猫じじいのブログ

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美しい青銅色のおとぎ話、映画『ヒューゴの不思議な発明』

2020-05-13 23:55:47 | 映画のなかの思想
 
『ヒューゴの不思議な発明』は、2011年のマーティン・スコセッシ監督の初の3D映画である。2日前、私の妻は、テレビでこれを見て、とても面白いと言っていた。青銅色を基調とした美しい映像からなる おとぎ話である。5月23日(土)にテレビで再放送される。
 
スコセッシ監督は、ブライアン・セルズニックの本『ユゴーの不思議な発明』にインスピレーションを得て、この映画を作ったという。この本は、533ページのうちに、284枚の絵がある物語本であるという。日本では、2012年にアスペクト文庫から『ユーゴの不思議な発明』という題名で出版された。図書館が再開されたら、ぜひ読んでみたいと思う。
 
セルズニックの本では、孤児ヒューゴが壊れた機械人形(automaton)を直して動かすことが中心になるが、スコセッシの映画では、機械人形の元所有者ジョルジュ・メリエスがファンタジー映画の創始者であったことが、もう一つの中心になる。映画では、無声映画時代のファンタジー映画作りの楽しさが、伝わってくる。
 
映画も本も孤児ヒューゴの冒険物語で、鉄道公安官のグスタフと犬に追っかけられ、駅の大時計の針にぶら下がってやり過ごす場面では、高所恐怖症の私はハラハラさせられる。直した機械人形をメリエスに見せようとして、人形を抱えたヒューゴは、ふたたび、グスタフに見つかり追っかけられる。つまずいて、人形を線路に落とし、飛び降りるが、そこに汽車が迫りくる。と、とつぜん、逃げ場を失ったヒューゴをグスタフが助けあげる。
 
とにかく、おとぎ話だから、主人公が危険を冒してもうまくいくのだ。
 
映画で気になったのは、孤児ヒューゴが、「人間には神が与えた目的(使命)がある」とつぶやくことだ。神が与えたヒューゴの目的は、この映画では、元映画監督のメリエスに生きる意欲を与えることだ。
 
スコセッシ監督がイタリア系でカトリック文化圏にいると思うので、「生きる目的」という考えをもつことに違和感がある。「生きる目的」という考えは、「人間が神の道具」というカルヴァン派の考え方とつながる。イタリア人のスコセッシ監督がそう考えるはずがないと思いたい。
 
もし、ヒューゴが線路に飛び降りて機械人形を助けようとして、汽車にひき殺されたらどうなるのだろうか。一瞬のために自己を犠牲にすることを正当化する「神の与えた目的(使命)」は、とても危険な思想ではないか。また、自分の生きる目的がわからずウツになる若者がいるが、そこからの脱出は、「生きる目的」なんていらない、と気づくことではないか。
 
私の尊敬するイタリア人が、なぜ、くだらない「神の目的」を孤児ヒューゴにつぶやかしたのか納得いかない。おとぎ話に教訓とか教条(ドグマ)を持ち込んだのが納得いかない。