逃げるは恥だが役に立つ。
この言葉はハンガリーのことわざだ。
ここまで読んで、新垣結衣と星野原のこの秋から始まった新ドラマのレビューだと勘違いしないように。
エンディングのダンスが、マルモや剛力彩芽ドラマの二番煎じだとかではない。ましてや新垣結衣はポッキーのCMでのダンスで一躍有名になったが実はダンスが苦手だとかいう裏話でもない。(だって明らかに下手でしょ)だから少子化や晩婚化、就職難や非正規雇用、事実婚などが今回のテーマでは全くない。
今回のテーマはいじめ問題についてだ。逃げるは恥だが役に立つは最後にしか出てこない。
いじめをなくそう!
そんな綺麗事をよく聞く。
なんか事件が起こるたびに「いじめの原因は」から始まり「いじめはダメなこと」、そして「いじめをなくそう」なんて言ってたりするが、絵空事だと言ってもいい。
いじめをなくすなんて机上の理論どころではない。できっこない。
子供や学生にはいじめをなくそうという気がないとか言ってるんじゃない。誰だっていじめたくないし、いじめられたくもない。
いじめを受けてSOSを発信してる子供もいれば、いじめてる側でSOSを出してる奴もいるだろう。
でもね、いじめてる人って、いじめてるって意識がないの。
「あいつがしたこの行為は許せない」から「理由はないけどなんかむかつく」「見てるだけでイライラする」まで色々。
そのほとんどが「私は当然のことを言ってるだけ」「僕は間違ったことは言ってないよね」「ねぇ君もそう思うでしょ」って。
それをどうやったら無くせると言うんだ?
暁星高校で起きた同級生へのナイフ切りつけ事件。加害者はいじめられてた子だったらしい。
黒石市の写真コンテストで視聴賞に選ばれた作品の被写体が、いじめを受けてた女子高生で、撮影の1週間後に自殺してたことがわかって賞を取り消された。
京都では修学旅行に来てた高校生が電車に飛び込んだ。この生徒もいじめで悩んでたらしい。
日常茶飯事のように報道番組やワイドショーで「いじめが原因の事件」ってニュースが流れる。
列車に飛び込んだり、首をつったり、集団暴行されたり。
遺書にいじめられたことやいじめた奴のことが書かれてる。メールやLINEの履歴からいじめが見えてくる。学校に相談して対策を依頼してたが間に合わなかった。
インタビューは「とっても明るい子でした」「将来は何々になるんだと言ってました」という声を拾い集める。
「なぜ私たちは気づいてあげられなかったのか」などと神妙な顔をしてコメンテーターが語る。パネルで経緯や何が原因かを説明し、「根本にどうたらこうたら」とか教育関係者が語り、最後は「いじめは卑劣な行為です」などと番組はまとめる。
しかしその後、誰かの不倫のニュースとかになったり、政治家の汚職や疑惑、著名人の発言や行動に対し、「さっきの言葉はどこに行った?」ってくらい責めたりする。
これを毎回毎日のように繰り返していながら
「いじめをなくそう」
なんて言われてもなぁ。本気で無くす気なんかねぇやんって思ってしまうのよ。
以前にも書いたが子供だけじゃないのよ、大人も平気でいじめをするよ。
職場で、家庭で、社会で。ネットの世界にはフラストレーションのはけ口のように、悪意に満ちた言葉が溢れてる。
でもね、そのほとんどがいじめをしてるという意識をして無いいじめなの。そんないじめが世の中にはいっぱいあるのだ。
ベッキーはようやく復帰し始めれたが、寄ってたかって好奇の目にさらされ続けた。あれはいじめじゃないのか?「ベッキーは最初みんなに嘘をついたから」という大義名分で責めてた人が多かったが、それなら福山雅治だって「結婚しない」ってファンの前で言った数ヶ月後に結婚したぞ。福山は許してベッキーは許さん?都合のいい話だな。
ゲスの極みの川谷は逃げずに頑張ってたが、何をやっても批判され、今回の同伴未成年飲酒に絡んでついに活動中止に追い込まれた。それでもまだ許せないのか彼がライブで言った「2018年はいい年にしたいなぁ」を拡大解釈して「2018年にはもう戻ってくる気かよ」「期限を決めてるなら自粛じゃねぇよな」って責める。「ミュージシャンなら1-2年の休業は普通、曲作りしたり充電したりね」って否定してる。これはいじめではないのか。
どうしたら許してもらえるの。っていうか、なんでファンでもなんでもない関係ない奴らに、川谷やベッキーは謝罪や誠意を見せなければならないの。
なんで他人の揉め事を、たかが芸能人というだけでみんなが寄ってたかって責め立ててるのかがわからん。
政治家ならまだわかるよ。選挙で選んでるんだからね。不祥事に対し、市民国民が不適当だ辞職しろとシュプレヒコールあげる事は間違ってない。
議会サボって遊んでたとかから出張してた、政治資金を私的に流用してたとか不明金がある、特定企業と癒着してたとか情報を流してた。
これらは徹底的に許さないで突っ込むべきだ。この場合はいじめじゃない。不正行為をした方が悪いのだから。
でも、宮崎元議員や舛添元都知事をあれだけ責め立てて辞職に追い込んだのに、蓮舫民進党代表の二重国籍問題は責めない。なぜ?
未だに核実験したりミサイル開発してる北朝鮮をなぜ責めない。平気で領海を勝手に変えようとして侵犯してくる中国をなぜ責めない。敵が強力だからか。
この国がいくら平等だと言ってもその中でヒエラルキーはー存在する。
自分の存在意識のために自分より下を見つけ安心する。平等教育の弊害で、他人より優れたところがあってもちょっとやそっとじゃ認めてもらえない。それ以前に人より秀でたところがあるのか疑問だ。でも俺はあいつより優れてる(と思いたい)、私はあの子より勝ってる(と思いたい)。
だから、少しでも自分の地位を確かめたくて、自分より下の人を探す。弱みを見せた人は蹴落とすチャンスだ。
一人だけだと逆襲が怖いから仲間を集めて寄ってたかって責める。参加しないと今度は自分が狙われるかもしれないという恐怖から同調して責める。
これが今のいじめの図式だ。
学校だけじゃない、会社でも、社会でも一緒。
明らかに自分よりいい生活をしてる人が許せない。偉そうに上から目線が許せないという被害妄想。自分だってチャンスさえあればという厨二病。
だからこの範疇の芸能人・有名人が不祥事を起こすと、引きづり降ろそうとする。謝罪させようとする。自分には何の関係もなくてもね。
どこかの会社が不祥事起こしたら責めたてる。普段いい生活してるであろう社長や幹部に謝罪させて鬱憤ばらし。
テレビの内容、ドラマの演出、役者のセリフ、ちょっとでも責めれることが見つかったら責める。謝罪させる。番組打ち切りやCM削除まで行けばストレス発散。
役所のポスター、TVCM、著名人の発言、記事。いつだって探してる。弱者の味方や代弁者のふりして責めれるところを。謝罪させれるところを。
謝罪するか逃げ出すまで追い詰める。とことんね。自殺しようが地位が奪われようが生活苦になろうが知ったこっちゃ無いって。
そうやって征服欲、支配欲、虚栄心を満たし、自己満足に浸って自分の地位を確保したかのように勘違いする。
その行為がすでに韓国の、日本(総理)に対する慰安婦謝罪強要と変わらないレベルになってることも気付かない。
ね、いじめは無くならないでしょ。
暁星高校で起きた事件についてどこかの教育評論家とやらが、
「丁寧に丁寧に、トラブルの元をほぐしていけば、必ずトラブルの構造と問題点、解明出来ます…」
なんて相変わらずピント外れのこと書いてたが、教育現場の当事者でこんなレベルだからね。(尾木ママって奴だが)あてにはならないよ。
いじめられてる人にそんな余裕などないからね。
いじめてるやつにそんな問題点突き詰めても無意識だからね。
だからいじめてる人をなくそうと思って無駄。
いじめられてる人をなくそうなんてのも無茶。
だから、いじめられてる人へ。
逃げなさい。
自殺するくらいなら逃げなさい。
日本なら「逃げるが勝ち」というが、ハンガリーのことわざでは「逃げるは恥だが役に立つ」だ。
逃げるのは恥のように見える、でも、その経験が将来きっと役に立つって。いじめられてた人はいじめをしないだろ?
死にたいほど苦しいなら今の環境から逃げてくれ。そして新境地で再出発してくれ。
自分で命を絶とうとしないでくれ。死ぬな。逃げろ。生きろ。
この言葉はハンガリーのことわざだ。
ここまで読んで、新垣結衣と星野原のこの秋から始まった新ドラマのレビューだと勘違いしないように。
エンディングのダンスが、マルモや剛力彩芽ドラマの二番煎じだとかではない。ましてや新垣結衣はポッキーのCMでのダンスで一躍有名になったが実はダンスが苦手だとかいう裏話でもない。(だって明らかに下手でしょ)だから少子化や晩婚化、就職難や非正規雇用、事実婚などが今回のテーマでは全くない。
今回のテーマはいじめ問題についてだ。逃げるは恥だが役に立つは最後にしか出てこない。
いじめをなくそう!
そんな綺麗事をよく聞く。
なんか事件が起こるたびに「いじめの原因は」から始まり「いじめはダメなこと」、そして「いじめをなくそう」なんて言ってたりするが、絵空事だと言ってもいい。
いじめをなくすなんて机上の理論どころではない。できっこない。
子供や学生にはいじめをなくそうという気がないとか言ってるんじゃない。誰だっていじめたくないし、いじめられたくもない。
いじめを受けてSOSを発信してる子供もいれば、いじめてる側でSOSを出してる奴もいるだろう。
でもね、いじめてる人って、いじめてるって意識がないの。
「あいつがしたこの行為は許せない」から「理由はないけどなんかむかつく」「見てるだけでイライラする」まで色々。
そのほとんどが「私は当然のことを言ってるだけ」「僕は間違ったことは言ってないよね」「ねぇ君もそう思うでしょ」って。
それをどうやったら無くせると言うんだ?
暁星高校で起きた同級生へのナイフ切りつけ事件。加害者はいじめられてた子だったらしい。
黒石市の写真コンテストで視聴賞に選ばれた作品の被写体が、いじめを受けてた女子高生で、撮影の1週間後に自殺してたことがわかって賞を取り消された。
京都では修学旅行に来てた高校生が電車に飛び込んだ。この生徒もいじめで悩んでたらしい。
日常茶飯事のように報道番組やワイドショーで「いじめが原因の事件」ってニュースが流れる。
列車に飛び込んだり、首をつったり、集団暴行されたり。
遺書にいじめられたことやいじめた奴のことが書かれてる。メールやLINEの履歴からいじめが見えてくる。学校に相談して対策を依頼してたが間に合わなかった。
インタビューは「とっても明るい子でした」「将来は何々になるんだと言ってました」という声を拾い集める。
「なぜ私たちは気づいてあげられなかったのか」などと神妙な顔をしてコメンテーターが語る。パネルで経緯や何が原因かを説明し、「根本にどうたらこうたら」とか教育関係者が語り、最後は「いじめは卑劣な行為です」などと番組はまとめる。
しかしその後、誰かの不倫のニュースとかになったり、政治家の汚職や疑惑、著名人の発言や行動に対し、「さっきの言葉はどこに行った?」ってくらい責めたりする。
これを毎回毎日のように繰り返していながら
「いじめをなくそう」
なんて言われてもなぁ。本気で無くす気なんかねぇやんって思ってしまうのよ。
以前にも書いたが子供だけじゃないのよ、大人も平気でいじめをするよ。
職場で、家庭で、社会で。ネットの世界にはフラストレーションのはけ口のように、悪意に満ちた言葉が溢れてる。
でもね、そのほとんどがいじめをしてるという意識をして無いいじめなの。そんないじめが世の中にはいっぱいあるのだ。
ベッキーはようやく復帰し始めれたが、寄ってたかって好奇の目にさらされ続けた。あれはいじめじゃないのか?「ベッキーは最初みんなに嘘をついたから」という大義名分で責めてた人が多かったが、それなら福山雅治だって「結婚しない」ってファンの前で言った数ヶ月後に結婚したぞ。福山は許してベッキーは許さん?都合のいい話だな。
ゲスの極みの川谷は逃げずに頑張ってたが、何をやっても批判され、今回の同伴未成年飲酒に絡んでついに活動中止に追い込まれた。それでもまだ許せないのか彼がライブで言った「2018年はいい年にしたいなぁ」を拡大解釈して「2018年にはもう戻ってくる気かよ」「期限を決めてるなら自粛じゃねぇよな」って責める。「ミュージシャンなら1-2年の休業は普通、曲作りしたり充電したりね」って否定してる。これはいじめではないのか。
どうしたら許してもらえるの。っていうか、なんでファンでもなんでもない関係ない奴らに、川谷やベッキーは謝罪や誠意を見せなければならないの。
なんで他人の揉め事を、たかが芸能人というだけでみんなが寄ってたかって責め立ててるのかがわからん。
政治家ならまだわかるよ。選挙で選んでるんだからね。不祥事に対し、市民国民が不適当だ辞職しろとシュプレヒコールあげる事は間違ってない。
議会サボって遊んでたとかから出張してた、政治資金を私的に流用してたとか不明金がある、特定企業と癒着してたとか情報を流してた。
これらは徹底的に許さないで突っ込むべきだ。この場合はいじめじゃない。不正行為をした方が悪いのだから。
でも、宮崎元議員や舛添元都知事をあれだけ責め立てて辞職に追い込んだのに、蓮舫民進党代表の二重国籍問題は責めない。なぜ?
未だに核実験したりミサイル開発してる北朝鮮をなぜ責めない。平気で領海を勝手に変えようとして侵犯してくる中国をなぜ責めない。敵が強力だからか。
この国がいくら平等だと言ってもその中でヒエラルキーはー存在する。
自分の存在意識のために自分より下を見つけ安心する。平等教育の弊害で、他人より優れたところがあってもちょっとやそっとじゃ認めてもらえない。それ以前に人より秀でたところがあるのか疑問だ。でも俺はあいつより優れてる(と思いたい)、私はあの子より勝ってる(と思いたい)。
だから、少しでも自分の地位を確かめたくて、自分より下の人を探す。弱みを見せた人は蹴落とすチャンスだ。
一人だけだと逆襲が怖いから仲間を集めて寄ってたかって責める。参加しないと今度は自分が狙われるかもしれないという恐怖から同調して責める。
これが今のいじめの図式だ。
学校だけじゃない、会社でも、社会でも一緒。
明らかに自分よりいい生活をしてる人が許せない。偉そうに上から目線が許せないという被害妄想。自分だってチャンスさえあればという厨二病。
だからこの範疇の芸能人・有名人が不祥事を起こすと、引きづり降ろそうとする。謝罪させようとする。自分には何の関係もなくてもね。
どこかの会社が不祥事起こしたら責めたてる。普段いい生活してるであろう社長や幹部に謝罪させて鬱憤ばらし。
テレビの内容、ドラマの演出、役者のセリフ、ちょっとでも責めれることが見つかったら責める。謝罪させる。番組打ち切りやCM削除まで行けばストレス発散。
役所のポスター、TVCM、著名人の発言、記事。いつだって探してる。弱者の味方や代弁者のふりして責めれるところを。謝罪させれるところを。
謝罪するか逃げ出すまで追い詰める。とことんね。自殺しようが地位が奪われようが生活苦になろうが知ったこっちゃ無いって。
そうやって征服欲、支配欲、虚栄心を満たし、自己満足に浸って自分の地位を確保したかのように勘違いする。
その行為がすでに韓国の、日本(総理)に対する慰安婦謝罪強要と変わらないレベルになってることも気付かない。
ね、いじめは無くならないでしょ。
暁星高校で起きた事件についてどこかの教育評論家とやらが、
「丁寧に丁寧に、トラブルの元をほぐしていけば、必ずトラブルの構造と問題点、解明出来ます…」
なんて相変わらずピント外れのこと書いてたが、教育現場の当事者でこんなレベルだからね。(尾木ママって奴だが)あてにはならないよ。
いじめられてる人にそんな余裕などないからね。
いじめてるやつにそんな問題点突き詰めても無意識だからね。
だからいじめてる人をなくそうと思って無駄。
いじめられてる人をなくそうなんてのも無茶。
だから、いじめられてる人へ。
逃げなさい。
自殺するくらいなら逃げなさい。
日本なら「逃げるが勝ち」というが、ハンガリーのことわざでは「逃げるは恥だが役に立つ」だ。
逃げるのは恥のように見える、でも、その経験が将来きっと役に立つって。いじめられてた人はいじめをしないだろ?
死にたいほど苦しいなら今の環境から逃げてくれ。そして新境地で再出発してくれ。
自分で命を絶とうとしないでくれ。死ぬな。逃げろ。生きろ。