賄賂は頂くもの?

 「わたし自身、賄賂(わいろ)をいただいたという認識はない」とは、最高裁において裁判長ら裁判官5人全員一致により上告が棄却され懲役2年、追徴金1100万円の刑が確定した鈴木宗男被告(62歳、衆議院議員、新党大地代表)の弁。しかしだ、賄賂というのは「貰う(もらう)物」ではなく「頂く(いただく)物」なのか?

 「頂く」は「貰う」の謙譲語だと思うが、不法な金品に対して、あるいはそれを「くれた」人に対しても謙譲語である「頂く」を使うものなのか? こう云う後ろ暗い金品はやはり「賄賂を貰う」もしくはもっと有体に「賄賂を出させる」じゃないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。

 それにしても「私としては、賄賂だと云う認識はない」と云うコメントには驚くしかない。「私としてはスピード違反をしたと云う認識はない。ただ、100km/hで走行中の愛車フェラーリのアクセルを更に深く踏んだだけである」とか、「私には人を殺したと云う認識はない。被害者の目の前で拳銃の引き金を引いたら弾丸が発射されて、その弾丸が被害者の心臓を打ち抜いただけである」と云っているのとほとんど変わりがないように郷秋<Gauche>には思えてならない。

 目の不自由な何人かが象を触って、足を触った人が象とは丸太のようなものだと云い、鼻を触った人が太いロープのようなものだと云い、耳を触った人が団扇のようなものだと云い、腹を触った人が壁みたいなものだと云ったという話がある。どれも間違いではないけれど、真実を語っているとは云い難い。

 同じように、200km/hオーバーで走行してもアクセルを更にグイっと踏み込んだだけだと云う人や、人を殺しても私は拳銃の引き金を引いただけだと云う人もいる。同じように「あのカネはAさんが勝手持ってきたので、ただ貰っただけである。決して賄賂ではない」と云う人がいる。人の価値観は様々だと云うことを、あるいはものは云いようだと、つくづく思い知った郷秋<Gauche>である。

 鈴木宗男氏に金品を持っていくとそれは(おそらく確実に)賄賂になる。つまりあなたは贈賄罪に問われることになります。金品のしまい場所に困っている方は郷秋<Gauche>のところに持ってきてください。郷秋<Gauche>が貰ってあげます。郷秋<Gauche>のところに持ってくる分には、それは純粋な善意に基づく寄付行為であり、あなたが贈賄罪に問われる心配はありません。郷秋<Gauche>はちゃんと贈与税の申告をしますので、あなたに迷惑がかかることは一切ありません。ご希望の方はどうぞ遠慮なくお申し出ください。


 例によって記事本文は何の関係もない今日の一枚は、洋種山牛蒡(ようしゅやまごぼう)の実。洋種山牛蒡は北米原産。明治期以降日本各地で野生化・雑草化しているが毒草なので近寄らない方がいい。しかし、こんな毒草にも「野生」「元気」「内縁の妻」と云う花言葉があるのだと云う。「野生」と「元気」はともかくとして、一体全体どんな謂れがあり「内縁の妻」などと云う不可思議な花言葉が付けられたのか、郷秋<Gauche>は知りたいぞ。
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