猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナと共存すると腹をきめ、楽しい日常に戻りたい

2020-05-08 23:28:25 | 新型コロナウイルス


新型コロナの緊急事態宣言が5月31日まで延長されて1週間がたとうとしている。

その前に、海外の新型コロナ対策が緩和されるさまがメディアにいっせいに流れたので、日本でも、外出自粛や休業要請が緩和されるものと思っていた。ところが、そうでもないようだ。なにか、政治的配慮が働いたのか、それとも、政府や役人のメンツが働いたのか、今、玉虫色という、よくわからない状態に落ち込んでいる。

こういうときに、事実にもとづいて、議論を立て直す必要がある。

第1に、新型コロナは、どういう症状を引き起こすのか。多様な症状を引き起こすようだが、それがどのような割合なのか。どのような経過をたどるのか。死亡率はどの程度なのか。なかなか、退院できないようだが、なぜか。後遺症があるといわれるが、それは、どのようなもので、感染者にどのような割合で生じるのか。感染し、回復すると免疫ができるのか。

第2に、新型コロナの感染メカニズムはどうなのか。手洗いやうがいやマスクは有効なのか。過度に接触感染を恐れていないか。ドアのノブから新型コロナに感染したという実例があるのか。本当にどうやって感染したかの、まともな研究はあるのか。新型コロナではなく、インフルエンザやノロウイルスの経験や俗説や迷信が、おせっかいでメディア好きな先生によってまき散らされているだけでないか。

第3に、日本の流行状態はどうなのか。世界の感染状態はどうなのか。国々によって、政府が政治的な思惑で事実を覆い隠すため、また、事実を知りたくない患者が確定検査をさけるため、本当の感染状態がわからない。しかし、「密接」を避けるという施策自体は、新型コロナは市中に蔓延していて、誰が感染しているか、わからないことを仮定しているのではないか。

第1の観点は、この新型コロナウイルスと、人類が共存できるのか、否か、という問題と関係している。新型コロナで、十分な介護があれば、死亡を避けることができるなら、深刻な後遺症を防げるなら、人類と共存できる。ウイルスを殺す薬を開発しなくても、ウイルス感染にともなう症状を軽くする薬の開発で十分となる。例えば、人工呼吸器やELMOをつけなくても、呼吸が軽くなる薬の開発で良いのだ。

そうであれば、十分な介護できるペースで、感染者を増やしていけば良いという結論になる。新規感染者をゼロにする必要がない。特に、感染によって免疫ができるなら、コントロールされた感染は望ましいことである。別に免疫が一生続く必要はない。1,2年で十分である。

第2の観点は、感染をコントロールする問題と関係している。人類がこのウイルスと共存していくなら、感染の広がるスピードを抑えるだけでよい。完璧に感染しないという、強迫的行動をとらなくてよい。過度な感染防御策を、政府が個人に要請しなくてよい。日常の経済活動を続けてよい。

別に新型コロナ対策で、通勤ラッシュを解消しなくてよい。通勤ラッシュは、本社機構が東京に集中しているから起きるわけだ。本社機構を、都心から郊外に、地方に移転すればよいわけだ。この間、テレワークが可能だったとすれば、本社機構そのものの存在に疑問が生じる。東京に本社があるのは、単に大きなビルを東京におくという見せかけのためが多い。本社ビルは経費がかかるだけで、不要である。早く売り払ったほうが良い。

私はIBMにつとめたが、本社機構はニューヨーク州の田舎アーモンクにあり、販売事務所だけがニューヨーク市にあった。

第3の観点は、新型コロナの感染スピードがコントロールされているか、ということと関係している。実態を把握するというのは、政策立案の基本である。

日本だけ、確定検査(PCR検査)の実施を抑えてきた。この理由がわからない。日本厚労省は、100年前のスペイン風邪のときの感染症対策を行っているだけだ。そのときは、原因がウイルスだということもわからず、確定検査の手法がなかった。

いまは違う。

現在は、50年前の私の学生時代から、ずいぶん、ウイルス学が進んでいる。感染を起こすウイルスの塩基配列が決定できる。塩基配列が決まると、その塩基配列だけを増幅できる試薬を合成できる。その試薬をいれてPCRという機器で増幅すれば、それで、感染の確定検査ができる。全自動化の機器も試薬と同時に全世界で発売されている。日本のメーカも世界に全自動のPCR機器を売っている。厚労省が、販売を認可すればよいだけだ。なぜ、厚労省の認可が必要なのか、私はわからない。日本政府は権力を維持するため、なんでも規制する。

鼻の奥やのどの奥から検体をとらないでも、口の中の唾液から検体をとっても、ウイルスが検出できるなら、PCR検査も簡単にできる。あとは、機械の問題だ。

できない理由があるとすれば、必要以上に新型コロナの恐怖が宣伝されて、検体をとることを恐れているからだ。唾液をとるなら、誰でも、検体をとることができる。

今回、厚労省の感染症対策班、クラスター班は、学問の水準から遅れている人間から成っているようだ。日本の疫学全体の水準が低いのか、厚労省の疫学関係者だけがレベルが低いのか、はっきりさせて、水準を上げる必要がある。どのような数理モデルを感染対策で使っているか、公開しないのは、自分の理論(仮説)の妥当性に自信がないからである。とくに、もとになる事実データに信頼性がなくて、結果出るというのは、その数理モデルは分析手段、予測手段というより、単なるシナリオ作りの補助にすぎない。

集団免疫という観点からは、早急に抗体検査を行い、国民のなかにどれだけの人がすでに感染して抗体をもったかを調べる、必要がある。欧米では、確定検査による感染者数の数十倍が、すでに感染してると言われている。日本では、百倍を超えていると推定されている。新型コロナ感染症対策専門会議の尾身茂は、1週間前に、3倍か4倍だと言ったが、そのような認識では、日本の新型コロナ対策を任せられない。

そろそろ、新型コロナと人類は共存するのだと心を決め、楽しい日常に戻って良いのではないだろうか。