訴訟というのは、当事者の争いに応えるもの。紛争解決の最終手段。
当事者の争い方によって、裁判所の応え方が異なることがある。
思いがけない結果となることがある。
勝負に出て勝つこともあれば、安全策をとって負けることもある。
とすれば、勝負に出て勝つようにすることである。
安全策をとって負けるというのは、争点が呆ける、弱気になった背景を誤解されるなどが
考えられる。
当事者の争いというのは、訴訟では「争点」という形で明確にする。
訴訟では、いくつかの問題点について論じることがある。
本件でいえば、①契約した事実はない、②また、会員規約に合意する契約方式は
契約の意思表示ではない、③そもそも、契約は無効であるの3つの論点である。
契約無効というのは、やや一般論であるが、
②は契約手続きとして論じられているので、本件の①と直接に関連付けられる。
訴訟は、争点に対して応えるものである。
問題点については論ずるが、争点として明確にしないと、裁判所はしかるべき対応をする。
わかりやすくいうと、やり易いやり方をするように思う。
本件では、質の全く異なる大きな3論点だったので、裁判所から争点整理の求めがあった。
②をどうするか、悩んだ。
③の契約無効は、いわば最後の手段であり、つまり、実質は、契約したとした場合の
救済手段だったので、契約していないという本件での争点化はあり得ない性質のものである。
しかし、②については、違う。
むしろ、原告は、甲2のフロー図に従って、つまり②の手順で契約したとして、
訴え提起しているわけだから、これについて当然否定の理由を明確にする必要がある、との
疑問が生じる。理由を論じなければ、裁判所に認めたと思われるのではないかと。
また、一方で、そもそも、契約締結行為という事実そのものがない、というのがこちらの言い分
であり、よって、会員規約方式などということは、当然知らないことなのである。
よって、論点として、(仮に)という前提付きで会員規約方式の法律論を問題としているのであるが、
詳細に議論すればするほど、現実的にみえるような気がしてくる。
②については、見方によって相反する心証を齎すものだった。
証人尋問をして、最初から順を追って尋問しないと答えられないというのがわかった。
つまり、教え込まれているということである。
もう一つは、甲2を証拠ではなく、資料だと、わけもわからない準備書面を提出したことが
決定的だった。それなら②の主張を裏付ける証拠はないということだからだ。
争点は①だけに絞った。②及び③は論点として主張することにした。
勝負に出たのである。
提出後の最後の口頭弁論期日に裁判所に「それでよかったでしょうか」と確認した。
「予想とは違っていた。契約の事実があったかどうか判断しなくてはならなくなった。
そして、反訴についても判断しなければならなくなった」と独り言のように話した。
判決の結果は既にブログで明らかにした。決断は報われた。
さらに、裁判所は判決の万全を期して、つぎのような判断をしていた。
当方の代わりに裁判所が甲2の問題の部分について、原告にとどめを刺してくれたのである。
訴訟というのは本当に難しい。
難しい決断を何度か迫られる。
信念に従い、難しい決断を一つ一つ乗り越えれば、真実は見えてくるのであり、
裁判所もそれに応えてくれるように思う。
最後のまとめに反訴認容部分を再掲しておく。
アイザック・アシモフが残したという
「大胆に立ち向かったとき困難は消え去るというのが私の人生哲学である」との言葉の
気分である。