祖母から聴かされ覚えた”物語”を日記にしたが、同年代に覚えたと思える”唄”がある。
一かけ・二かけて・三かけて・・・・”から始まる”童歌(?)である。
唄の最後の部分がどの様であった気掛かりとなった。
”・・・・・お墓名前で手をあわせ南無阿弥陀仏とおがみます”が私が覚えている最後の部分で、その後はジャンケンをしていた記憶である。
ジャンケンをする為の”かぞえ唄”ではなく、口ずさんでいた様にも記憶している。
NETで検索すると、詳しく調べて人が居られて、地方によって内容が違っている要る事が分った。
基本は同様であるが、細かいな部分に差異があることが分った。
ただ「明治10年3月」であったか「明治10年戦役」であったか?今もって思い出せない。
・
記憶している”唄”の内容である。
一かけ・二かけて・三かけて・四かけて・五かけて
橋をかけ、橋の欄干 手を腰に、はるか向こうを眺むれば
十七八の ねえさんが片手に花持ち 線香持ち
ねえさんねえさん どこ行くの
私は九州 鹿児島の西郷隆盛 娘です
(明治十年 三月にOr戦役で)切腹(なさった)なされた父上の、お墓参りに参ります。
お墓の前で、手を合わせ、南無阿弥陀仏と拝みます。
( )の部分がどうの様であったか? 唄わなかった(歌詞としてなかった)様にも思うが、定かではない。
”人は回帰する”と言う。
10歳位まで、戻った事なのか?
だとしたら、後、少ししかない。如何しよう!?
幼児期まで戻って、記憶にもない!なんて云う事になったら、さぞ、寂しい事に成るのだろうなぁ!?
一かけ・二かけて・三かけて・・・・”から始まる”童歌(?)である。
唄の最後の部分がどの様であった気掛かりとなった。
”・・・・・お墓名前で手をあわせ南無阿弥陀仏とおがみます”が私が覚えている最後の部分で、その後はジャンケンをしていた記憶である。
ジャンケンをする為の”かぞえ唄”ではなく、口ずさんでいた様にも記憶している。
NETで検索すると、詳しく調べて人が居られて、地方によって内容が違っている要る事が分った。
基本は同様であるが、細かいな部分に差異があることが分った。
ただ「明治10年3月」であったか「明治10年戦役」であったか?今もって思い出せない。
・
記憶している”唄”の内容である。
一かけ・二かけて・三かけて・四かけて・五かけて
橋をかけ、橋の欄干 手を腰に、はるか向こうを眺むれば
十七八の ねえさんが片手に花持ち 線香持ち
ねえさんねえさん どこ行くの
私は九州 鹿児島の西郷隆盛 娘です
(明治十年 三月にOr戦役で)切腹(なさった)なされた父上の、お墓参りに参ります。
お墓の前で、手を合わせ、南無阿弥陀仏と拝みます。
( )の部分がどうの様であったか? 唄わなかった(歌詞としてなかった)様にも思うが、定かではない。
”人は回帰する”と言う。
10歳位まで、戻った事なのか?
だとしたら、後、少ししかない。如何しよう!?
幼児期まで戻って、記憶にもない!なんて云う事になったら、さぞ、寂しい事に成るのだろうなぁ!?