ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

乾電池(単一)が無くて、思い出したこと!

2015年04月06日 | 日記
 我家の、炊事用の”火力”は、ガスコンロである。
 高齢化と供に、今・流行(はやり)の「オール電化」が安全であるとは思う。
 先日、コーヒーが飲みたいとの思いから、お湯を沸かそうとした。
 コンロの起動SWを入れ、火口のボタンを押した。
 何時もなら「カチ・カチ!」と音を発して、点火するのであるが「カチ・カチ!」と言う音がしないのである。
 良く観ると、乾電池のマークが点滅している。
 「電池切れか!」と気付き、電池交換をしようとした。
 しかし、電池の種類は「単一乾電池」である。
 我家には、単三・単四乾電池しかストックがない。
 コンビニでしか購入出来ない時間帯である。
 そこまですること(コンビニで購入するまで)は無いか!と思った。
 それでも、コーヒーは飲みたい!と思った。
 そして、湯沸しの代用はないか?と考えた。
 食卓用の、一口・ガスコンロがある。
 何とか、コーヒーを飲む事は出来た。
 このとき、二つのことを思った。
 その昔は、単一乾電池が主流で”単四・電池”等は無かった世代を経験している。
 その昔・無かった種類の乾電池が、今では”ストック”して(我家にも)存在している現実。
 そして”電気”と言うものに、依存している現実の生活環境である。
 乾電池の小型化・小容量化は、時代(技術)の変遷と供に”活きてきた”ので理解は出来る。
 しかし、全てを、電気に依存してしまう事に抵抗感があるのである。
 そのキッカケとなった想い出がある。
 1981年から1982年の間で、24話の連続ドラマ、そして、1983年からは、8話のスペシャル・ドラマとして「北の国から」が放映された。
 (TV画面で観る)主人公の”生き様”に共感(憧れ)するものがあり、放送終了後も、レンタル・ビデオで視聴した。
 この物語の中で、地井 武男さん演じる「中畑木材 社長」が発した言葉「(停電になって)電気が無ければ何も出来ないよ!」が、私の中(気持ち)に、トラウマ的となって、今も潜在している。
 台風などでの停電は”当たり前”と思えた時代も経験した。
 しかし、現在では、配電方法も工夫され、年間に一度・有るか無いかと、言う程度にまで、信頼性は向上している。
 停電と言うアクシデントで、照明が一時的に失われたとしても「懐中電灯」や「ロウソク」で代用は出来る。
 しかしながら、炊事の為の”火力”は”薪で!”(代用)とまでは、いかない。
 「マッチがあれば、お湯は沸かせる」モノのが、良いのではないか?と、思うのである。
 便利さを手に入れた反面、リスクも背負わなければ成らなくなった。
 ポケットに入る・小さな(単一電池)話題が、これ程までに”風呂敷(で無ければ収容出来ない)”の様な、長文になるとは思わなかった。
コメント