2015年9月8日、同僚の従兄弟さんが亡くなった。
死因は出火によるものだった。
私自身は親戚ではないため、パートを休むことはできず、
同僚父子だけで遺体のお引き取り等 すべてのことを終えられた。
一週間後、フリーペーパーの仕事のため 紋別を訪れた私は直接、何度かお邪魔をした家に向かった。
悲しい姿で 家は残っていた。
おばさんもおじさんも病死され、一人残られた従兄弟さんだった。
ご冥福をお祈りいたします。。。
2015年9月8日、同僚の従兄弟さんが亡くなった。
死因は出火によるものだった。
私自身は親戚ではないため、パートを休むことはできず、
同僚父子だけで遺体のお引き取り等 すべてのことを終えられた。
一週間後、フリーペーパーの仕事のため 紋別を訪れた私は直接、何度かお邪魔をした家に向かった。
悲しい姿で 家は残っていた。
おばさんもおじさんも病死され、一人残られた従兄弟さんだった。
ご冥福をお祈りいたします。。。
午後8時、高齢の母と共に無事に旭川より帰宅。
短時間ではありましたが、従兄弟たちとも、これまでの人生の隙間を埋められた濃密な時を過ごしました。
叔母が亡くなったという悲しい出来事ではありましたが、こんな時でしか共有できない貴重な場でもありました。
おばちゃん、最後まで皆をまとめてくれた。心からお礼を伝えたい。
本当にありがとう。
向こうに行っても私たちをどうぞ見守り続けて下さいね。(*´ω`*)