母が旅立ちました。
先日写真だけを載せた時、旅立った時間に設定した。土曜日の12時12分だった。
私はその日、朝から地域の弁当作りに参加していた。作り終わり、お年寄りのお宅に配ろうとした頃、病院から電話が入った。
隣の市だが、行くのに30分以上はかかる。
着いた時、もう母は旅立っていた。
8ヶ月も点滴から栄養を取っていた父と違い、母は入院して2週間で旅立ってしまった。見事という他ない。もう父と会えたかなぁ。もう何も苦しまず、二人で穏やかに過ごしていてほしい。
いい子ぶって書いてみたが、本当のことをいうとそんなに早くいってしまうとは思っていなかった。看護師さんに言われた時は「え?」とびっくりした。寂しいなぁ。悲しいよ。1週間やることが多くて忘れていたけど、今になって涙が込み上げてくる。
コロナが増えてきたので、葬儀は3月の父の時と同じくごく身内だけで行った。
一年間に二回も葬儀を出すことになるとは思わなかった。
同じように葬儀社を頼み、おっさまに来ていただいた。
葬儀が終わると、区役所や年金事務所、郵便局、銀行などを廻る。
これからも、まだまだやることがある。
「これからが大変なのよ」
と経験された方が言う。
「だから任せて」
と社協の仕事を全部してくださった。
人の心の温かさに感謝する。
期限があることなので、本当に助けていただいた。
四十九日は年内にやるが、また妹たちに来てもらえるかはわからない。うちだけかもしれない。
一週間仕事を休んだ。明日から行く。
仕事に行くと、忘れられることもあるし、生活にリズムがつく。仕事ってありがたいものだと思う。
母のお棺に入れるものを探しに実家に行った時、見つけた。
仲の良かった伯母の編んだベスト。
祖母(母の実母)の作った美しい手毬。
手毬はお棺に入れて、ベストは私が着ることにした。
寒い日に着て、母の温もりを感じよう。
草茫々になっている母の庭の片隅で、健気に咲いていた花を葬儀の朝に取ってきて、それも入れた。
もうきっと今頃は父と再会して、一緒に花を育てているのではないか。
そう思うと心が穏やかになる。
前回の投稿よりとても案じておりました。
義父が倒れて病院へ通っていた事と重なりました。
悲しみも儘ならぬままお忙しいと思いますが、しましまさんのお疲れが出ませんように。
くれぐれもご自身のお身体を大切に。
ありがとうございます。
心配かけてすみませんでした。
温かいお言葉をありがとうございます。
たからひかりさんのお義父様、体調は戻られたでしょうか。お義父様も、たからひかりさんも、どうぞお体大切に。
今はまだ気が張っていますが、家族のためにも健康でいないといけませんね。
ご丁寧にありがとうございました。