このblogのアクセス解析画面を見ていて、二つの記事へのアクセスが多くなっていることに気づきました。その記事とは次の二つ。
【この際、オリンピックを止めませんか】
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/ad689a8825faf37577f8630bf561ff54
【1964年東京オリンピックの功罪】
https://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/88372b5207f5ecbf458653b23edc5c87
ちょうど6年前の9月1日と2日に書いた記事ですが、そこに書かれていたのはまさに今年の夏に行われたオリンピックとパラリンピックが開催されていた期間にずっと感じていたこと、そのものでした。
「東日本大震災からの復興を記念するオリンピック」は、いつの間にか「人類が新型コロナに打ち勝った証としてのオリンピック」にとすり替えられてしまいましたが、皮肉なことにそのオリンピックとパラリンピックに現を抜かしている間に日本国内では新型コロナ感染が爆発的に拡大し医療は逼迫、尊い人命が数多奪われました。
国は、国民には不要不急の外出は自粛しろ、大勢での集まりはするなと云いながら、一方では世界最大規模のイベント実施に突っ走った。云わばアクセルとブレーキを同時に踏むような施策によって、多くの国民のコロナに対する警戒心が緩んだのです。
オリンピック・パラリンピックに参加し競技に尽くした選手には何の責任もありません。それぞれの競技が行われ、そこに尊く感動的なドラマが繰り広げられたことは事実です。ですが、祭りの後に何が残るのでしょうか。
1964年東京オリンピックの功罪については上記のblog書いてありますので繰り返しませんが、2020+1東京オリンピックが残すのは、6年前には2兆円と云われていたはずの開催経費が今や4兆円とも云われる大きな借金、そして今後数十年に渡り続く施設の多額の維持費、そして「あの時オリンピックを断念しコロナ対策に専念していれば」と云う後悔の念だけなのではないかと思えてならないのです。
と云うわけで、例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、実りの時を迎えた柘榴。暑い時期にたくさんの花が咲くのに、結実するのはほんのわずかです。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは9月5日に撮影した初秋の森の様子を掲載いたしております。ご覧いただけたら嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/38dd0d9894787fe7ab71defe6fa0e39d
To the author of this page: gaucheadgc(at sign)gmail(dot)com
Type "ijnuG ihsoyiK" adversely, and find me on Facebook.
#オリンピック開催の功罪 #ザクロ #1964年東京オリンピック #2020東京オリンピック