唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
小林可夢偉は大したものだ
F1きっての高速サーキット、モンツァで行われた2010年F1第14戦は激しくも、しかし静かな中にそのレースを終えた。前戦、スパ・フランコルシャンでチャンピョンシップを一歩リードしたかに見えたハミルトンは1周できずにリタイヤ。またウェバーも6位9ポイントと低迷したのに対して、前戦を共にリタイヤ、0ポイントに終わったアロンソとバトンが1-2位と云う対照的な結果となり、第14戦時点でのポイントは
1位:ウェバー 187ポイント
2位:ハミルトン 182ポイント
3位:アロンソ 166ポイント
4位:バトン 165ポイント
5位:ヴェッテル 163ポイント
と、5人が僅差で並ぶ結果となった。ウェバーとハミルトンが一歩ぬきん出てはいるが、ハミルトンとアロンソの16ポイント差は一発逆転の範囲内(1位と8位で逆転)であるし、アロンソ以下3人のポイント差は無いに等しいと云って良い。2010年シーズンにF1史上初めてと云って良いほど大きな変更があったポイント制だが、これが幸いして実に面白くなったチャンピョンシップ争いであるから、この変更は大成功であったと云うべきだろうな。それにしても残り5戦からますます目が離せない今年のF1であ。
さて、本日のタイトル、「小林可夢偉はたいしたものだ」について触れねばなるまい。モンツァでの可夢偉は残念ながらギアボックストラブルによりスターティンググリッドに着く事さえ許されず、挙句ゼロ周リタイヤであった。まっ、可夢偉にはまったく責任の無いリタイヤではあるが、「大したもの」には程遠い結果ではある。では何か大したものかと云えば、チームメイトが解雇の危機(一説には既にイタリアGP後に解雇が決まったと云う)の中、2011年の契約が確実なものとなったことである。
可夢偉の21ポイントに対してデ・ラ・ロサがわずか6ポイントであることを考えれば当然の結果とも云えるけれど、可夢偉以前の日本人ドライバーとチームメイトとの成績を比較した時、これは画期的な状況であると断言できる。古くは1987年のロータスにおけるセナと中嶋、翌年、翌々年のピケと中嶋、1990年のアレジと中嶋。近くは2004-2005年、BARホンダのバトンと佐藤琢磨。ポイントランキングで上位にいるのは常にチームメイトであり、チームから放出されるのは中嶋であり琢磨であった。
この図式は鈴木亜久里も片山右京も中野信治も中嶋一貴も同じであった。日本人ドライバーは常にチームメイトの後塵を拝し、そしてチームメイトよりも先にチームを追われる。
この図式を初めて破ったのが小林可夢偉である。チームメイトの3倍以上のポイントをチームにもたらし、チームメイトがシーズン途中に放出の危機に晒される中で2011年のシートを確実なものにしている。近年では佐藤琢磨が大いに期待されたけれど、結果はご存知の通り。その琢磨を上回る戦績を収め2011年のシートを確実なものにした小林は、やはり相当大したものなのである。
注:これまでの日本人ドライバーが「無意味」であったと云っているのではない。中嶋悟がF1への扉をこじ開けなければ今の小林はいなかっただろし、右京や琢磨の活躍が無ければ日本人ドライバーが注目されることは無かったのだから。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、韮の花。畑でつくられていたはずの韮ですが、気をつけて辺りをみわたすと、道端など意外なところに根を下ろし花を咲かせていることに気付くことでしょう。これが「韮」あることに疑いを持つ方は、どうぞその葉を千切って匂いをかいでみてください。
1位:ウェバー 187ポイント
2位:ハミルトン 182ポイント
3位:アロンソ 166ポイント
4位:バトン 165ポイント
5位:ヴェッテル 163ポイント
と、5人が僅差で並ぶ結果となった。ウェバーとハミルトンが一歩ぬきん出てはいるが、ハミルトンとアロンソの16ポイント差は一発逆転の範囲内(1位と8位で逆転)であるし、アロンソ以下3人のポイント差は無いに等しいと云って良い。2010年シーズンにF1史上初めてと云って良いほど大きな変更があったポイント制だが、これが幸いして実に面白くなったチャンピョンシップ争いであるから、この変更は大成功であったと云うべきだろうな。それにしても残り5戦からますます目が離せない今年のF1であ。
さて、本日のタイトル、「小林可夢偉はたいしたものだ」について触れねばなるまい。モンツァでの可夢偉は残念ながらギアボックストラブルによりスターティンググリッドに着く事さえ許されず、挙句ゼロ周リタイヤであった。まっ、可夢偉にはまったく責任の無いリタイヤではあるが、「大したもの」には程遠い結果ではある。では何か大したものかと云えば、チームメイトが解雇の危機(一説には既にイタリアGP後に解雇が決まったと云う)の中、2011年の契約が確実なものとなったことである。
可夢偉の21ポイントに対してデ・ラ・ロサがわずか6ポイントであることを考えれば当然の結果とも云えるけれど、可夢偉以前の日本人ドライバーとチームメイトとの成績を比較した時、これは画期的な状況であると断言できる。古くは1987年のロータスにおけるセナと中嶋、翌年、翌々年のピケと中嶋、1990年のアレジと中嶋。近くは2004-2005年、BARホンダのバトンと佐藤琢磨。ポイントランキングで上位にいるのは常にチームメイトであり、チームから放出されるのは中嶋であり琢磨であった。
この図式は鈴木亜久里も片山右京も中野信治も中嶋一貴も同じであった。日本人ドライバーは常にチームメイトの後塵を拝し、そしてチームメイトよりも先にチームを追われる。
この図式を初めて破ったのが小林可夢偉である。チームメイトの3倍以上のポイントをチームにもたらし、チームメイトがシーズン途中に放出の危機に晒される中で2011年のシートを確実なものにしている。近年では佐藤琢磨が大いに期待されたけれど、結果はご存知の通り。その琢磨を上回る戦績を収め2011年のシートを確実なものにした小林は、やはり相当大したものなのである。
注:これまでの日本人ドライバーが「無意味」であったと云っているのではない。中嶋悟がF1への扉をこじ開けなければ今の小林はいなかっただろし、右京や琢磨の活躍が無ければ日本人ドライバーが注目されることは無かったのだから。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、韮の花。畑でつくられていたはずの韮ですが、気をつけて辺りをみわたすと、道端など意外なところに根を下ろし花を咲かせていることに気付くことでしょう。これが「韮」あることに疑いを持つ方は、どうぞその葉を千切って匂いをかいでみてください。
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