祖母から聞いた幼き頃の”お話し”の一節である。
小学校に入学する年代であったと思う。
・
幼き頃の家族は、父母・祖父母・兄弟四人の八人であった。
母屋と隠居部屋と称し、二棟あった。
隠居部屋は、三畳と六畳間のある別宅が離れにあった。
祖父の実家から移築したと聞いて、記憶している。
祖父母は、この”隠居部屋”で寝起きをしていた。
祖父は、私が小学校三年生の時に亡くなっている。
私は、祖母が語るお話が好きで”隠居部屋”で寝る事が多かった。
寝物語に聞く幾つかの”お話し”のうち、今も思い出される、二つの物語がある。
・
その一つ、物語の主人公は「お婆さん」である。
お爺さんを喪ったお婆さんは、日頃から庭や野山に咲く花を供えて「お金があれば、お坊さんに供養してもらえるものを!」と申し訳ない気持ちであった。
ある日、僧侶の格好をした旅の人が、一夜の宿を所望してきた。
お婆さんは”天の采配”と、一宿の持成しをする。
食事も終わり、お婆さんは、想いの縁を打ち明けた。
僧侶の格好した旅人は、お経の一つも唱える事も出来ない。
引くに引けなくなり、仏前に額ずくが「果てさて、如何したものか?」
仏前には、線香・供え花・鈴が供えられており、小さな穴が開いていて、鼠が孔から顔を出したり、引っ込んだりしている。
僧侶の格好をした旅人は、この情景を、節をつけ”神々しくも朗々と”語った。
「線香たてやら・花立やら・鈴は鈴でソウリン(注)なり、チョロチョロ鼠の孔覗き、また帰られそうらえ!」と・・・
旅人が帰った後も、お婆さんは、偉いお坊さんから教わった”お経”として、朝な夕なのお勤めに励んだと言う。
そして、事件が起きた。
泥棒が「一人住まいの老婆、小銭を溜め込んでいるだろう!」と目星をつけ、お婆さんが寝静まるを待った。
泥棒が侵入している事も知らず、お婆さんは、就寝前のお勤めで、何時ものとおり”お経なるモノ”を朗朗と唱えた。
泥棒は「チョロチョロ鼠の孔覗き!」と云われ、「(私が、窺っている事を)知っている」と勘違いして、退散しようとした。
そして、ダメ押しの「また、帰られそうらえ!」であった。 泥棒の間抜けな顔が思い浮かばれ、滑稽ではないか?
泥棒が退散した事も・窺っていた事も、お婆さんは知らない。
でも、被害に逢うこともなく、平穏無事な日常に変わりはなかった。
・
祖母は「イワシの頭も信心から!」を教えたかったのではないと思うが「信じる心は救われる」と言う精神論を伝えたかったのでしょうか・・・?
今となっては、孫や子等に伝承する機会を失った、祖母から、聞き伝えに覚えた”お話し”である。
他愛も無い話しであっても、幾度と無くせがんで聞いた話である。
孫や・子等に、話して聞かせる機会が無かった、とは言い訳になるのでしょう。
せめて、日記にしては!と思ったことであった。
注:祖母からは、文書でなく”お話し”であったことから、ソウリンが仏教言葉の「相輪」であったかは、記憶にもなく、定かでない。
そして「りんは、りんで、ソウリンなり」の語りが、文書的に正しいかについても、不明である。,
小学校に入学する年代であったと思う。
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幼き頃の家族は、父母・祖父母・兄弟四人の八人であった。
母屋と隠居部屋と称し、二棟あった。
隠居部屋は、三畳と六畳間のある別宅が離れにあった。
祖父の実家から移築したと聞いて、記憶している。
祖父母は、この”隠居部屋”で寝起きをしていた。
祖父は、私が小学校三年生の時に亡くなっている。
私は、祖母が語るお話が好きで”隠居部屋”で寝る事が多かった。
寝物語に聞く幾つかの”お話し”のうち、今も思い出される、二つの物語がある。
・
その一つ、物語の主人公は「お婆さん」である。
お爺さんを喪ったお婆さんは、日頃から庭や野山に咲く花を供えて「お金があれば、お坊さんに供養してもらえるものを!」と申し訳ない気持ちであった。
ある日、僧侶の格好をした旅の人が、一夜の宿を所望してきた。
お婆さんは”天の采配”と、一宿の持成しをする。
食事も終わり、お婆さんは、想いの縁を打ち明けた。
僧侶の格好した旅人は、お経の一つも唱える事も出来ない。
引くに引けなくなり、仏前に額ずくが「果てさて、如何したものか?」
仏前には、線香・供え花・鈴が供えられており、小さな穴が開いていて、鼠が孔から顔を出したり、引っ込んだりしている。
僧侶の格好をした旅人は、この情景を、節をつけ”神々しくも朗々と”語った。
「線香たてやら・花立やら・鈴は鈴でソウリン(注)なり、チョロチョロ鼠の孔覗き、また帰られそうらえ!」と・・・
旅人が帰った後も、お婆さんは、偉いお坊さんから教わった”お経”として、朝な夕なのお勤めに励んだと言う。
そして、事件が起きた。
泥棒が「一人住まいの老婆、小銭を溜め込んでいるだろう!」と目星をつけ、お婆さんが寝静まるを待った。
泥棒が侵入している事も知らず、お婆さんは、就寝前のお勤めで、何時ものとおり”お経なるモノ”を朗朗と唱えた。
泥棒は「チョロチョロ鼠の孔覗き!」と云われ、「(私が、窺っている事を)知っている」と勘違いして、退散しようとした。
そして、ダメ押しの「また、帰られそうらえ!」であった。 泥棒の間抜けな顔が思い浮かばれ、滑稽ではないか?
泥棒が退散した事も・窺っていた事も、お婆さんは知らない。
でも、被害に逢うこともなく、平穏無事な日常に変わりはなかった。
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祖母は「イワシの頭も信心から!」を教えたかったのではないと思うが「信じる心は救われる」と言う精神論を伝えたかったのでしょうか・・・?
今となっては、孫や子等に伝承する機会を失った、祖母から、聞き伝えに覚えた”お話し”である。
他愛も無い話しであっても、幾度と無くせがんで聞いた話である。
孫や・子等に、話して聞かせる機会が無かった、とは言い訳になるのでしょう。
せめて、日記にしては!と思ったことであった。
注:祖母からは、文書でなく”お話し”であったことから、ソウリンが仏教言葉の「相輪」であったかは、記憶にもなく、定かでない。
そして「りんは、りんで、ソウリンなり」の語りが、文書的に正しいかについても、不明である。,