きょうの朝日新聞の《政治季評》で政治学者の豊永郁子が「行動力も理解力もない政府」と怒っていた。私も「政権や専門家会議の無能さ」に怒ったが、怒った理由が異なる。
私は、政府や専門家会議が国民に自粛を煽って「新型コロナ騒ぎ」を引き起こしたことに怒ったのである。いっぽう、豊永は、「無能でやる気のない政府のせいで死にたくない」と怒ったのである。
人間は遅かれ早かれ死ぬのである。しかし、生きているのに死んだように生きていたくない。これが私の思いである。
豊永が怒っている具体的なことに、ロックダウン(都市封鎖)をすぐに行わなかったことがある。「緊急事態宣言を、4月7日(全国には16日)まで出し渋り、知事が行う休業要請の範囲も狭めようとした」ことに、彼女は怒っている。
また、彼女は疫学者の西浦博が言った「全く対策がない場合、新型コロナウイルスによる国内の重篤患者は85万人に上がり、半数が死亡するという試算を発表した」ことをそのまま信じ、慌てふためいたのである。現在の感染者の推定致死率は0.1%である。42.5万人が死ぬときは、日本の感染者が4億2千5百万人になっている。日本の人口をとっくに超えている。そのずっと手前で、集団免疫ができて、感染流行が収まっているだろう。
私は、メルケル首相が3月11日に、国民の60%まで感染しないと感染流行が収まらないと言ったことに、彼女の誠意を感じた。彼女はドイツ国民に自粛を要請したが、民主主義を守るため、強権的な都市封鎖を避けた。
政府がやる気があっても「強権」をふるうことは けっして良いことではない。
私が政府や専門会議に異議申し立てしたいことは、感染対策は医療システムの問題であり、科学的な問題であるから、あわてふためかず、正直に事実に対処すべきだということである。選択肢があったとき、あくまで、国民は自由で平等であることに優先順位をおくべきである。
例えば、パチンコ店を閉鎖することに何もたいした理由がなかった。それなのに、開いているパチンコ店を悪者にした。横浜市のパチンコ店は、緊急事態宣言の前からお客がはいっていなかった。パチンコ店は密閉であっても、密集、密接ではない。客はパチンコ台に専念しているだけである。換気を要請するだけで良かった。
スーパーでのお客の殺到も、政府やメディアが危機を煽るから、買いだめをしたことにある。スーパーのすべてが売れたのではない。私が空になった棚をみると、相対的に安いものだけが売り切れたのである。横浜市の郊外を見ているかぎり、住民は昔より貧困になっている。
そして、現在、私の近所のスーパーは、開いているが、以前と同じく、お客がいないのである。
新型コロナ騒動の問題は、みんながあわてふためいて、科学を無視したことにある。昔と違って、ウイルス学は進歩している。新型コロナのウイルスも、そのRNAの塩基配列が初期の段階で中国の研究者によって決定された。1月の段階で、各国の研究者は、その塩基配列を確認した。
現在の科学技術では、塩基配列が決定されると、その塩基配列のRNAだけを増幅できる試薬が作成できる。試薬を加えてPCR機器を使って増幅すれば、新型コロナ感染の確定検査ができる。PCR機器を使うというのは、もう、20、30年前からなされてきた安定した技術である。塩基配列から試薬を作成するのも確立した技術である。
したがって、症状があろうがなかろうが、科学的に確定検査ができるのである。PCR検査をしない合理的な理由を政府はもちあわせていない。PCR機器や操作できる人員は日本に十分にあった。しかも、日本にはPCR機器を製作する会社もあった。
PCR確定検査や抗体検査をおこなわないで、疫学モデルを立てる西浦博が専門家会議に加わっていたことに、私は唖然としたのである。
もちろん、科学にもとづいて施策を実行することは簡単ではない。科学とは知識ではなく、仮説にもとづいて行動し、仮説を訂正していくことである。したがって、意見の相違が関係者や国民のなかに生じる。議論をおおやけにして、実証的に仮説を検証していくのである。その観点からすると、話しが厚労省と医師会トップのなかで閉じていて、そこで、科学的真実よりも関係者の利害が重視され、調整されたことが、問題であった。
大学の医学部やウイルス学部や分子生物学者が、昔からPCR機器を扱っていたにもかかわらず、無視された。また、PCR機器をもつ医薬品会社や検査会社も無視された。
ここで「政府」という言葉の曖昧さがでてくる。民主主義社会からすれば、役所は行政サービス機関である。政府は、役所と国民の代表からなる。国民の代表の役割は、役所が適切な行政サービスを行っているかを監視することである。
新型コロナの感染が猛威を抑えることと、国民の人権が守られることの両立を図るのが、国民の代表の責任である。国民の代表がどうすれば、専門外の問題を的確に監督できるか、を議論するのが、豊永郁子の政治学者として役割ではないか。
私もボケてきているが、豊永郁子は私以上にボケている。
さきほど、シネフィルWOWOWで、1968年5月の「5月革命騒ぎ」を放映していた。同じ騒ぎなら、「5月革命騒ぎ」のほうがずっと楽しかった。
[補遺]
欧米の抗体検査の結果からすると、致死率はインフルエンザ並みの約0.1%と推定される。それだけではない。
PCR検査が施策として積極的に進められている、シンガポールでは、確定感染者が国民の0.52%に達し、確定感染者のうち0.07%が死亡している。同じく、カタールでは、確定感染者が国民の1.34%に達し、確定感染者のうち0.04%が死亡している。初期の予想より致死率がずっと低いことが明らかになっている。