テレビの報道では、この連休中、観光地はGoToキャンペーンで混みあっていたようだ。なぜ、夏の疲れをとる時なのに、わざわざ人ごみの中に出かけ、疲れるようなことをするのだろう。新型コロナにかかっても たいしたことはない、それよりも、GoToキャンペーンにのると何か得すると思っているのだろうか。
GoToキャンペーンに限らず、ポイントを集めると得するとか、飲み放題の店で宴会をすると得するとか、セコい話が好きな人が多い。
私は商店街で生まれ育ったので、このようなセコい話を聞くと、バカみたいと思う。
世の中で、商取引をしているとき、ものごとにコストが発生するから、商売人は、そのコストは絶対に回収しないといけない、と考える。1つの取引でコストが回収できない場合があっても、一連の取引を合計すれば、コストを回収できればよい。そうでなければ、売り手は破産する。
したがって、市場の法則は、ある買い手が得するなら、ある買い手が損をするということである。
昔の商売では正札がなかった。価格は、売り手と買い手の交渉で決まった。売り手からみると、物の価格は買い手によって違った。すなわち、得する客と損する客とがいたのである。
私の父親の世代に、本や新聞などから得た情報で、そんな商売のやり方では お客の層を拡大できない、安心して買ってもらおうと、正札で、誰にでも同じ値段でモノを売るようなった。アメリカがそれで大衆消費の時代をつくったと父親の世代が思ったからである。
ところが、商品の値段そのものを下げるのではなく、ポイントで還元となると、公平性がなくなる。すべての情報は大量販売店に握られ、その思惑で、ある客はちょっぴり得をし、ある客はちょっぴり損をする。わずかな損得で、購買行動が販売店にコントロールされる。私は、そんな、なさけなくて あわれな買い手になりたくない。
ポイントがなかった時代、私の母は、私に好きなだけ果物を食べさせようと、夕方に市場に出かけ安くなった果物を買ってきた。傷んだ部分を切って、私に果物を食べさせた。しかし、考えてみれば、市場の売り手が朝仕入れたものが、その日の夕方に傷んでいることなど、ありえない。単に、夕方に、傷物として分けてあった商品を取り出して、安物として放出しているだけである。安くモノを買っても得をしない。
商取引に、得をした、あるいは、損をしたということがないのがビジネスの原則である。損得があるのは、健全ではない。損得があるのは、悪漢小説のなかだけに封じこめないといけない。
それなのに、怪しげな損得を求めて、セコい買い手がいるとは、「叩き上げ」というだけでほめたたえると、同じく、現代社会の病的な側面である。政府のやっていることも、ビジネスの公平さの原則を踏みにじっている。なぜか、法学部を出ただけの役人が、商売人より賢いと勘違いしているのではないか。