唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
新聞日本語?
「新聞日本語」。そんな言葉は無いのかも知れないけれど、いや、きっとないのだと思うので、郷秋がいま、作った。「新聞日本語」。
今日の神奈川新聞の投書欄に「投書から学ぶ文章の添削」(74歳Yさん、多分女性)と云う投書が掲載されていた。Yさんは神奈川新聞投書欄への投書が趣味であり生き甲斐でもある方のようだ。そのYさんがこんなことを書いていた。「また、花や虫の名は『スイセン』『セミ』などと、カタカナで書くのが正しいようだ。」
確かに植物分類上の名前はカタカナで書くのが正しいようだが、季節の代名詞として、早春の空気感を表すのだとすれば「スイセン」ではなく「水仙」であろう。同様に真夏のジリジリと照りつける太陽やその凄まじい暑さを表現しようとすれば「ヒマワリ」ではなく「向日葵」あるいは「ひまわり」であるはずだ。昆虫も同じ。「閑さや岩にしみ入蝉の声」であって、「セミの声」では暑さは伝わらない。動物だってその種類を表す「ネコ」や「イヌ」では可愛らしさは表現できない。やはり「子猫」であったり「子犬」であるはずだ。
新聞には(多分)当用漢字以外の漢字は使わないとか、動植物の名前はカタカナで表記するとか、外国の人名や地名を表記する場合であってもヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォは使わないなどの決まりがあるのだ。だから、音楽愛好家に馴染の「ベートーヴェン」は許されず「ベートーベン」となる。郷秋にとってBeethovenはあくまでも「ベートーヴェン」であり、「ベートーベン」では似た名前の別人にしか思えない。
Yさんは、神奈川新聞の投書欄担当者がYさんの原稿を添削した後の文章が正しい日本語であると信じ、出来るだけ添削の少ない文章を書いて投稿したいと考えておられるようだが、郷秋は、それは違うと思う。新聞社が良しとするのは「新聞日本語」であって、季節を感じさせ、時にひとの心を動かす温かみのある言葉とは別の種類のものであるように思えてならないのだ。
さて、最初に書いたYさんの投書のタイトル、「投書から学ぶ文章の添削」もどうだろうか。果たして神奈川新聞の担当者が添削したものかどうかは判らないが、郷秋なら「投書の添削で学ぶ正しい『新聞日本語』」と云うタイトルを付けるぞ。
「恩田の森Now」
日曜日に撮影した写真は火曜日以降の掲載を予定しております。今しばらくお待ちください。
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori/