微かに線香のにおいがする中、見えてきた景色は、着物ハンガーに掛かった、黒い着物。
線香のにおいもその着物からする。
あとは、何もない…。
暗闇に浮かぶ着物を見ていると、袖に腕が通り、前を合わせて…と、誰かが着物の中に入り込み、膨らみ…、今にも動きだしそうに見えた。
もう、これ以上ここに居るのはやめよう。
着物に背中を向けた瞬間、
ささー…と、衣擦れの音がして、線香のにおいが強くなった。
誰か居る…💦
あわてて部屋を抜け出し、部屋へ戻った。
翌日、義母が屋敷のたくさんある窓やガラス戸を拭くと言うので、手伝いをした。
部屋も多いので、さすがに大変だ。
…例の部屋の前に来た…。
「お義母さん、この部屋は…」
「あ、美枝さんがはじめて来た日に泊まった部屋?」
「そのもうひとつ奥の部屋…」
「何もない部屋でしょ。」
…着物がありしました。とは、言えなかった。こっそり入り込んだのがバレてしまう。
「その部屋は、去年まで仏間だったの。ある人に見て貰ったら、あの部屋を仏間にしておくと、子孫に恵まれない…って言われたから、私たちの寝室の隣に移したの。孫も出来たし、あなたも立派にここの嫁。後でご先祖様に挨拶してね」
美枝さんは、挨拶のため、義母と二人で、新しい仏間に入った。
ご先祖様の写真が鴨居に何枚も奉られている。
そして、ここにも着物が掛けられていた。
…そうか、はじめて泊まった部屋の隣には、ご先祖様の写真がこんな風に奉られていたんだ…。
あの日、私の布団のまわりを歩いたのは、このご先祖様たちだろうか…。
「この、着物は?」
「私の着物。先祖代々、この家の嫁になると、この家の家紋の着物をもらうの。美枝さんにも着物を用意してますよ。」
…元の仏間の着物は、ひとつ前の"嫁"お祖母さんのもの?
「ひとつ前の嫁…、私の姑の着物も飾られていたんだけどね…。前の仏間にまだあるよ。」
…心を読まれたかな?💦
「私は、ここに写真を飾らないでね」
義母はニコッと笑った。
「え?飾らないんですか?」
「もう、そんな時代じゃないよね。もうひとつ前の姑は、写真嫌いで、ここにいないの。だから着物を飾ったの。」
「…そうなんですか…」
「私の時も、飾るのは着物でいいよ。私も写真は苦手。それに、着物を飾る部屋は、前の仏間で。前の姑は、随分嫁姑で苦労したみたいだから、ご先祖様と一緒に飾らないで欲しいと言われてたの。私は、姑に可愛がられてたから、そっちがいいな。」
…いろいろあるんだ…。
「午後には、カーテンを洗うの手伝ってね」
そして、また、たくさんのカーテンを外して、洗うのを手伝った。
「本当に大変だから、手伝ってくれる美枝さんが来たときにやろうと思ってたの」
「もっと手伝いますから、言ってください」
「ありがとう。いい嫁で良かった。美枝さんが嫁に来るのを嫌がったらどうしよう…と、心配だったの」
「そんなことありませんよ」
「…あるのよ。」
義母の顔が急に緊張した顔になった。
「あなたがはじめて泊まった晩…、大変な目にあったでしょ…」
「…え?」
「だいたいあれで、破談になるの」
「………」
「そりゃそうだよね…、あんな怖い思いしてまで嫁に来る人はいないよね」
「お義母さんも…ですか?」
「そう…。私の姑もそうだった…らしい」
「そ、そうなんですか…💦💦」
「いろいろあっても、ここへ来てくれて、ありがとうね」
そして、美枝さんは、その後、二人目にも恵まれて、穏やかに暮らしてますが、写真嫌いになったそうです。