有るものの”姿(出来上がり)”を思って、プリント配線キットを注文した。
通常・利用させて頂いている2部品販売”のショップである。
会員登録も行っている。
料金の支払いは「銀行支払」を選択した。
返信で、支払銀行名と口座番号が表示された。
早速・金融機関で「送金」処理を行った。
此れで、購入手続きは完了である。
あとは、配達されることを待つまでである。
有るものの”姿(出来上がり)”を思って、プリント配線キットを注文した。
通常・利用させて頂いている2部品販売”のショップである。
会員登録も行っている。
料金の支払いは「銀行支払」を選択した。
返信で、支払銀行名と口座番号が表示された。
早速・金融機関で「送金」処理を行った。
此れで、購入手続きは完了である。
あとは、配達されることを待つまでである。
私の癖で、特段・日記にする事が無ければ”日付”を表題にする。
今日は一日”天気が良い!”との予報であった。
しかし、午前に小雨がぱらついた。
午後と成って、日差しも射しだした・・!
昨日・一昨日、ウォーキングが出来ていない。
「今日は・行くぞ”」と、14時頃と成って、ウォーキングに出掛けた。
日曜日とあって、折り返し点の漁港には、釣りを楽しむ人が大勢いた。
ウォーキングも終盤(自宅近く)の”テトラポットの防波堤にも、大勢の釣り人が居た。
此処は”疑似餌(フライ)”で釣りを楽しむ人達である。
50cm程はあったろうか?受けタマに釣り上げた”魚”をみた。
「釣れるんだぁ!」と、思った。
そして、その場所から、100m程・歩みを進めた処で、竿をくねらせて(アクションをして)いる人が居た。
周囲の人達も、声援(ああしろ!こうしろ!)を贈っていた。
ご本人の心中や如何に・・!?と思う。
私も、その始終を見守った。
15分程であっただろうか? 50cm程の”さかな”を釣り上げた。
「釣りをする人・それを見守る人・・」と言う、話し(落語)を想い出した。
釣り上げた事を、見定めて帰宅した。
今日のウォーキングの結果は、歩数:14,400歩 距離:11Km 速度:5.5Km/時 時間:2時間
持ち合わせの水槽に「育成水」を醸成し、水草を配置した。
そして、頃合いをみて”住人(メダカ・カップル×2)”を住まわせた。
不思議ですねぇ! 水槽の中で、新たな「生命」が息づいている。
水槽の中の下砂や・流木は、乾燥させて、生命が息づく状態ではないだろう。
考えられるのは、ペット・ショップで買った”水草”だろう・・か?
今では、7個(個と言って良いのだろうか?分らない)の”甲殻類”が、水槽の中で・静かに動いている。
やはり・生命は”水”に起因するのでしょう・・か?
観察を続けていたいと思います。
天候不順な一日であった。
昨日・一昨日と降雨で、ウォーキングが出来ていなかった。
そして、午後と成って・風は強いが、薄日もさす天候となった。
14時過ぎと成って・意を決し、出掛けた。
ウォーキング中は、ラジオを聴くことが常である。
20分程・過ぎた頃だろうか「電波を使う機器(リモコン等)に「技適マーク」がある事を確認して下さい!」との、総務省の啓発放送がを聴いた。
知人から聞いた話で、携帯電話機が普及していなかった時代、トラック?同志の連絡用に、外国製(米国産?)の無線機を装備する事が流行していたらしい!?
無免許(不法無線局)で、送信出力も定められた範囲を超えていた。
所謂「電波の質」も、法(電波法)を逸脱しており、テレビの共同受信設備に、妨害を与えて問題になった!事があった。
当時の「郵政省・電波管理局」は、所轄の警察と、検問を行い摘発に臨んだとの事!
携帯電話の普及により、通信手段も変わった。
近年・通販などで安易に、購入した(電波を利用する)機器に、電波法に適合していないモノ(技適マークの表示がない機具)が横行している様である。
其処で「技適(技術基準適合証明)マークが、貼付されている機器を使って下さい」との啓発放送であった。
違反者には罰則規定(禁固刑等)が適用(電波法の規定)される。
その知人は、私より数年後輩であったと思うが、元気にしているのだろう・・?
ラジオの啓発放送を聴いて、思い出された事であった。
今日のウォーキングの結果は、13,400歩 距離:10Km 速度:5.5Km/時 時間:1時間50分
強風による波浪で、海岸沿いの歩行が出来なかった。
若干・歩行の距離が短くなった様である。
今日は、シャワーでなく、就寝前の入浴とします。
処方された薬が無くなった事から、午後に成って病院へ・・
毎年受診している「健康診断」の結果を、医師に提出している。
診断結果は、受診後・一ヶ月の後に送付されてくる。
薬が無くなるタイミングと、診断結果を持参し、病院へ行くタイミングが合えば(良い!)と思っていた。
(診断結果は)今日か・明日には来るのでは・・!?と、思いつつ・病院に行った。
薬を受け取り、帰宅する。
郵便受けを確認する。
「来たがな!・・」 何というタイミングの悪さ・・
封書を開封する。
「要精検」が無い事を、念じながら・・・
(診断結果をみるのが)怖い! 正直・そう!思う。
加齢に伴い、体力・体調は落ちてくるだろう・・から!
結果は「要精検」は無かった。
昨日の眼科の受診結果と伴に”ホッと”した。
月末にでも、主治医に提出します。
薬は、医師の診断を受ければ・最大3ヶ月分を・・診断なしで1ヶ月分処方される。
今日は、薬だけにしたので・・
昨年の中旬に運転免許証の更新審査を受けた。
更新にあたって、視力に不安があった事から、眼鏡店に行った。
「眼鏡レンズでは、矯正は出来ない」と、宣告された。
信じられない検査結果の説明に、驚いた。
しかし、運転に必要な視力は確保されていた(過日の日記にしている)
家で過ごす事と言えば、パソコンを弄る事である。
次第と見え難くなる事に、焦りが生じて来た。
TVの対談番組で「(手当が)手遅れで、右目は見えない・・!」と言う女性が居た。
”手遅れ!”と、言われたくないなぁ!
じゃぁ!医者に視てももらおうか・・!
と!思う反面・手当の結果、見えなくなったら如何しよう!
自問自答が続いた。
しかし、考えても仕方がない! 意を決して眼科医の診察を受けた。
結果的に「白内障の兆候が見られ、視力の低下を来している」
「問題は、黄斑部に”傷”が観られる事が重大です。 現時点では手当(眼球に注射(薬液投与)する)までは至っていない」
と、医師からの説明があった。
そして「黄斑部の障害は、白内障どころではない! 全盲に繋がる症状です」と、告げられた。
「経過観察をしましょう!」との提案があった。
二ヶ月に一度・通院する事にはなったが、”ほっと”する気持ちであった。
私「先生・パソコンをしているが、如何でしょう!?」
医師「特段・問題は有りません!続けて下さい」との回答であった。
帰宅し、スマホを操作しようと、生体認証を行かったが機能しない。
眼底検査の為に目薬を注入された。
看護師から「自動車の運転は控えて下さい。 採光調節・遠近間隔の回復まで・三時間程要します」との説明があった。
スマホは、私の瞳孔を異常と判断したのでしょう・・か?
6時間程の経過後、何時もの私の”眼”に戻った様であった。
視力低下は、白内障であること!
回復手段は有る事を知って、安堵している。
早く行けばよかった! とは、何時もの事である。
昨夜は、22時を過ぎた頃「寝よう・・!」と就寝した。
ウォーキングが体力的に、負担に成って来たのだろうか?睡魔が襲った。
そして、今日は(11月)9日・・・
目覚めて”犬くん”の事がを想い出された。
「そうか!今日は”犬くん”の月命日か・・!」と、思い出した。
我が家の”アイドル”だった”犬くんは、4年と6ヶ月前の今日・逝った。
犬くんが「(墓参に)来いよ!・・」と言っている様に思えた。
バイクで出掛けた。
犬くんが眠る墓地は、急勾配な坂道の途中にある。
線香を供え、生前を偲んだ。
「また来るね!」、後にした。
犬くんが居れば!と思うが、私には・その余力がない。
犬くんに癒されていた思い出が過る。
毎日が”日曜日”となって、バイクを乗り続けたい為に体力づくりを志す!
フィットネスクラブに、通い続けていた。
訳あって退会した後は、二日に一度の割合で、一万歩を目標に、ウォーキング始めた。
そして、今日・夜に降雨となる予報である。
今にも、降り出しそうな雲行きである。
14時頃と成って、準備を整え出発する。
折り返しの「運動公園」に至る。
一組(ご夫婦?)と、一人の”グリンキーパー”出逢っただけで、利用している人は居なかった。
広大な敷地は、遠くを通過する車両の音・意外、静寂であった。
それも・その筈(利用者が居ない)で、休館日の様であった。
今日のウォーキングの結果は、歩数:15,500歩 距離:11.8Km 速度:5.5Km/時 時間:約2時間
お尻が痛くて、長時間の使用(乗車)が辛い・・
バイクである。
人工皮革のカバーを外す。
サンダー(サンドペーパー)で、削る。
買って来ておいた「ゲルクッション(子供用)」を装着して、カバーをタッカーで留める。
試乗してみる。
尻の皮膚を残し、前にズレる様な感触である。
座席後部を低くしなければ成らないだろう・・!?
後日・再挑戦します。
幾度か・調整しなければ成らないだろう・・?
目覚めると、曇り空であった。
午後と成っても”お日さま”は望めない。
今日も、早めに(日が暮れない間に!)行こうと、準備を整え出発する。
運動公園では、少年野球の試合が行われていた。
サッカー場でも、中学生と思われる男女が試合?をしていた。
改めて「サッカーって大変だな!・・」走り続けなければ成らない競技であることを、認識した。
折り返し点を過ぎると、海岸沿いを歩く・・
土曜日と言う事もあるのでしょう!
多くの釣り人が居た。
しかし、釣果を現認する事は無かった。
歩きながら「寒いから入浴しようか・・」
汗ばんできて「(就寝前の)入浴まで待てないか・・?」
結局、シャワーで済ませた。
今日のウォーキングの結果は、 歩数:14,300歩 距離:11Km 速度:5.5Km/時 時間:2時間
こんな”商売”もあるんだぁ!と、思った日記である。
甥が、全国展開している「ホームセンター」に、努めている。
何年前になるだろう? この甥から「産直店を併設する!」と聞かされた。
その話を聞いて、違和感を覚えた。
機械油や農薬などと、食品を販売することに・・・!
私が利用する「ホームセンター」で、増床工事が行われた。
年月も過ぎ、ご近所さんの「Ku」さんが、其処に農産品を納めている事を知った。
そして、産直システムを知った。
先ず、契約金を支払って「権利?」を得る。
販売を委託する農産品を納めるための「ビニル袋」を買う。
販売価格を提示(シールを貼付)する。
売れると、販売価格の3割が引かれて収入と成るとのこと!
しかし、売れ残ったモノは、撤収をして持ち帰らくてはならない。
販売(産直)店は・在庫を抱えるリスクもなく、食品ロスのリスクも負わなくても良い。
商売に伴うリスクを負わないシステムであることを、知りました。
売れれば”利益”がある。
売れなくても、仕入れ損(リスク)は、発生しない・・・
集客だけが”リスク”の様である。
今日も、陽のあるあいだに”歩こう!”と、準備を整え出発する。
新たな”一家”と思える”鴨のグループ)”をみた。
私の侵入で?(手前の)干潟に 2羽・水辺に8羽が分散(逃げた)した。
10羽のグループ(家族?)が今日は、現認出来た。
ウォーキングを終え、シャワーで汗を流し、晩酌を頂く
通信カラオケを契約し、楽しんでいる事は過日の日記にしている。
久し振りに楽しもうと、電源を入れたが、マイク音が出ない。
悪戦苦闘するも、出来なかった。
此れが・昨夜の出来事あった。
買物もウォーキングを終え、カラオケが出来る様に、再挑戦した。
カラオケの設定すべき事は、終わった。
マイクの動作を確認するため、マイクの頭を”ポンポン”敲く・・
「ポン・ポン」と返信することが確認・出来た。
20曲余りを楽しんだ・・!
好きな時間に楽しめる事から、1,000円/月・は、惜しくはないと思うのである。
お金を支払っている私の(表現)歌に、容赦なく・冷酷な判定(点数)をする。
忖度はない!
高得点に成らないのは、私の音楽的な才能だから・・・!
仕方ないか!
今日のウォーキングの結果は、歩数:14,700歩 距離:11.2Km 速度:5.5Km/時 時間:2時間
私が生きて来た(歴史?)なかで、この様な事もあるのだと、思った事がある。
それは、とある山頂の物語である。
標高900m余りの一等三角点の石碑がある山頂である。
此処に施設(建屋)を建設する計画が持ち上がった。
其処で、問題となるのが「一等三角点」である。
此の地に、建屋を建築しようとすると、この一等三角点を撤去しなければ成らないだろう・・・?
”出来たら良し・出来なくても仕方ない!”と、折衝を開始した(らしい!)。
申請書(三角点の移設)を携え、当時の河野建設大臣に直訴したとの事・・
事業計画書(申請書)を視て、即座に許諾してもらったらしい・・!
その話を聞いて思った。
「芸も人なり・政治も経営も人なり・・」という”噺家”の宴台を・・
三角点は、此処でなくても良い! 測量に支障が無ければ!との、英断であったのでしょう・・!
その結果、一等三角点が建屋の屋上に存在する現実である。
三角点が、人工物にある現実は、これ以外に知らない。
此の建屋は、時代の変遷も有りながらも、社会生活に貢献しているとの事である。
14時を過ぎた頃、今日も陽のある間に歩こう!と、出掛けた。
家を出てから直ぐの処に有る川の水面を観た!
今日の絵日記の絵(写真)が、その様子である。
そう!鴨の一家?が、帰って来ていた・・
時節は、着実に”冬”へと向かっている。
多くの”鴨達”が帰って、此の地で冬を過ごすのだろう・・
その様な詩情な・思いはともあれ、着実に”歳”は経過している。
寂しいが・現実である。
今日のウォーキングの結果は、歩数:15,600歩 距離:11Km 速度:5.5Km/時 時間:2時間
汗をシャワーで流し、秋刀魚の味醂干しと”刺激のある飲み物”が、心地良く・美味しい!!
この様な楽しみも、有限なのだろう・・・
精々・楽しもうではないか!
過日の日記「転倒する経験を・・!(2021.10.30)」に関する”思い出”について記述しておきたい。
此の思い出の”地・施設”を「Ru」とする。
入社して基礎的な研修が終了したある時、出張を命じられた。
「Ru」の無人化工事への参加であった。
先の日記で「停留所」という事を記している。
その付近には、今で言うコンビニ的な「雑貨屋」や、社員住宅・単身者住宅(寮母さんが居た)があった。
注:入社時・仮宿舎であったが単車者寮が増設されたことから、単身者寮に移った。 此の寮の”寮母さん”が「Ru」の単身者住宅の”元寮母”であった。
「Ru 」は、県道のバス停から砂利道で4Km程の山頂に在った。
当時から、四輪駆動車が活躍した。
山頂の職場での作業が終われば、此の”寮”が宿泊場所となった。
話を戻して、山頂の職場は、木造の建屋であった。
そして、無人化の為の施設として、鉄筋コンクリート造と成っていた。
木造の旧建屋から設備や装置を移設した機器や、新設された機器・装置の機能試験を行う役割であった。
新たな建屋は・二階建で、一階は電源設備や停電に備えた電力装置(発電機)が設備されていた。
二階が設備(機械)室で、機器類が整然と配置されていた。
一日の仕事も終わり、宿泊所の”寮”へ移動する。
「(当時はあった)雑貨屋」で、食料品を買って来て、飲酒が始まる。
そして、此処に”進駐軍”が居たことを知った。
兵隊さんとの関わり等の話しに、興味を持って聴いた。
翌日、山頂の職場に移動し作業を再開したが”進駐軍”が居たという建屋を観た。
建屋の外壁は、青色に塗装されていた様に記憶している。
其処で現認し、今も鮮烈に記憶している。
それは、座って”用”と足す白磁のモノである。
話には聞いていた「此れが”アレか・・!?”」と、話と現物が合致した一瞬であった。
この様な体験を経て(入社より一年後に)転勤の辞令があった。
市街地にあった建屋を増築し、新組織化された”職場”であった。
所謂・管理者(所長等)他、総勢・20人程であったと、記憶している。
施設を24時間・保守・監視するため、四輪番(宿直・宿明・日勤・休み)の勤務体系は、前任地と同様であった。
出張や年休などには、補充要員が居た。
僻地(山頂)に有った「Ru」を無人化した事により、遠隔監視制御する業務が主たるものであった。
加えて、三ヶ月?に一度、「Ru」への巡回・保守点検作業があった。
やがて「Ru」にあった木造の建屋(進駐軍の建屋も含め)は撤去され、既存のコンクリート造の建屋を残し・更地となった。
先日・訪れた時には、巡回保守の思い出のある・此のコンクリート造も撤去され、新たな建屋となっていた。
加えて「Ru]を遠隔監視し、保守を担当していた、青春時代の職場も・今は無人となっているのである。
真空管式の装置からトランジスターへ・・集積回路を使った装置となって、信頼性の向上や消費電力低減に伴う「時代の趨勢(流れ)」なのだろう・・!?
在りし日の・その存在は、記憶のなかとなった。