車場のおじさんに「4時ころ来たらすぐ食べられるよ」と
かるく言われてしまった。じゃあいいや、ということになり
それからいままで1回も行ったことのない『骨董祭』にいくことに。
しか~~~し
自分の記憶が曖昧なために吹き上げホールではなく
[白鳥ホール](国際会議場)に行ってしまったのだった


まぬけなことに、終日700円ナリを払って駐車場に入れて
てくてく歩いていてもまだ気づかず、案内のお姉さんに
「こちらではやっておりませんよ!」「どこでやっているかはわかりません」
なんて言われちゃって、ホントドジなのだ~~~

なんで、[白鳥ホール]と思い込んだのだろう?
きっと前に行ったことがあったからだ。
う~~~ん、人間ボケてきても昔の記憶は残っているというからね~
途中渋滞やら、道わからんやら、カーナビ硬直したまま動かんやら
いろいろあって、到着したのはもう3時頃!!
(最終日のこんな時間、もうみなさん片つけはじめてた
)
なんかホールの中が暗くてよくわからなかったが
大須の骨董市にいつも出てるお店のお兄さんやらおばちゃんやらの
お店が沢山。全員そうではないかもしれないけど。。。
その顔見知りのお兄さんのお店ですご~~く沢山買っている
おばさんの人がいました。ほんとに沢山!!高いのやら安いのやら。
ほんものアンティークは、よいお値段だから状態悪そうでも
ばかにできないのです~~。
1時間もしないうちに、もう帰ろうと夫が休憩所から電話してきた。
うう、と思いつつ行くと、そこには夫がかつて大変お世話になった方が
奥様とご一緒にいらっしゃった。
「大変お世話になりまして」などと休憩所の真ん中で
ぺこぺこお辞儀をしていたのだが、この方は有名な狂言の方で、
私は舞台を拝見したことはあっても直接お会いしたのは初めてだった。
夫が私が来る前にちょっとお話していたらしく、
「一絃琴やっているんだって?」と言われ「ハイ
」と
元気いっぱい答えたのだった。。。
(邦楽や古典芸能についていろいろと教えていただきいです!・・・なんてね)
全然時間不足で、あ~あ、の一日だったけど
最後に古典芸能の方にお会いできてうれしかったです。
(きものが取り持つ縁?)
食べようという暴挙に出て、案の定1時間半待ちで
駐車場のおじさんに「4時ころ来たらすぐ食べられるよ」と
かるく言われてしまった。じゃあいいや、ということになり
それからいままで1回も行ったことのない『骨董祭』にいくことに。
しか~~~し

[白鳥ホール](国際会議場)に行ってしまったのだった



まぬけなことに、終日700円ナリを払って駐車場に入れて
てくてく歩いていてもまだ気づかず、案内のお姉さんに
「こちらではやっておりませんよ!」「どこでやっているかはわかりません」
なんて言われちゃって、ホントドジなのだ~~~


なんで、[白鳥ホール]と思い込んだのだろう?
きっと前に行ったことがあったからだ。
う~~~ん、人間ボケてきても昔の記憶は残っているというからね~

途中渋滞やら、道わからんやら、カーナビ硬直したまま動かんやら
いろいろあって、到着したのはもう3時頃!!
(最終日のこんな時間、もうみなさん片つけはじめてた

なんかホールの中が暗くてよくわからなかったが
大須の骨董市にいつも出てるお店のお兄さんやらおばちゃんやらの
お店が沢山。全員そうではないかもしれないけど。。。
その顔見知りのお兄さんのお店ですご~~く沢山買っている
おばさんの人がいました。ほんとに沢山!!高いのやら安いのやら。
ほんものアンティークは、よいお値段だから状態悪そうでも
ばかにできないのです~~。
1時間もしないうちに、もう帰ろうと夫が休憩所から電話してきた。

うう、と思いつつ行くと、そこには夫がかつて大変お世話になった方が
奥様とご一緒にいらっしゃった。
「大変お世話になりまして」などと休憩所の真ん中で
ぺこぺこお辞儀をしていたのだが、この方は有名な狂言の方で、
私は舞台を拝見したことはあっても直接お会いしたのは初めてだった。
夫が私が来る前にちょっとお話していたらしく、
「一絃琴やっているんだって?」と言われ「ハイ

元気いっぱい答えたのだった。。。
(邦楽や古典芸能についていろいろと教えていただきいです!・・・なんてね)
全然時間不足で、あ~あ、の一日だったけど
最後に古典芸能の方にお会いできてうれしかったです。
(きものが取り持つ縁?)

今日の日経の夕刊に「子育て、この20年間に激変」の記事がでていた。
(地域で少し内容がことなるかもしれないが)
自己実現を目標とする教育を強力に受けてきた女性が母親になり
その教育と相矛盾する、ある種自己犠牲というか奉仕というか
「子育て」に強くストレスを感じ、結果虐待などに繋がっているという。
それで、いろいろ母親救済策を講じるらしい。
子育てと自己実現は相矛盾する。
子育ては最高の奉仕であり、それは何物も見返りを要求しないものだ。
対して、自己実現のほうは?自分の納得というより、自分という存在を
他者に認めてもらうことに一番の価値を置く。
お金であれ名誉であれ。。。
このようなことで、親がどっちを向いているのか、非常に子どもは敏感だ。
生活のために忙しく、目は子どもを向いていても
現実手をかけてやれないのか、あるいはまた、自己実現のために忙しく
子どものことは二の次になってしまっているのか。
そして、ほんとうに自分のことを思ってくれているのか
親を試す時が来る・・・どこまでもどこまでも。
なぜ、子どもってそういう存在なのだろう?
思春期だけとは限らない、ありのままの自分を親にぶつけるのが
もう家庭を持って自分の子どももあるような時期になって
突然「子どもに戻って」親に立ち向かってくる場合もあるのだ。
ほんとうに、親と子の関係は不思議だ。
子育てについて言えば、ある時期、親自身の人生が子どもによって奪われると
いってもいいだろう。
しかし、充分にそのとき奪われなかった場合
子どもが健全に育ちにくい、あるいはそのときはそれで済んでも
のちに奪い返しに来るのだ。。。
ほんとうに子どもを育てるってどういうことなんだろう。
不思議です。
(地域で少し内容がことなるかもしれないが)
自己実現を目標とする教育を強力に受けてきた女性が母親になり
その教育と相矛盾する、ある種自己犠牲というか奉仕というか
「子育て」に強くストレスを感じ、結果虐待などに繋がっているという。
それで、いろいろ母親救済策を講じるらしい。
子育てと自己実現は相矛盾する。
子育ては最高の奉仕であり、それは何物も見返りを要求しないものだ。
対して、自己実現のほうは?自分の納得というより、自分という存在を
他者に認めてもらうことに一番の価値を置く。
お金であれ名誉であれ。。。
このようなことで、親がどっちを向いているのか、非常に子どもは敏感だ。
生活のために忙しく、目は子どもを向いていても
現実手をかけてやれないのか、あるいはまた、自己実現のために忙しく
子どものことは二の次になってしまっているのか。
そして、ほんとうに自分のことを思ってくれているのか
親を試す時が来る・・・どこまでもどこまでも。
なぜ、子どもってそういう存在なのだろう?
思春期だけとは限らない、ありのままの自分を親にぶつけるのが
もう家庭を持って自分の子どももあるような時期になって
突然「子どもに戻って」親に立ち向かってくる場合もあるのだ。
ほんとうに、親と子の関係は不思議だ。
子育てについて言えば、ある時期、親自身の人生が子どもによって奪われると
いってもいいだろう。
しかし、充分にそのとき奪われなかった場合
子どもが健全に育ちにくい、あるいはそのときはそれで済んでも
のちに奪い返しに来るのだ。。。
ほんとうに子どもを育てるってどういうことなんだろう。
不思議です。
近年、感動する瞬間が激減し、この虚ろな気分を何とかしようと
いろいろ努力はするのだがなかなかうまくいかない。
「どうせ」という自分の一番嫌いなことばが頭をよぎる。。。
人間、どういうところから「楽しさ」を感じるのだろう?
どんなときに「いきいきと」できるのだろう?
「楽しさ」や「いきいきとする」それの根拠はナンなのだ?
(気分が暗いョ
)
人それぞれで、個別に違うのだろうが
では自分自身、どういうときに「精神の発露」を感じられるのか
考えてみた。
う~~ん、しかし、今の状況下ではそれはできない。
そして、鬱々とした日々は続く。。。
(何を書いているんだか、、、
)

いろいろ努力はするのだがなかなかうまくいかない。
「どうせ」という自分の一番嫌いなことばが頭をよぎる。。。
人間、どういうところから「楽しさ」を感じるのだろう?
どんなときに「いきいきと」できるのだろう?
「楽しさ」や「いきいきとする」それの根拠はナンなのだ?
(気分が暗いョ

人それぞれで、個別に違うのだろうが
では自分自身、どういうときに「精神の発露」を感じられるのか
考えてみた。
う~~ん、しかし、今の状況下ではそれはできない。
そして、鬱々とした日々は続く。。。
(何を書いているんだか、、、


今日は本の修理の後、ずっとスクールサポーターでいっしょにやってきた
友人の送別会だった。
自分自身転勤族で、かずかずの別れを経験してきているが
行くにしろ残るにしろ、やっぱり「じゃあ、元気でね」は辛いのである。
できるだけ寂しさを感じないように感じないように「鈍」を
装うのだが、やっぱりやっぱり寂しい。。。
サポーターの主力選手がこれで2人も転勤になり
これまで事務方をずっとやってくれていた人も卒業で
4月以降はいないのだ。これからどーしょー
(別にわたしが責任を感じなくてもいいのだが・・・)
ボランティア活動は、それを提供する人と受け取る人の間にたって
調整する、いうならばコーディネーターの役割がとても大事であると思う。
受けるほうも与えるほうも気持ちよく続けられるためには
この調整役が必要なのだ。これになってくれる主力選手が
育ってきてほしいと思うのだが、なかなかすぐには育たない。
お母さん方をみていると、こう、むかしむかしの団結した感じというのでは
なくて、つかず離れずの感じで、強力なリーダーの下でより
なんとなく横並びの、ふんわりした感じが好きなようだ。
横並びでも、ふんわりでもいいけど
次なる主力選手が出てくるためには、
(もうあと1年で卒業の)私が前面にいてはダメなのだ。
世代交代していかねば。。。
卒業しても、この地域にいる限り、もうやらないでといわれない限りは
サポーターをやろうと思っているけれども
軸になるのはやはり在校生のお母さんだろう。
自分自身、だんだん影が薄くなってきているのがわかる。
なんかこう気力が衰えて鬱状態に近いことが、今日人と話していて
特に感じられた。

友人の送別会だった。
自分自身転勤族で、かずかずの別れを経験してきているが
行くにしろ残るにしろ、やっぱり「じゃあ、元気でね」は辛いのである。
できるだけ寂しさを感じないように感じないように「鈍」を
装うのだが、やっぱりやっぱり寂しい。。。
サポーターの主力選手がこれで2人も転勤になり
これまで事務方をずっとやってくれていた人も卒業で
4月以降はいないのだ。これからどーしょー

(別にわたしが責任を感じなくてもいいのだが・・・)
ボランティア活動は、それを提供する人と受け取る人の間にたって
調整する、いうならばコーディネーターの役割がとても大事であると思う。
受けるほうも与えるほうも気持ちよく続けられるためには
この調整役が必要なのだ。これになってくれる主力選手が
育ってきてほしいと思うのだが、なかなかすぐには育たない。
お母さん方をみていると、こう、むかしむかしの団結した感じというのでは
なくて、つかず離れずの感じで、強力なリーダーの下でより
なんとなく横並びの、ふんわりした感じが好きなようだ。
横並びでも、ふんわりでもいいけど
次なる主力選手が出てくるためには、
(もうあと1年で卒業の)私が前面にいてはダメなのだ。
世代交代していかねば。。。
卒業しても、この地域にいる限り、もうやらないでといわれない限りは
サポーターをやろうと思っているけれども
軸になるのはやはり在校生のお母さんだろう。
自分自身、だんだん影が薄くなってきているのがわかる。
なんかこう気力が衰えて鬱状態に近いことが、今日人と話していて
特に感じられた。

大うそつき長襦袢、分解して身頃出来上がり半襟もつけて準備万端
しか~し!よく見たら、裾よけ部分も縮んでいて胴体を包めない
(縮んだのではなく、自分が膨張した?・・・いやいやそんなことないよね
)
結局、裾よけは別のもので代用することにした。。。
(なんか、ばらばらだけど、ま、いっか)←いつも最後はこれになる
解き始めたら調子に乗ってしまい、いままで材料と思ってとっておいた
色々なものを片っ端からほどき、おかげで付け袖やら半襟やら
いろんなパーツが出来た。

昨日「七緒」が届いて、タイムリーに『ウール』の記事があったので
見てみたら自分には無縁の「仕立て」ウールだった。
思うに、昔のウールと違って今のは材質が格段によくなっているのかしら?
汚れを気にせず、洗濯機でも洗えるかもしれないけど
どうも、静電気のせいか室内のいろいろなゴミ?を寄せ付けてきて
糸くず怪人
になりそうな。。。

しか~し!よく見たら、裾よけ部分も縮んでいて胴体を包めない

(縮んだのではなく、自分が膨張した?・・・いやいやそんなことないよね

結局、裾よけは別のもので代用することにした。。。
(なんか、ばらばらだけど、ま、いっか)←いつも最後はこれになる
解き始めたら調子に乗ってしまい、いままで材料と思ってとっておいた
色々なものを片っ端からほどき、おかげで付け袖やら半襟やら
いろんなパーツが出来た。


昨日「七緒」が届いて、タイムリーに『ウール』の記事があったので
見てみたら自分には無縁の「仕立て」ウールだった。
思うに、昔のウールと違って今のは材質が格段によくなっているのかしら?
汚れを気にせず、洗濯機でも洗えるかもしれないけど
どうも、静電気のせいか室内のいろいろなゴミ?を寄せ付けてきて
糸くず怪人


いつもかわり映えしないので、今年はこれにしてみました。
ブリキ製です。ちょっと安物っぽい?1890円でした。
いままで、庭のゴールドクレストの葉で作ったり、
松ぼっくりにカラースプレーしたり、市販のでいろいろ組み合わせたり
しましたが、一番良かったのは、生のモミの木で作ったリースに
赤いリボンを巻きつけ、松ぼっくりなど木の実を飾り付けたものでした。
(もう、あんな手の込んだことをやる気力が無い・・・
)
ブリキ製です。ちょっと安物っぽい?1890円でした。
いままで、庭のゴールドクレストの葉で作ったり、
松ぼっくりにカラースプレーしたり、市販のでいろいろ組み合わせたり
しましたが、一番良かったのは、生のモミの木で作ったリースに
赤いリボンを巻きつけ、松ぼっくりなど木の実を飾り付けたものでした。
(もう、あんな手の込んだことをやる気力が無い・・・

紅葉もドウダンツツジの真っ赤な葉っぱを残すのみとなり
山盛りの落ち葉を集めていると、下からこんな虫が…
バッタですね、大きいです、すっかり枯れ葉色になっていました
居場所がなくなってちょっと困っています、ごめんなさいね~~~
山盛りの落ち葉を集めていると、下からこんな虫が…
バッタですね、大きいです、すっかり枯れ葉色になっていました

居場所がなくなってちょっと困っています、ごめんなさいね~~~


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友人がお菓子の本を出しました。


正確には、翻訳をしてお菓子製作をしたのですね。
今日もらったお便りで知りました。
10月にでたそうですが、まだ私は読んでいません。
(書店で見てね、と書いてあった)
何年かまえから池袋のコミュニティで、たしかイギリスのお菓子の講座を
受け持っていて、イギリスに行ったりしてたのは
聞いていましたが、本になるなんてすごい



(あ、でも、翻訳はこの本が初めてではないか)
Tさんで思い出すのは、絵本の翻訳コンクールがあるから一緒に
応募しませんかということを言ってきてくれて、私は全然だめだったけど
カノジョはそののちもいろいろ翻訳をやっていました。
記憶が前後しててなんですが、そういえば、20年くらい前に
当時イギリス在住の日本人向けの新聞で「欧州ジャーナル」というのが
ありまして(当時在英だった方には懐かしいかと思いますが)
そのなかの小さい記事で「子どもと教育」とかいうコラムを
Tさんと私とあと二人の知人の4人でリレーしていくのを
やっていた時期がありました。(もちろん日本語で

当時の日本の子どもの教育はどんな感じなのかを
エッセイ風に書くものでしたが、この新聞は船舶の会社がオーナーで
その会社が景気が悪くなり倒産してしまい

結局あとのほうの執筆料をもらえずじまいになりまして。。。


しばらくしてエアーメールが来て『何かな?』と思ったら
欧州ジャーナルの債権者として支払いの請求をしたいのなら
かくかくしかじか・・・・と書いてあったようで
(英文につき詳しく解読できません

結局はそのまま放置して、『書き損』になってしまったことを
思い出しました。

今日こそ(子どもが6限ある日はいつもこう思うのですが)
「おうち着物」を実行せんと意気込んでウールを引っ張り出してきた。
しかし、、、このウールは裄が61センチくらいしかないので
長襦袢をなんとかせねばならないのだった。。。
これにぴったりのがあったのだが、なぜか袖を外してしまっていた。
実家の箪笥の奥深く眠っていた、むか~しむかしの長襦袢。
レーヨンかなんかの混紡で、赤いかわいらしいお人形がいっぱいのもの。
なんで袖外したんだっけ?(じぶんでやっておいて記憶がない
)
ああ、そうだった、洗濯機で洗ったら身丈が縮んでしまったので
それで袖だけ使おうと思ったのだった。
あれこれそのまま使えるものはないか探したが適当なものがないので
結局、このむかしむかしの(母親か姉のものだった)長襦袢を
大うそつき長襦袢(袖・身頃・腰巻に分解する)にしようと
決意した。。。(そんなたいしたことでもないけど)


果たして完成して「おうち着物」生活できるのだろうか
自信ないぞ~~~~

「おうち着物」を実行せんと意気込んでウールを引っ張り出してきた。
しかし、、、このウールは裄が61センチくらいしかないので
長襦袢をなんとかせねばならないのだった。。。
これにぴったりのがあったのだが、なぜか袖を外してしまっていた。
実家の箪笥の奥深く眠っていた、むか~しむかしの長襦袢。
レーヨンかなんかの混紡で、赤いかわいらしいお人形がいっぱいのもの。
なんで袖外したんだっけ?(じぶんでやっておいて記憶がない

ああ、そうだった、洗濯機で洗ったら身丈が縮んでしまったので
それで袖だけ使おうと思ったのだった。
あれこれそのまま使えるものはないか探したが適当なものがないので
結局、このむかしむかしの(母親か姉のものだった)長襦袢を
大うそつき長襦袢(袖・身頃・腰巻に分解する)にしようと
決意した。。。(そんなたいしたことでもないけど)


果たして完成して「おうち着物」生活できるのだろうか

自信ないぞ~~~~

