がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

「少しは休んで」

2009年03月23日 22時37分30秒 | 徒然
ありがたく、とても嬉しい言葉だけれど、体を休めても頭は働いている。
仕事をしなくても、家事をしている。
家事をしなくとも、自分にとっての勉強をしている。

「休む」 という言葉の意味はいろいろに取れるが、
休む = 何もしない   何もしない = 何も生まない無駄な時間
と捉えると、これはどうやら私には似合わないらしい。


休む = 次のステップへ進むための体力を作るための時間 と捉えれば納得がいくのか。


だがしかし、眠くもないのに横になるのは
横になっていることに我慢ができないし、
何かしらしたいのに「何もしない」「何もするな」は
私にとってはかえって酷なことなのだ。


やりたいことをやりたいときにやる。

これが一番自分で生き生き出来る時なのだと思う。



どこかで見た言葉に
「休みなど、死んでからいくらでも取れる。今は働くべき時だ」

妙に納得した言葉だ。

人はきっと、自分なりに「今やるべき」時を自覚しているのだと思う。

そして自分は今が、その「やるべき」時なのだと思う。




まぁ、いろいろあるけどね。大変なこととか嫌なこととか面倒くさいこととか放り出したいこととか。



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