猫じじいのブログ

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マックス・ヴェーバーの経済淘汰と人種差別と隣人愛の軽視

2020-09-09 23:36:09 | 思想


若い人にはマックス・ヴェーバー(Max Weber)とは誰のことか、もはや、わからないだろう。それでいいのだ。私の学生時代には、反マルクス主義の人たちによって読まれていたのが、Weberの著作である。

私自身は、当時、マルクスもWeberを読まなかった理系の人間である。
定年退職してはじめてWeberとエンゲルスを読んで、両人ともバカであると確信した。さらに、Weberは善人ではない。自分の正当化のために闘う人間で、ろくでもないごろつきだ。死ねと言いたいのだが、すでに死んでいるので、どうしようもない。両人ともバカだと思うのは、社会学なんて客観性がなく、あとの時代からみれば、自分に都合よく真実を捏造しているだけなのに、そのことに気づいていないからだ。

今野元の『マックス・ヴェーバー』(岩波新書)は、Weberの根本的な反人道的立場を3点指摘している。

1つは、社会に「経済淘汰」の概念を当てはめる。大塚久雄訳の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』につぎの節がある。

〈製造業者は長期間この規範に反して行動すれば、必ず経済的を受けねばならないし、労働者もこの規範に適応できず、あるいは適応しようとしない場合には、必ず失業者として街頭に投げ出されるだろう。〉

労働者のこの規範とは、安い賃金で一心不乱に精密に資本家のために働くことである。

すでにパリ革命が起きていたのに、社会主義政党ができていたのに、マルクスの著作があったのに、黙々と働く労働者しか、Weberは思い浮かべることができない。

アメリカで1913年に、ヘンリー・フォードは自動車製造工程をベルトコンベアの上に載せたことで有名であるが、それともに、彼は労働者を消費者と見たのである。労働者に車を買える給料を払うこと、また、労働者が車を買える値段に設定することを行って、彼は事業に成功したのである。

私は外資系企業にいた20年前、日本企業は中国を世界の工場とだけ見ていたが、外資系企業は、中国が巨大な市場になると見ていた。中国の人口が日本の人口の10倍あるとすれば、将来、10倍の市場になると、当時の外資系企業は見ていたのである。

労働者は働くだけの奴隷ではなく、購買意欲をもった消費者であることをWeberは気づいていない。労働者も人間であることにWeberは気づいていない。日本の財界もバカである。

2つめは人種差別である。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』には、ポーランド人や中国人への侮蔑が満ち溢れている。今野は、『宗教社会学論集』の序文でWeberがつぎのようにかいていることを指摘している。

〈西洋で、しかもそこだけで、特定の種類の合理化が発展したことに気が付くとき、ここで遺伝的資質が決定的な土台を提供しているのではないかという仮説が、当然出されることになるだろう。〉

Weberにとって、「西欧」はドイツ、イギリス、フランスで、「西洋」は、「西欧」にアメリカ(USA)が加わったもので、それ以外は劣等国なのだ。

そして、Weberは優生学のブレーツが社会学者たちのコミュニティで活躍するよう後押ししていた。

アメリカ人は、奴隷解放のために1861年から1865年にかけて白人同士が殺し合ったのである。黒人も人間であるという考えがアメリカにあったのに、1904年にアメリカに渡ったWeberは黒人を「半猿」と呼んで下等な生き物としてみなしていた。

最後の3つ目は、「隣人愛」を「神の栄光」をたたえるための行動の1つで、「禁欲」や「天職概念」と違ってプロテスタンにとって本質的でないものと見ていた。今野によると
さきほどのブレーツは「生存競争が果たす生物学的機能を説き、本来行われるべき淘汰が、人間社会では「隣人愛」の精神によって妨げられてきた」と警告したという。

キリスト教にとって、「隣人愛」は本質的ものである。「隣人愛」とは「自分を愛するように他人を愛せよ」という格言で、聖書がヘブライ語からギリシア語に訳されるとき、「他人」が「隣人」に訳されただけで、カルヴァン派の教会でも「隣人」を「人間というもの(普遍的人間)」と解されて、説教に良く取り上げられる。カルヴァン派は、決して、予定説と禁欲だけの教派ではない。

Weberは、近代の資本主義が自己の利益を追求する個人にもとづくと考えるが、20世紀初頭のアメリカの企業家には、従業員の文化的向上や経済的向上に尽くしたり、世界の病人を救済しようしたり、「人類愛」を実践したものが多かった。

Weberの経済淘汰説と人種差別主義と隣人愛の軽視は、当時の平均的アメリカ人と比しても、異常である。Weberは、ブルジョアに典型的な、利己的で戦闘的な教養人であり、「精神のない知識人」といえよう。