唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
郡山の象徴は安達太良山と阿武隈川
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郡山市の北方15km程の大玉村から見た安達太良山
画像はWikipediaより
昨日、昨年逝去した日本を代表する作曲家の一人、故湯浅譲二(ゆあさ じょうじ。1929年8月12日-2024年7月2日。福島県郡山市出身。文化功労者)さんのお別れの会が、サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)において開かれた。
福島民報配信の記事によれば、音楽関係者ら約200人が参列、チェリストの堤剛先生、作曲家の池辺晋一郎さんらが思い出を語り、湯浅さん作曲の「あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』(注)による」が流れる中、参列者が献花したとのこと。
注:詩集「智恵子抄」(1941年)より。
湯浅譲二さんが郡山出身であることは存じてはいたがどんな作品があるのかまったく知らず、「あれが阿多多羅山」と云う故郷にちなんだ作品があることも今回初めて知るに至った。
曲の構成はその曲名通りであるが、バリトンが繰り返し歌うのは「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」であり、詩の多くの部分は歌手によって朗読される、11分ほどの作品であった。
本作品は郡山市が市政90周年を記念し湯浅さんに委嘱した作品で、2016年に郡山市出身の本名徹次の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団と松平敬によって初演されている。
市制施行100周年記念式典音楽祭のホームページ
https://www.city.koriyama.lg.jp/site/gakutokoriyama/115471.html
において聴くことができる(23分辺りから)。
阿多多羅山(あだたらやま)と阿武隈川(あぶくまがわ)。「阿多多羅山」と書かれたものを見て違和感を感じる方もおられることでしょう。そう、現在は「安達太良山」と書かれる山です。安達太郎山と云う別名もありますが、これは「坂東太郎」と同じ発想の命名ですね。表記は何れにしても安達太良山は旧郡山市内のほとんどの地点から北方に鎮座する姿を見ることができる、やはり郡山地方の風物を代表する山です。
【市立郡山第一中学校校歌】
土岐善麿作詞 信時 潔作曲
(一節の前半)
安達太良の峰朝晴れて
磐梯雲にはるかなり
夕日に浮かぶ阿武隈や
波音清し分水路
注:「分水路」とは、安積原野と呼ばれた不毛の地、郡山地方の農業用水、発電用水として農業・工業の発展をもたらした、猪苗代から水を引いた安積疏水の分水路のこと。
私が卒業した中学校の校歌でもこのように謳われております。
ちなみに会津地方に位置する福島県を代表する山、磐梯山は私の実家あたりからは奥羽山脈の山々の間から頂上付近が少しだけ見えます。
湯浅譲二さんのお別れの会が開かれた昨日には、やはり郡山市出身者で昨年10月に逝去された俳優の西田敏行さんのお別れの会が開かれていたようです。西田さんのお別れの会の式場には福島県を代表する風物として分かり易い磐梯山と猪苗代湖が描かれていたようです。ただ、西田さんが幼少の頃に住んでいたと云われる市内小原田地区は郡山駅の北側、阿武隈川の左岸に位置する低地であることから、磐梯山は見えなかったのではないでしょうか。
より多くの日本人にとっては、福島県を代表するのは磐梯山と猪苗代湖かも知れませんが郡山地方を代表するのは、やはり安達太良山と阿武隈川ではないかなと思うところですが、如何でしょうか。
横浜市青葉区の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影・掲載しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは2月15日に撮影した写真を4点掲載いたしております。浅春から早春へと移りゆく森の様子をご覧いただけましたら大変嬉しく思います。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/d40709c178ac1567ca5ee4582720e274
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