韓国で起きた、海難事故(セオル号)から、早くも一年に成ると言う。
文明の進化と云うか、事故当時の映像であったり、音声が残されている。
その事が、悲しみを助長する結果と成っていることも皮肉である。
「(韓国の)海難事故から、今日で・一年・・・」というニュースに接し、正直・改めて時間の過ぎ去る様を、思い知らされた。
私が、記憶する国内での、海難事故を、思い起こしてみた。
1954年9月 洞爺丸事故 国鉄(現JR)青函連絡船
1955年5月 紫雲丸事故 国鉄( 〃 )宇高連絡船
1957年4月 第五北川丸事故 宮島(広島県)連絡船
1958年1月 南海丸事故 和歌山~小松島(徳島県)連絡船
これ等の海難事故が、記憶としてある。
青函・宇高連絡線の事故についは、修学旅行生が乗り合わせていたことから、学校の朝礼でも報告がされていた事が、思い出される。
事故に遭う! その偶然は、万に一つかも知れない。
しかし、その非情さ・無念さ等は、語るに尽きないと思う。
事故(セオル号)に遭われた人が、残した”言葉”がある。
それは、今(昨年の韓国の事故)も・昔(国内で起きた事故)もない、遭遇された人々の”叫び”である。
セオル号事故で残された言葉が、改めて、国内で起きた、海難事故に遭われた人達の”叫び”であったと思うのである。
紫雲丸事故で、修学旅行の御土産を家族(親)に渡したい一心から、船室の戻って、遭難したと云う話しは、今も切なく思い出されるのである。
未だ(セオル号事故で)帰宅出来ない人を思い、一日も早く、ご家族の元に帰れる事を願って、日記としたい。
文明の進化と云うか、事故当時の映像であったり、音声が残されている。
その事が、悲しみを助長する結果と成っていることも皮肉である。
「(韓国の)海難事故から、今日で・一年・・・」というニュースに接し、正直・改めて時間の過ぎ去る様を、思い知らされた。
私が、記憶する国内での、海難事故を、思い起こしてみた。
1954年9月 洞爺丸事故 国鉄(現JR)青函連絡船
1955年5月 紫雲丸事故 国鉄( 〃 )宇高連絡船
1957年4月 第五北川丸事故 宮島(広島県)連絡船
1958年1月 南海丸事故 和歌山~小松島(徳島県)連絡船
これ等の海難事故が、記憶としてある。
青函・宇高連絡線の事故についは、修学旅行生が乗り合わせていたことから、学校の朝礼でも報告がされていた事が、思い出される。
事故に遭う! その偶然は、万に一つかも知れない。
しかし、その非情さ・無念さ等は、語るに尽きないと思う。
事故(セオル号)に遭われた人が、残した”言葉”がある。
それは、今(昨年の韓国の事故)も・昔(国内で起きた事故)もない、遭遇された人々の”叫び”である。
セオル号事故で残された言葉が、改めて、国内で起きた、海難事故に遭われた人達の”叫び”であったと思うのである。
紫雲丸事故で、修学旅行の御土産を家族(親)に渡したい一心から、船室の戻って、遭難したと云う話しは、今も切なく思い出されるのである。
未だ(セオル号事故で)帰宅出来ない人を思い、一日も早く、ご家族の元に帰れる事を願って、日記としたい。