ドイツ語で「第九」?

 今日の神奈川新聞、湘南のページに「ドイツ語で『第九』合唱 来月4日にコンサート 市民180人練習に熱 茅ヶ崎」と云う記事が載っていた。「ドイツ語で『第九』」ですか!って、そもそも『第九』(勿論、マーラーの9番ではなく、ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」のことだ)の終楽章の合唱の歌詞はドイツ語で書かれている。だからドイツ語で歌うのが当然である。なのに神奈川新聞の記事のタイトルは「ドイツ語で『第九』」ですよ。なんか変だと思いませか。更に云えば、記事には「ベートーベン」と書かれていた。さすが、由緒正しき神奈川新聞である。

 

 「第九」はドイツ語。「ハレルヤ」は英語、ミサ曲はラテン語で歌われる。ドイツ語、英語の歌詞、ラテン語の歌詞(正しくは「ミサ典礼文」)の言葉に音がつけられているのだ。それぞれの言葉の発音、イントネーションに相応しい音がつけられている。その言葉を日本語に翻訳して日本語で歌おうとすると、歌詞と音とに乖離が生じる。どんなに上手に翻訳歌詞をつけても、すべての音に相応しい歌詞を載せることはできない。

 

 だから、ドイツ語で書かれた曲はドイツ語で、英語で書かれた曲は英語で、ラテン語で書かれた曲はラテン語で歌わなければならない。そうでなければ作曲者の意図を正しく表現することは出来ない。中学校などでは、ときとして第九やハレルヤを日本語で歌うことがあるようだが、郷秋<Gauche>はまったく感心しない。英語やドイツ語が読めなければ、片仮名で読みを振ってでも英語あるいはドイツ語で歌うのが良い。テキストの中には片仮名と平仮名を駆使して、よりドイツ語に近い発音が出来るように工夫されているものもあるから是非とも探して欲しい。

 

 ただし、その歌詞の意味も解らず歌うのは論外である。使っているテキスト(楽譜)に日本語の訳を書き込むことも大切なことである。自分が今歌っているこの英語、ドイツ語、ラテン語はなんと云う意味なのか判らなければ、音に言葉がのっても、音と言葉に気持ちがのらなければ意味がない。ドイツ語やラテン語などの話者が近くにいなければ、録音などで聞いて正しい発音を覚えること。更に楽譜に書かれた英独羅の歌詞の下に日本語訳を書き込むこと。

 

 難しいこと、困難なことに挑戦してこそ意味がある。特に中学生など若い人にこそ、苦労してでも本来の言葉で歌って、本来の音楽の深みを感じとって欲しいと郷秋<Gauche>は思うぞ。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、なるせの森の畑で元気に育ちつつある冬の野菜たち。見るからに美味そうだ!

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