唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
カメラの総レリーズ回数を調べる
デジタル一眼レフの話である。昨日、序列的には一眼レフより下のはずの「デジタル一眼」の価格が一眼レフよりもかなり高価であることを書いた。まっ、そこを除けばプロ用ハイエンド機を頂点にして序列通りに価格は少しずつ上昇する。各メーカー、キットとなるレンズの「松竹梅」も併せて1~3万円違いと小刻みに製品を展開している。
しかし、驚くのは中級機とハイエンド機の大きな価格差である。Nikon(ニコン)の例で云えば57,000円のD3100から270,000円のD700(いずれもレンズキット。価格は郷秋<Gauche>調べ)までずらりと並んでいる。これはニコン同様フルラインナップ展開するキヤノンも同様であるが、D700から先がちょっとすごい。
ボディのみ18万円のD700の次が48万円のD3S、そしてその後が77万円のD3Xと続く。D3SとD3Xの30万円の価格差はそのまま1210万画素と2450万画素の撮像素子価格差であると云われているが、カタログデータを見る限りではほとんど差のないD700とD3Sの30万円の価格差はどこで生じているのか、不思議である。
カタログ上の数少ない差がシャッターレリーズの耐久性、つまり、30万回とされているD3Sの耐久レリーズ数に対してD700(D300Sも同じ)は15万回とされており、これをはじめ、過酷な環境での確実な撮影を支える防塵・防滴をはじめとする高信頼性の確保の為に30万円が費やされていると云うことになる。
この意味で、D700とD3S(X)の間にアマチュア用とプロ用の明確な線が引かれているとも云える。もちろん、ISSに搭載するとかチョモランマの頂上で使うとか(果たして大きく重たいD3S(X)を実際に持っていくかどうかはわからないが)、南極や北極、あるいはサハラ砂漠のど真ん中で撮影するために、万全のために30万円を出すかどうかが、プロとアマチュアの境目になるのではないかと、郷秋<Gauche>は思う。
さて、高信頼性の指針の一つとなるのがシャッターレリーズの耐久性(回数)だが、ニコンのラインナップで云えば既に書いた通りD3S(X)の30万回を筆頭に、D700とD300Sが15万回、D90、D5000が10万回とされている。D3100以下のモデルの場合には5~10万回程度の耐久性かと思われるが、フィルム時代に比べ(郷秋<Gauche>も含め)「下手な鉄砲撃ち」が増えるため、5倍程度の耐久性が求められるようになっていることは確かだろう。
さて、では実際にはどのくらいシャッターレリーズしてるのか(何枚撮ったか)気になるところだが、その日に何枚撮ったのかはわかっても、今使っているカメラを買ってから何枚撮ったのか(シャッターレリーズしたのか)はわからない(ファイル名を連番指定にしておけば大方の機種では9999枚までカウントできるが、その後は0に戻ってしまうはず)。と思ったのだが、実は調べる方法があることを知った。前置きが長くなったが、いよいよここからが今日の本題である。
デジタルカメラで撮影した写真ではその撮影データがExifファイルと云うところに記録されている。このExifの規格の中にメーカーが自由に使えるエリアがあり、ニコンの場合にはここに「総レリーズ回数」、つまりこの写真がこのカメラで何枚目に撮った写真であるかと云うデータが収められているのである。
ただし、このデータはPhotoshopなど通常のアプリケーションでは見ることができないので、専用のソフトを使って参照することになる。郷秋<Gauche>が使ったのはJpegAnalyzerと云うフリーのソフトであるこれを使って参照した時のイメージが次の画像である。
画面右半分がJpegAnalyzerの画面で、左上の小さな窓が当該写真のサムネイル、その下がExifファイルに含まれるGPSのデータを使って表示させた撮影場所付近の地図である。上の画像では小さくて判別しにくいので、肝心な部分をアップにしてみた。
これはGPSに関するデータの部分。このデータをもとに表示させたのが上の画像左下の地図。カメラの電源をONにしてすぐだったために捕捉できたGPS衛星は3つだけのようだが、取得したデータは実に正確で、ズバリ京急線川崎大師駅前を示している。
これが本日のお題、レリーズ回数のデータが表示されている部分である。下から2行目にそのデータがあるが、京急線川崎大師駅前で撮った証拠写真が郷秋<Gauche>愛用のD300にとって43,133枚目のものであることを示している(その後その数は更に増え、今日現在43,770となっている)。37か月で43,770枚、月に1,183枚、週に275枚と云うのが郷秋<Gauche>の過去3年間の平均だが、これはD300だけの数字であり、他にD90、E-P2、GX200を使用することもあるので、総撮影枚数と云う事では年に15,000枚程になるだろうか。
ただし、いずれにしてもD300のレリーズ耐久の15万回には遠く及ばず、現在のペースのままだとすると15万回に到達するのは7年半後と云うことになる。新しいカメラが欲しいなどと「ほざく」前に腕を磨けと云う事だろうか。トホホ。
ご案内:JpegAnalyzerに興味を持たれた方は、http://homepage3.nifty.com/kamisaka/をご参照ください。
どうして一眼「レフ」より一眼の方が高いのか
「デジタル一眼レフ」と「デジタル一眼」との最大の違いは、文字面を見てもお分かりの通り「レフ」、つまりレフレックス機構があるかないかである。レフレックス機構とは、レンズを通して見る画像を通常はファインダーへ導き、撮影の瞬間にのみイメージセンサー(撮像素子)に導くためのミラー(鏡)とペンタプリズム(もしくはペンタミラー)の事である。
画像の光学情報をファインダーとイメージセンサーとに必要に応じて振り分けるためにはミラーが高速で上下する必要があり、この機構が非常に複雑でコストがかかりかつかさばる。また、ペンタプリズムは高価なうえに大きく重たい(故に廉価な入門機ではミラーを組み合わせたペンタミラーを使用する)。
一方、「デジタル一眼」はその文字面の通りコストがかかり重たくなるレフレックス機構を持っていないから、当然廉価に、小さく、軽くすることができる。と、云いたいところなのだが実は、小さく軽くなるのは事実なのだが、一般ユーザーにとっては最も肝心な価格がむしろ上がっているのが実態である。
例えばデジタル一眼レフとデジタル一眼の両方をラインナップする(現時点では貴重なメーカーである)OLYMPUS(オリンパス)の場合はこんな具合である。
デジタル一眼
E-PL1sズーム(14-42mm)レンズキット 58,000円
デジタル一眼レフ
E-620ズーム(14-42mm)レンズキット 53,000円
ちなみに、E-620と同クラスのNikon(ニコン)D3100のレンズキットはE-620よりも更に10%程安い47,000円である。(価格はいずれも郷秋<Gauche>調べ)
理由は判らない。例えばオリンパスが初めて出した「デジタル一眼」であるE-P1が当時のSLR(一眼レフ)より高かったのは理解できる。つまり、新しい技術の開発費用と生産設備の経費が上乗せされているからである。しかしだ、その後にE-P2、E-P1、E-P1sと立て続けに登場させかなりの数が売れているはずであり、新規技術の開発費用と生産設備の改修費用は回収できているだろうと郷秋<Gauche>は思うのだか、デジタル一眼はいまだに一眼「レフ」よりも高価なままである。
機能的にも価格的にも存在している、カメラの世界におけるヒエラルキーは、コンパクト<高級コンパクト<デジタル一眼<APS一眼レフ<フルサイズ一眼レフ<中判一眼レフ、であるはずなのだが、少なくとも価格の面ではデジタル一眼とAPS一眼レフのところで逆転現象が起きているのは確かである(APS一眼レフにはフォーサーズを含む)。
さて、この階層の最底辺に位置するコンパクトから上位への買い替えを考えている方に郷秋<Gauche>から一つアドバイスがある。それは、高級コンパクトとデジタル一眼を飛び越して「APS一眼レフをお買いなさい」と云う事。高級コンパクトとデジタル一眼は、一眼レフを使いこなせるようになってこそのカテゴリーなのである。くれぐれもお間違いのないように。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、先週月曜日に羽田の第一ターミナル展望デッキから撮ったもの。今更のようですが、午後になると第一ターミナルからは完全に逆光になってしまうんですね。
羽田空港に(歩いて)行ってきました(その6、最終回)
空港島(羽田島)に入ると一本道である。もし、もしもと云う事だが、この記事を読んで「僕(私)も、歩いて羽田空港に行ってみたい!」と云う方がいたならばのアドバイスだが、くれぐれも道路左側の歩道を歩くように。空港寄りには信号も横断歩道もないので左側を歩いていないと第一ターミナルにたどり着くことができないようである。
頭上を走るモノレール。国際線ターミナル駅に寄るために線路?を付け替えたために、現在、旧来の線路の撤去作業中。国際線ターミナルは間近に見えるのだが、歩道がないので歩いて国際線ターミナルに行くことはできないようである。どうしても行きたいときには第一ターミナルに着いてから無料の巡回バスに乗ることになる。
空港ターミナルに至る最後の難関、700mの「羽田空港トンネル」。難関と云っても特別難しいいわけではなく、クルマの騒音がはなはだしいだけである。クルマで通っていると別段どうと云うことはないトンネルだが、歩いて行くとなると耳栓が欲しくなるほど。ちなみにこのトンネルの上にA滑走路がある。
最後の最後で道に迷いそうになった。歩道に沿って歩いていくと、空港ターミナルへの道路からそれてしまうのである。ちょっと心配になりながら道なりに進むと左側に見覚えのあるビルが現れた。一昨年見学で訪れたJALの整備工場のビルである。このビルの前を通り越し、突き当りを右に曲がり50m程歩いた先にある「この先関係者以外立ち入り禁止」の看板の右側の階段を下り道なりに進むと第一ターミナルの南端が見えてくる。
肝心な時に歩数計を忘れてしまったので正確なところは判らないけれど、川崎大師駅から羽田空港第一ターミナルまでは、毎週末10km歩いている郷秋<Gauche>の勘ピュータ(古い!)によればその距離、約12km。川や海、ヒコーキが見える今回の散歩は、もう一度はないことでしょうが、いつもの里山を巡る散歩とは一味と云わず二味、三味違う、なかなか楽しい散歩ではありました。
『羽田空港に(歩いて)行ってきました』★目次★
今年のCP+
今年は2月9日から12日まで開催されます。会場は横浜みなとみらいのパシフィコ横浜。入場料は1,000円(当日一般)ですが、事前登録すると無料となります(詳しくはこちら参照)。人混みが苦手な郷秋<Gauche>だけれど、まっ、年に一度のお祭りだから今年も行ってみようかと早速事前登録しました。
お目当てはもちろんNikon(ニコン)のブースです。ニコン初めてのレフレックス機構を持たないレンズ交換式のカメラ(EVIL、巷では「デジタル一眼」と呼ばれていることが多い)が展示されるのではないかと期待しています。D700の後継機D800も、もちろん見てみたいのではありますが、こちらの登場はもう少し後になるでしょうか。
羽田空港に(歩いて)行ってきました(その5)
多摩川の最も河口に近いところに架かる橋、大師橋を渡るとそこは大田区羽田(一丁目~六丁目)である。ちなみに羽田空港のある空港島(羽田島)の住所は大田区羽田空港(一丁目~三丁目)。
上の写真は羽田六丁目の堤防から空港を遠望したもので、A滑走路(34L)に着陸しようとしているのはANAの777-200でしょうか。画面右側に伸びている赤いものが、最近できたD滑走路。多摩川の流れを堰き止めないようにするために、たくさんの柱で支えられた桟橋構造となっているのがお分かり頂けるだろうか。画面左端は地上に出てきたモノレール。モノレールと云うと頭上を走行するものかと思いがちだが、空港ターミナル近くでは地下にもぐっているのが東京モノレールの特徴の一つ。
河口付近から対岸(川崎市側)を見たもの。一見のどかな漁村風景のようだが、対岸には東京湾アクアラインに続く首都高速が、右手の空港島には国際線ターミナルの屋根が見えている。
河口にごく近いところでは貝掘りのご婦人が二人。空港島側の浜では年配の男性が貝を採っているようであったが、アサリでも採れるのだろうか。
今日最後の一枚は、再び空港方面を遠望したもの。桟橋形式のD滑走路と手前の「洲」で遊ぶ水鳥を一枚に収めるために縦位置で撮ってみた。上方のヒコーキはA滑走路(34L)に着陸しようとしている上海航空の767だろうか。空港利用者として訪れる羽田からは想像もできない自然と昔ながらの生活が、わずかではあっても残されていることに驚かされた郷秋<Gauche>であった。
さて、いよいよ明日は空港島の様子をご覧いただき最終回とする予定である。乞うご期待。
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羽田空港に(歩いて)行ってきました(その4)
川崎大師を後にして向かったのは、大師橋。山梨県に源を発する多摩川だが、その中・下流は東京都と神奈川県とを分かちながら羽田空港付近で東京湾に注ぐ。その多摩川にいったいいくつの橋が架かっているのか郷秋<Gauche>は知らないが、大師橋が最下流に架かる橋であることは間違いない。
これはまだ大師橋を渡る前、つまり川崎市側の河川敷から羽田空港を遠望した図。小さな写真では良くわからないので、クリックして大きな写真をご覧いただきたい。水平線の右寄り、片流れの屋根が国際線の新ターミナルである。
大師橋上から望遠レンズでぐっと引き寄せた羽田空港。左側の塔が旧来の管制塔。これでは新設のD滑走路が見えないのでと、右側に作ったのが新管制塔である。ここからだと4本の滑走路がすべて見渡せるらしい。
大師橋の中ほどから東京都大田区側を見る。果たして夕方になるとここから客を乗せるのかどうかは定かではないが、数隻の「屋形船」が繋がれていた。すぐ近くの堤防の内側に造られた船溜まりには小型の漁船が泊められ、それより大型の屋形船は防波堤の外と云う事らしい。
さて、大師橋を渡りいよいよ東京都大田区側の羽田三丁目である。羽田島の歴史を調べてみるとわかるのだが、第二次世界大戦後に進駐軍(米軍)は羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町(羽田島)に居住していた2千人余りの人々に48時間以内に移転するよう命令。島を追い出された人々の多くが現在の羽田一丁目から六丁目に移り住んだと云う。
D滑走路の完成、再国際化で脚光を浴びる羽田空港だが、その歴史を調べてみると興味をそそられる事実を次々に見つけることができる。川脇大師から空港までをもう一度歩く必要はないのだが、羽田一丁目から六丁目については、足を運んゆっくり取材をしてみる価値がありそうである。【キーワード:穴守稲荷, 羽田の水舟, 羽田穴守町, 羽田鈴木町, 羽田江戸見町】
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オリンパスE-PL2が国内でも発表
海外では既に発表になっていたOLYMPUS(オリンパス)のニューモデル、E-PL2が国内でも発表になった。発売は1月28日とのこと。既にyodobashi.comでは予約受付中で、ボディ本体のみ63,000円(ただし受注生産)、ズームレンズキットが72,000円、パンケーキレンズキットが80,000円(価格はいずれも、おおよそ)。E-PL1sより1万4千円高、E-P2よりも各2万円安。微妙な値付けである。
郷秋<Gauche>は当初、E-PL2はE-PL1sの後継機種と早とちりし「もう出るの?」と書いてしまったが、E-PL1sの上位でE-P2との間に来るモデルである。赤がいいか白がいいか、悩むなぁ・・・。って、別に買うと云っているわけじゃないですよ。そうそう、例の「カニ目」(マイクロアームライト)、郷秋<Gauche>は1万数千円と予想していたけれど、その半額のたったの6千円(税抜)とのこと。実売5千円以内で買えそうなので、こちらは行っちゃうかな(^^;
羽田空港に(歩いて)行ってきました(その3)
「羽田空港に(歩いて)行ってきました」と云いながら三日目の今日もまた「川崎大師に行ってきました」の図がずらりと並ぶ。まっ、新年らしくていいかと、お許しいただきたい。
大本堂前は人込みの余りご覧いただけるような写真を撮ることができなかった。大本堂前から大山門を抜けてようやく人心地と云ったところだが、この山門、なかなかどうして、善光寺山門(三門)には負けるが、確かに「大」が付くほどのことはある。
門前には久寿餅屋、飴屋、達磨屋などなどがずらりと並び、大本堂前以上の賑わいである。郷秋<Gauche>的に達磨と云えば奥州白河の白河達磨なのだが、川崎大師の達磨はあか抜けていると云うのか、やはりお顔が違う。
こちらは飴屋。細長く伸ばした柔らかな飴を分厚いまな板の上で包丁をトントン云わせながら見せながら見事に切落としていく。のど飴の他に飴の中に餡が入った、舐める飴ではなく食べる飴のようである。郷秋<Gauche>は飴には手を出さず、冷えた体と指先を温めるために一杯100円の麹の甘酒をいただいて来た。
今日最後の一枚は、文字通り「門前市を成す」を捉えたつもりだが、如何に。さて、「川崎大師に行ってきました」は今日でお仕舞。明日からはいよいよ「『羽田空港に(歩いて)行ってきました』本編」である。
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Pentax AUTO110 Digital、登場か
Photo Rumorsと4/3 Rumorsの両方でPentax Auto 110 Digital が話題になっているようだが、「郷秋<Gauche>の独り言」の以前からの読者であれば、2009年4月1日に掲載した「ベンタックスAUTO110 Digital とホンタNSXハイブリッド」と云う記事を覚えておられるかも知れない(see here)。
この記事のキモは「4月1日に書かれた『ベンタックス』と『ホンタ』に関する記事」だと云う事なのだが、AUTO110 Digitalについては、110のフィルムサイズである13×17mmと、4/3(フォーサーズ)の13×17.3mmがごく近いことを考えると、Pentax(ペンタックス)が4/3規格を導入しAUTO110のDigital版を登場させると云うのは、実はかなり現実的な話ではないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。
ちなみにホンダはNSXをガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッドで復活させることを決定している。うぅ・・・ん、郷秋<Gauche>の書く記事もまんざら捨てたものでもないな(と自画自賛)。
羽田空港に(歩いて)行ってきました(その2)
いかに物好きな郷秋<Gauche>と云えども、歩いて羽田空港まで行ってみようなどと云う馬鹿げたことを、元へ、素晴らしいことを、自ら思いついたりはしない。実は昨日の前日(一昨日と書けばよいものを!)、神奈川新聞の6面に「羽田空港に行けるか」(気ままな寄り道、散歩道、福江裕幸)と云う記事が掲載されていたのである。
三連休の最終日、さて何をして過ごそうかと思案していた郷秋<Gauche>は思わずその気になってしまったのであるが、さすが「親愛なる神奈川新聞」、たまには役に立つこともあるのであるが、やっぱり神奈川新聞なのはそのタイトル、「羽田空港に行けるか」。
「羽田空港に行けるか」と聞かれれば、それは行けるに決まっているのであり、ここはやはり「羽田空港に『歩いて』行ける(の)か」でなければならないだろう。月一掲載のこの記事が「歩く」ことがテーマであるとしてもだ、月一掲載の記事のテーマなんて、誰も覚えてはいないのだ。
郷秋<Gauche>が歩いたコースは、京浜急行川崎大師駅を振り出しに、川崎大師に寄り大師橋で多摩川を渡ってから川沿いに下る、ほぼ神奈川新聞に掲載のコース通りであるが、大師橋から弁天橋までを多摩川にごく近い「大田区羽田」の下町情緒あふれる通りを歩いたのが唯一の違いであった。
川崎大師駅からは地図の必要はない。改札口を出て左方向を見ればこの大鳥居。あとは人並みに押されて行くだけであるが、この写真では何だか閑散として見えるなぁ(^^;。
大師様の門前町。徐々に人も増えて来ます。両側にずらりと並んだ商店の前に焼きそばだ、イカ焼きだ、チョコバナナだと屋台が並び、実に賑やかである。
何を売っている店なのかはわからないけれど(^^; ほら、何だか楽しげな店が並んでいるのです。と、云うわけで続きはまた明日。
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羽田空港に(歩いて)行ってきました(その1)
羽田空港に行ってきました。いや、羽田からどこかに行くのではなく、羽田空港に行くのが目的、しかも歩いて(^^;
もちろん自宅から歩いて行ったわけではなく、歩き始めたのは京浜急行の川崎大師駅からです。途中川崎大師に寄り、大師橋を通って多摩川を渡り川沿いの道を河口に向けて歩いていくと空港です。と書くと簡単そうですが、実は空港第一ターミナルビル目前で歩道が無くなってしまうんですね。一旦JALの整備工場前を通り「よれより先関係者以外立ち入り禁止」の看板の手前右側の階段を下りて道なりに進むと見慣れた第一ターミナルビルの南端に到着です。
川崎大師からだと12km程かと思いますが京急「天空橋」駅からだとその半分ほどでしょうか。歩いて空港に行こうなどと云う物好きは私だけかと思いましたが、ほかにも歩いていたり自転車で追い越して行った方が数名いましたし、空港方向からやはり自転車来られてすれ違った方もいました。電車、バス、自家用車を使わずに羽田空港に来る人は他にもいると云う事ですね。余り実用的ではないかも知れませんが(^^;。
明日からしばらくは「羽田空港への小さな旅」について書くことになりそうですが、今日のところは「行ってきました」と云うご報告まで。
最終目的地、羽田空港第一ターミナル展望デッキより。
『羽田空港に(歩いて)行ってきました』★目次★
ニコンが光通信を採用したマウントの特許を取得
またまたNikon Rumorsが元ネタの記事である。Nikon Rumorsの記事に掲載されている図によれば、D700らしきカメラのマウントの接合部分の下部に光通信用の接点(接点とは云っても当然非接触型)と電気通信用の接点が各2個、計4個が並んでいる。
光通信用の接点が2個と云うのは判るが、電気通信用の接点が2つしかないと云うのはどういうことなのだろうか。現在Nikkor(ニッコール)レンズの主流となっている超音波モーターを内臓したAF-Sタイプの電気信号接点は10であり、モーター非内臓のDタイプでも5つの接点を持っている。
PC用のUSB端子が登場した時に、たった4つの接点で高度な情報通信が可能なのかと郷秋<Gauche>は心配したものだが、まったく同じことで、用途の限られたカメラボディとレンズの情報通信のためには2つで十分だと云う事なのだろうか。
件の図を見てあれっ?と思ったのは各接点がマウントの内側ではなく、ペンタックスのそれのようにマウントの接合部部分にあること。これでは十分な防塵・防滴性能が保たれないのではないかと心配になるのだが、どうだろうか。もっともこの位置だとすれば、現行のカメラ内部上方にある接点には干渉せずにまったく新しい接点を設置できるのも確か。つまり、機械的には伝統のFマウントを継承しながらも、新たな機能を付加できると云う訳である。
別なサイトでニコンがEVIL用らしいマウントにも光通信用導入して特許を取得したと云う記事を見かけた。これからのレンズ交換方式カメラにおけるボディ-レンズ間の情報通信は光が支流になるのかも知れないが、Nikonが同時期に現行方式の接点を痛めないようにローラー式の接点の特許を取得していたりするのが面白い。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、すっかり葉を落としたクヌギの木。この季節になるといつも思うのは、見事なまでに周到な世代交代の様である。葉が散るころには春の芽吹きの準備はすっかり済んで、3か月後を待つばかりになっており、一方散った葉は、朽ちて木の命の源となる。思えば自然はすべて実に合理的な世代交代を繰り返している。そんな自然の摂理の中で悪あがきをするのは人間だけのようである。
「恩田の森Now」リニューアル・オープン
1月4日にβ版オープンのお知らせいたしておりましたが、「恩田の森Now」blog版が本番稼働しました。表題には「リニューアル・オープン」と書いたのですが実は全然リニューアルされておらず、いかにこれまでのイメージを継承するかに重点を置いてのblog化でした。変えないのが郷秋<Gauche>の流儀とご理解ください。
今回のblog化の最大の理由はより大きな写真をご覧いただきことでした。ただし、どれ程大きければ良いのかと云う問題はなかなか難しく、これについては1月6日に書いておりますのでどうぞご覧ください(see here)。
取りあえず、blog化してはみたものの、恩田の森本体の方とのリンクの設定が終わっておりません。サイト内でのリンクが以前のままとなっておりますが、2010年までのものと2011年以降のものをどう仕訳するのが使いやすいのかを検討してから作業に入りたいと思っております。暫くご面倒をおかけいたしますが、ご愛顧の程、どうぞよろしくお願いいたします。
blog版「恩田の森Now」(2011年以降)
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori
「恩田の森Now」従来版(2010年以前)
http://www33.ocn.ne.jp/~musica/on/onda_now.html
D800のガイドブックの発売が5月に延期に
昨年10月6日に D800のガイドブックが2011年2月に出る と云う記事を書いたが、Nikon Rumorsに昨年末に掲載された記事(see here)によると出版が5月に延期になったとのこと。先に郷秋<Gauche>は2月とだけ書いたが、Nikon Rumorsによれば、その最初の出版予定日は2月9日であり、その予定は一旦3月9に変更になっていたらしく、2度目の変更により現時点での発売予定日は5月4日となっているようである。
ガイドブックが出ると云うことは、そこに書かれているであろうD800と呼ばれるカメラは当然ガイドブックと前後して発売されるはずである。つまり、D800(おそらくこう呼ばれるだろうと云われている現行D700の後継機である)は本年5月初旬に登場すると云う事である。
それにしてもD700、2008年7月25日の発売だから、結果としてと云う事ではあるが登場から3年にもなろうと云う、随分と長寿のモデルとなってしまったものだなぁ。デジタルカメラの世界で3年と云うのは随分と長い期間であるわけで、SLR(一眼レフ)でも入門機ならば3代目が登場かと云う程の長さである。
2年前の予定の引き渡し(発売)が幾度延期されたのかもわからない程度々延期さて、いまだに最初の顧客(ANAのことだ)に引き渡されていないボーイング787と比べてはニコンに失礼かも知れないが、正式な発表こそないものの登場すると云われている時期がどんどん先延ばしになっているD800だから、ホントに5月になるのかどうか、その時になってみないと判らんな。
今日の一枚は郷秋<Gauche>の故郷、郡山で撮影した、例によって記事本文とは何の関係もない「雑木林の傍で朽ちてゆく軽自動車」。間伐され積み上げられた雑木には屋根がかけられているのに、廃車となった車は雨ざらし。5000年後に発掘した人はこの様をいったいどのように読み解くのだろうか。
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