私と妻、父と弟の4人でプレーすることが最近よくあります。
家族で1組出来るということはゴルファーとして幸せなことです。
画像は、右端が弟、真ん中が妻、
父は画面から外れた右にいます
家族でプレーするときにも、父はニギリを提案し、
なんらかのニギリをすることになります。
ニギリが好きな人は、多くの場合でハンディに敏感で、
ハンディに敏感というのは極端な2つに分類されます。
1つは、過去のデータを駆使して適切なハンディを
模索するパターンで、
1つは、スクラッチを基本として出来るだけハンディを
なくそうとするパターンです。
どちらが良いとか、正しいとかは諸説ありますが、
父は前者で、ハンディの調整は見事だと秘かに感心しています。
私が現役の頃、父とプレーすることは多くはありませんでしたが、
ハーフ6枚でした。
父も衰えましたが、私も急降下したので、4年前から2年前まで
スクラッチになっていました。
そして、昨年の暮れにハンディはハーフ5枚になり、
今年の春から6枚に復活しました。
良い勝負をしていますが、私のほうが優勢なので近々7枚に
変更になるかもしれないと思いつつ見守っています。
父はニギリ好きですが、決して勝負強いタイプではありません。
ゴルフでは、好きだけど強くないニギリ好きが
非常に多いので、ニギリを微笑ましく体験できます。
自分の結果について賭けるのであれば、
カードでも、ゴルフでも、私は原則として参加することに
悩むことはありません。
理由は簡単で、賭けだけに特化した必勝法はないと
知っているからです。
(ゴルフに教えてもらいました )
ゲームについての勝ち方はあるでしょうが、
賭けた途端に変質すると考えるのは敗者の理屈です。
賭けようが賭けまいが、ゲームをプレーすることは変わらない。
賭けというのは、エピソードの1つという程度の味付けであり、
ゲームのメインにはなり得ないのだと考えていれば、
楽しめる範囲は明確ですから、逸脱するようなことにはなりません。
弱いギャンブラーほど、必勝法や裏情報があると勘違いして
余計なことに右往左往して、ゲームを蔑ろにしがちです。
ゴルフは残酷ですから、賭けずともそういう弱さや愚かさを
隠すことは出来ませんので、露出することになります。
(言葉は悪いですが、熱心な下手くそゴルフのことです )
ニギったほうがゴルフが上手くなるという伝説があります。
私も概ねそのように思っています。
その根拠は、先程のゴルフの残酷さはニギったほうが
早く理解できるからです。
父とのハンディは、今後ドンドン開いていくことでしょう。
ハンディの変化を見ても、互いのゴルフの歴史がわかるというのは
ゴルファーとして自慢できることです。