ヒトはより無能で怠惰な生き物に向かって進化している

 自分で露出を合せることもピントを合わせることも必要のないカメラが登場したのは40年前。それ以降、光の量を判断し適切な絞りとシャッター速度を設定する能力や素早くピントを合わせる能力を、ヒトは失った。あと数年もすればカメラを構えさえすればAIが最適なフレーミングで写真を撮ってくれるカメラが登場することだろう。ヒトが構図を考える能力を失うのも遠い先のことではないのだ。

 昨日、アクセルもブレーキも踏まずステアリングを回すこともせずしてA地点からB地点まで走ってくれるクルマがまもなく登場することを書いた。そんなクルマがフツーになれば、人はクルマを運転する能力を失う。考えてみればヒトはクルマの速度やアクセルの踏み具合を勘案して自らギアを選ぶ能力を失って久しいし、紙に印刷された地図を読み解き方角を見定めて見知らぬ目的地にたどり着くために必要な能力も既に失っている。

 便利な道具や機械が登場するたびにヒトは何かしらの能力を使わなくなり、その能力はやがて失われる。ヒトはこれまでにどれほどの能力を失ってきたのか。そしてこれからどれだけの能力を失うのか。科学技術の発達と共にヒトがより無能で怠惰な生き物に向かって進化を続けていることは間違いのない確実である。

 例によって記事本文とはなんの関係もない今日の一枚は、矢車菊(やぐるまぎく)。フランスとドイツの国花なのだそうです。

 blog「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori には、ただいまは5月13日に撮った写真を6点掲載いたしております。田んぼに水が入り始めた初夏の森の様子をご覧いただければ幸いです。

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