がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

湧別川の秋

2012年10月01日 22時06分14秒 | 徒然

M氏と二人、アツシの材料洗いのため、湧別川下流へ。

 

季節は秋。 秋サケの遡上、真っ盛りの時期なのだが・・  

正直な所、「秋だね、サケの遡上の時期だね」 と、浮かれてはいられないものを見てしまった。

 

 

少しでも上流へ、と向かう サケたちを見てほしい。   動画はこちら

 

この堰は高さがおよそ1メートル程。 ひっきりなしにジャンプするサケたち。

今年はどうやら大漁のようだ。 川面にも黒くうごめくたくさんのサケの背中が見える。

あちこちで堰の手前で体が完全に躍り出るほど、元気にジャンプするサケもいる。

 

そして、この堰を越えようと、たくさんのサケがジャンプをくりかえす。

だが、ジャンプは届かず、同じ場所へ落ちる。 

時にはその場所が、流れる川の水に叩きつけられるテトラポットの上。

サケたちは傷つき、だがそれでも上流へと必死にジャンプを続ける。

 

30分程、現場で川を見つめながら作業をしたが、その間、ジャンプがうまくいき、上流へと向かっていったサケを見たのは たったの二匹。

 

 

そして少なからずショッキングなものを見てしまった。

 

1枚目の写真の下側 (手前) のテトラポットの隙間に大量のサケが死んでいた。

そちこちに、卵がこぼれ、コンクリートに貼りつき、乾燥しきっていた。

 

 

これが、自然淘汰だ、と言われれば反論のしようがないが、

だが、この堰に、わずか幅50cmの魚道があったなら と、心から思った。

 

腹にたくさんの卵を抱え、湧別川へと戻って来たサケたち。

だが、数か所の堰で、たくさんのサケたちが遡上できずに脱落し、こうして死んでいく。

魚道が作られて、このサケたちが、もっとたくさん上流へ上がっていくことが出来たなら

上流で生まれたサケの卵たちが、また海へ回帰し、

4年後にはもっとたくさんのサケたちが湧別川へ帰ってくるのではないのか。

 

なぜ湧別川のこの堰には、魚道がないのか。

このたくさんのサケの死骸を見て、何も考えることはないのか。

 

自分に土木の力があるなら、自分で川を堰き止め、魚道を作りたいと思うほどだ。

 

皆の声が欲しい。 皆で「湧別川に魚道を作って!!」という声を上げたい。

協力して下さる人はいるのだろうか。

フェイスブックを使っている方、賛同して下さる方がいるなら、ぜひシェアして頂きたいと思います。

湧別川にも、魚道を作って!

 

(テトラポットと護岸のコンクリートの隙間に嵌ってしまったサケ。 もう自力ではここから抜け出ることはできないだろう。 身体中、傷だらけになったサケは、この隙間で、命を落とすのだろう。)


内容掲示

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