がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

平成30年胆振東部地震

2018年09月07日 15時44分24秒 | 食堂のおばちゃん

午前3時8分。作業を終えて(PC)ビデオ見ながら編み物してたら、突然すべての灯りが消えた。

きょとん。

家の中を見回しても、窓から外を見ても、真っ暗。

星灯りでわずかに建物の陰がうつる。

スマホの灯りで玄関から外へ出たが、信号も家の灯りも(午前3時だからほぼ消えているが)すべてが消えていた。

「停電・・」

フェイスブックの知人の書き込みに「ものすごく揺れた。怖かった」という一文を最後に、

スマホ自体も充電中だったが残量30%と少なかったため、消費を少なくするべく電源を切って眠ることにした。

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午前5時。少しばかりのあわただしさに目が覚める。

婿さんがバタバタと仕事に出かけるのを娘が見送るところだった。

「大きな地震が起きて北海道全土で停電だって」

頭をよぎったのは、

1.2キロ離れた実家で一人暮らしの母と合流

2.冷凍冷蔵庫内の食材をどうするか

3.ラジオを手に入れなければ

4.連絡手段であるスマホの充電方法をどうするか

5.停電が数日にわたるようなら夜の灯りの心配。ろうそくの確保とマッチあるいはライター。

6.断水の不安。1つでも多くの容器に水を確保

元々が ”食事を提供する”立場なので、食材はあり、いわゆる ”水と食料を確保” の動きは最小限。

震源地(震度7)の胆振から遠軽は離れているので揺れは感じなかったが、苫東厚真発電所の停止→全ての発電所の連鎖停止で道内のすべての電気が止まってしまった。

午前9時。

信号も全て停止し、一部では誘導員がいたが 周りのクルマとの接触事故に注意しながら実家食堂へ行き母と合流。

異常がないことを確認し、いったん自宅へ戻る。

スマホの充電は、クルマの電源を利用。

徒歩で街中の様子をみながら、運よく開店していれば携帯ラジオがないかとツルハへ向かう。

コープさっぽろは貼り紙され閉店、隣接するダイソーも貼り紙閉店。

ツルハは開いていたが、店内は真っ暗。お客はレジに長蛇の列、レジが動かないので手動計算&清算だった。

欲しいモノはなかったのでそのまま帰宅。

実家食堂も営業はできないと考えたが、ガスと水は使えるので 麺類のみに限り営業をすることにした。

今度は娘を伴い、再び実家へ向う。

3日前の給油時に四千円分入れておいたので、慌てて再給油の不安がなく 良かった。

暗くなる午後7時まで、途中からロウソクを数か所に配置し、店は続けた。

お客様は一人だったが(もうみんな自宅へ閉じこもったはず)来てくださったことに感謝。

ラジオから聞こえる情報では、停電復旧には一週間を要する・・と。

この間、何をどうすればいいのか案を巡らせる。

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母に改めて挨拶をし、自宅へ戻る。

電気もなく することもなく(床掃除もトイレ掃除も明るいうちに終えてしまった) 婿さんと娘と3人で冷蔵庫の残り食材を食べる。

午後8時頃、3人で外へ出る。

月がなく雲もなく、満天の星。頭上にくっきりと天の川が見えた。

全ての灯りが存在しない 初めての暗闇。そこで見る 初めての素晴らしい夜空の星たち。

一生に一度、あるかどうかの経験をした。

写真が撮れなかったのが残念。

滞っていた編み物(ネコの抱き枕ww)を完成させてしまい、午前2時、とうとうやることも尽き、ベッドに。

明日~目が覚めたら~ の停電の一日にはどう対処していこうか・・など考えを巡らせながら、いつのまにか眠ったらしい。

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ひと眠りして目が覚めた午前4時過ぎ、窓へ目をやると「お?」街灯が点いていた。

再度、玄関から顔をのぞかせ、確かに灯りのついている街灯。だが信号はまだ点いていない。

危険回避のため落としていたブレーカーを入れてみた。

昨日の夜中に使っていた、PC前の灯りが点いた! PCは当然、電源が落ちたまま。

しかし、何回か 消防車のサイレンが鳴り響く。

通電したと同時に発火した家があるのだろう。

ブレーカーを落としておいて良かった。


内容掲示

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