がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

【訃報】旭川の叔母が逝去

2015年09月26日 10時31分36秒 | 徒然

旭川の叔母が逝去。

母と二人、葬儀に参列させて頂いた。

子供の頃から本当にかわいがってくれた叔母であった。

亡くなってしまったのは悲しい事実だが、

高齢の母と、母の兄にとって、きっと最後の再会を果たせた場でもあった。

母は足が悪くなり、そうそう旭川に来ることも叶わなくなり、

母の兄も高齢になったことから、長く暮らした家を手放し、夫婦でホームに入所した。

母の言葉を借りれば、「もう二度と会うことは叶わなかった」と。

写真は、夕食。お味噌汁がとっても美味しかった。

通夜会場は自宅からすぐのセレモニーホール。

午前2時をまわり、ひとり線香守をするσ(^^)。

スマホを持ち込み、普段聴きなれた静かなBGMを小さく流しながら、叔母の棺の前に椅子を持ち出し、

対面会話。 

おばちゃん。 本当にいろいろありがとう。

こんなこと、あったねぇ。 ソファーで飛んだり跳ねたりして、怒られたっけねぇ。

いろんな話をしてくれたねぇ。

いい時間を、穏やかな時間を もたせていただきました。

午前3時半。

朝まで、誰かが来てくれるまで待っていようと思ったけれど、疲れと眠気に負け、

最後にお線香を一本たてて控室にて布団に転がり込んだ。 即、爆睡。

誰かが(母?)布団をかけてくれたこと、「頑張り屋さんだよね」と従兄弟が話をしてるのが聞こえたことくらいしか記憶がない。

 

午前6時半、「食事の用意ができました」と言葉が聞こえて目が覚める。

いや、決して 食べたいがために 目が覚めたのではございません。(^^;

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午前10時50分 出棺。

時間が来るまでの間、母と母の兄はずっと一緒に話がつきなかった。

旭川の火葬場はとても大きかった。

たくさんの想い出と共に、叔母は旅立っていった。

おばちゃん、本当にありがとう。


直感・・> さっさと支払ってしまえ

2015年09月26日 10時18分21秒 | 徒然

息子の高校入学のために町から融資を受けさせていただいた。

一回の金額が小さく、長期にわたるお支払。

で。

今朝、夢うつつで 「終わらせよう」

 

 

 

いや・・まぁ、

いつまでも もったいぶってダラダラ払ってないで、

払える時に一気に払ってしまえ っつぅことなんだけどね。(^^;


内容掲示

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